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2014年4月

2014/04/29

■節子への挽歌2423:大切な相手がいると人は弱くなる、だろうか

節子
昨日、ドラマで聞いたセリフに言及しましたが、もうひとつ記憶に残ったセリフがあります。
それはイギリスのテレビドラマ「シャーロック」に出てくるセリフです。

ホームズの兄のマイクロフトは、原作とはかなり違ったキャラクターになっています。
彼が、ホームズの相棒であるワトソンに話すセリフに、こんなのがあります。

大切な人がいると人は弱くなる。
なにもマイクロフトのセリフを引用せずとも、これはドラマや映画の基本にある考えです。
冷酷な殺し屋には、多くの場合、家族はいないですし、誰かを愛したためにダメになってしまう殺し屋もよく登場します。
「大切な人」がいると、その人を守るために制約や迷いが生まれるからです。

しかし、逆に、「大切な人がいると人は強くなる」というドラマもあります。
大切な人を守るためであれば、なんでもしてしまうということです。

これは同じことを言っているのかもしれませんが、同じこともちょっと視点を変えると全く正反対な表現になることの一例です。

ところで、「大切な人」がいなくなってしまったらどうなるのか。
大切な人を奪った相手が特定できるのであれば、そこへの怒りが生きる力を与えてくれます。
前に挽歌でシリーズ的に書いた映画「ブレイブワン」は、その一つです。
最近話題のテレビドラマ「MOZU」の主役の一人である、公安警察の警部は、妻を事件で失うのですが、その真相を知りたくて、暴走的な行動に出ます。
彼が妻を愛しているかどうかはわかりませんが、「大切な人」であることは間違いありません。
「大切な人」がいなくなってしまったら、もはや何も失うものはなくなり、どんなことも怖くはなくなるのでしょう。
大切な人がいなくなると人は強くなれますが、それは大切な人がいたからです。
つまり、人が強くなるためには、大切な人がいなければならないのです。

マイクロフトがいう「大切な人がいると人は弱くなる」ということの根底には、キリスト教的神が存在します。
神への帰依か大切な人を守ることか、というテーゼです。
しかし、人は大切な人がいればこそ、強くなれるのです。
神にも抗うほどに、です。

私は、神よりも、大切な人の思いに、従いたいと思っています。

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2014/04/28

■節子への挽歌2422:また来世でも会いたいといわれる生き方

昨日、NHKの大河ドラマを観ていたら、こんなセリフが出てきました。

貴殿との付き合いは短い期間だったが、楽しかった。
また来世でもお会いしたい。
かなり不正確な引用ですが、たしか、死を決意した山中鹿介が黒田官兵衛に言った言葉です。
心に響きます。
私もそういう生き方がしたいとずっと持っています。
しかし、私自身、何人くらいの友人に、こういう思いを持っているでしょうか。
かなりいるようで、しかし考えていくと、あんまりいないような、そんな気がします。
ということは、たぶん私に対しても、ほとんどの人は、こうは思ってはいないことでしょう。
人の付き合いは、はかないものです。

会社時代、若い部下が転勤になった時に、私に対して、「ぜひまた佐藤さんと一緒に働きたい」と言ってくれたことがあります。
彼とは、会社時代は一緒に働く機会はありませんでしたが、不思議な縁で、私が会社を辞めた後に、同僚としてではありませんでしたが、同じプロジェクトを2年ほど一緒にやる機会がありました。
立場が違ったので、残念ながら私も彼も直接の「相棒」にはなれませんでしたので、以前とはまったくと言っていいほど関係性は違ったものになってしまいました。

それに、人とのつながりは難しく、関係が深まることで、お互いのあらも見えてくることもあります。
夫婦の場合は、それが極端になりかねません。
また来世でもと思うようになるかもしれませんし、もう来世では会いたくないと思うようになるかもしれません。
同じお墓には入りたくないと言う夫婦が少なくないとも言われます。

私の場合は、躊躇なく言えます。
節子との付き合いは短い期間だったが、楽しかった。
また来世でも夫婦になりたいと。
そして、躊躇なく、節子もまたそう言うだろうと確信しています。
そう確信できることが、私の生きる支えでもあります。

しかし、もしかしたらそれは私の誤解かもしれません。
そういえば、生前、節子は言っていました。
あなたはよく飽きないわね、と。
もしかしたら、節子は私に飽きていたかもしれません。
困ったものです。
彼岸で再会したら、確かめなければいけません。

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■スパイクを買ってやろう

今朝のNHKの朝いちで、子どもの貧困が取り上げられていました。
そこで、サッカーをやっている子どものためにスパイクを買ってやれない母子の話が出てきました。
ゲストの室井祐月さんが、その報告映像を見終わった途端に、「スパイクを買ってやろう」と思わず発言しました。
同席していたほかの人が、「そういう問題ではない」「そう言っていたら切りがない」と室井さんをなだめていました。

でも、本当に「そういう問題ではない」のでしょうか。「切りがない」のでしょうか。
もしかしたら、そうした発想が問題なのではないか。
そう思いました。
室井さんの発言は、ほかの番組でも時々、お聞きしますが、私には的確なご意見だと思うことが多いです。

隣に困っている人がいたら、先ず自分でできることをはじめることが大切です。
そういうことをやっていたら、肝心の構造が変わらずに、問題は先延ばしになるだけだと言うのも一つの意見です。
しかし、だからと言って、隣の問題を解決しないで良いわけではありません。
それに、仕組みを作って、問題の根本から変えようなどという思いが、教育ローンのような奨学金制度や育児助成金のような制度を作り、そこに寄生する職業を増やしていくこともあります。
制度や仕組みも大切ですが、「スパイクを買ってやる」ことも大事です。

