■子どもたちをうまく育てられなくなっている
私の住んでいる我孫子市の隣の柏市で、通り魔的な悲惨な事件が起こりました。
20代の若者が、通りがかりの4人の人に次々と危害を与え、そのうちの一人は生命を失いました。
現場のすぐそばに住んでいる若者が犯人でした。
犯人は、どうも子どもの頃から問題を起こしていたようです。
こういう事件が起こると、どうしても加害者の親のことを思ってしまいます。
もちろん親に第一の責任があると思いますが、そうはいっても、親の衝撃はいかばかりかと思うと心痛みます。
もちろん殺害された人の親の心情は、それ以上でしょう。
なにしろ何の理由もなく、突然、愛する子どもを失うのですから、これもまた耐えられないことでしょう。
いずれの両親も、おそらく人生を失うほどの影響を受けることは間違いありません。
しかし、私にはもう一つ気になったことがあります。
犯人が子どもの頃書いた学校の文集に、大きくなったら「人のために生きたい」と書いてあったということです。
そう思ったことがある子どもが、こういう事件を起こしてしまった。
そこになんとも「やりきれなさ」を感じます。
私たちの社会は、子どもたちをうまく育てられなくなっているのでしょうか。
今回の事件の犯人は、いささか特殊の例かもしれませんが、こうした事件の犯人が、良い子どもだったと報道されることは少なくありません。
子どもはみんな「良い子」なんだろうと私は思いますので、それは当然のことと言ってもいいでしょう。
しかし、その子どもたちが、うまく育っていけないとしたら、やはりこの社会は壊れています。
そして、私たち、つまり私の生き方は、どこか間違っている。
しかも、犯人は「社会に復讐する」と言っているそうです。
24歳の若者が、復讐したくなる社会って、一体何なのでしょうか。
私には、異常な若者の、異常な感情と片づける気にはなれません。
この事件も、特殊な事件と片付けることなく、自らの生き方を問い直す契機にしなければいけないと思っています。
だからこそ、とてもやりきれない事件で、気が滅入ります。
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