室井さんは、きっとテレビで紹介された母子にスパイクを買って送ってやったと思いますが(そうでなければがっかりです。言葉に出した事は実行しなければいけません)、私もそういう室井さんに見習おうと思います。
できることからやっていくこと。
それこそが、社会を変えていくはずです。
問題は「子どもの貧困」ではなく「○○ちゃんの具体的な問題の解決」なのかもしれません。

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2014/04/26

■節子への挽歌2421:たくさん友人に支えられているのを実感します

節子
久しぶりに朝早く家を出て、大阪に向かっています。
東海道新幹線はあまり好きではないのですが、今年は乗る機会が増えそうです。
今日は大阪でコムケアの仲間たちが開催する集まりがあるのですが、そこに参加するためです。
先週は新潟に行ってきましたが、よほど暇なのだろうと思われそうです。
まあ、事実、暇ではあるのですが。

昨夜も湯島でサロンでした。
初参加の人が2人も来てくれましたが、そうした人と話していると、サロンも意味があるかと思います。
それに私にとっては、世間の実相を実感できる場でもあるのです。
初参加の2人は若い女性でしたが、その話はとても興味深い話でした。
最近、感じていることが裏付けられた感じです。
初対面にもかかわらず、お互いにアドバイスしている様子を見ていると、
改めてサロンのような、カジュアルに世界を広げられ、自らを相対化できる場の必要性を感じました。
もしかしたら、私たちがやっていたサロンは、思っていた以上に意味があったのかもしれません。
最近は、節子がいた頃とはサロンのスタイルは変わってしまっていますが、節子がいなくなった分は、参加者のみなさんがフォローしてくれるようになっています。
昨日も大島さんが後片付けをしてくれていました。

今日の大阪での集まりには、久しぶりの人も来てくれます。
一人は、私の会社時代の友人の増山さんです。
今は環境系のNPOをやっていて、今日の集まりにはあまり関係ないのですが、私に会いに来てくれるのです。
コムケアの仲間では、小田原の時田さんがたまたま京都に来ているので参加してくれるそうです。
時田さんは、極めてご多用のはずですが、時々、思いもしないところで、私の動きに反応してくれるのです。
4年ほどお会いしていませんが、お会いできるのが楽しみです。

ところで、昨日のサロンでは、初対面の人もいたので、私も久しぶりに自己紹介しました。
話しながら、やはり私の生き方は世間からは大きく脱落しているなと思いましたが、そのおかげで、各地にたくさんの知り合いができて、いろんなところでお会いできるようになりました。
今日もまたいろんな再会がありそうで、楽しいです。

でもまあ眠いです。
大阪まではまだ少し時間がかかります。

ところで、昨夜は湯島の珈琲メーカーのスイッチは切ったでしょうか。
私は切った記憶がありませんが、ちょっと心配ですね。
火事にはならないでしょうが、困ったものです。

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2014/04/25

■節子への挽歌2420:夕陽

節子
今日は湯島のオープンサロンです。
節子がいなくなってからも、まあ細々と続けていますが、節子がいたころとは大違いです。
当時の参加者も時にやってきますが、最近は参加する顔触れもかなり変わっていますので、もし節子が久しぶりに顔を出したら、むしろ戸惑うかもしれません。
サロンが始まる前の1時間は、いつも不思議な時間でしたが、それは今も変わりません。
今日は、夕陽がとてもきれいでした。

西側の窓の外の展望は節子がいたころに比べると少し変わりました。
最初のころは、遠くの夕陽がとてもきれいに見えていましたが、今は高いビルの隙間から、季節によって、見えたり見えなかったりするようになりました。
今の季節はかろうじて、ビルの合間に見えます。

夕陽を見ていると、やはり思い出すのは、節子の病気が再発する直前に見た、若狭湾沿いの河野からの夕陽です。
思い出して、その時に書いたホームページの記事を読み直してみました。
なにか淡々と書いていますが、その時の夕陽は私には忘れられないものでした。
お互いにどこかで、もしかしたらこの夕陽を一緒に見る事はもうないだろうと、どこかで思いながら、私も節子も、決して口には出さなかったのです。
その旅行が、私たちの最後の遠出の旅になりました。

湯島から見る夕陽もとてもきれいでした。
2人で夕陽を見ながら、今日は誰が来るだろうと話していたことを思い出します。
夕陽は、一人で見るとさびしくなります。
2人で見る夕陽はなんだか夢があって、私は好きです。

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■不作為の殺人罪

韓国でのセウォル号沈没事件は、事故後の対応の不手際によって、多くの死亡者を出してしまいました。
そのため、韓国では船長に対して「不作為の殺人罪」をという声まで出ているようです。
これまでの報道を聞いている限りにおいては、それも納得できるものがありますが、まだ事実が必ずしも明らかになっていないので、即断は控えるべきかもしれません。
問題はもっと根深いような気もします。
それに、不作為の殺人罪は、船長だけのことではないでしょう。
怒りの矛先を間違えてはいけません。

それはともかく、韓国には「不作為の殺人罪」というのが法に定められていることを知りました。
不作為の犯罪は、ある意味では、暴走しがちな論理を内蔵していますが、昨今のような時代状況においては、とても大きな意味を持っているように思います。

私が、この言葉を最初に聞いたのは、もうかなり前のことです。
韓国とは関係ありません。
福井の東尋坊で、投身自殺を防ぐために10年前から見回り活動をしている、NPO法人心に響く文集・編集局の理事長の茂幸雄さんからです。
茂さんは、テレビや新聞で時々報道されていますので、ご存知の方も少なくないでしょう。茂さんの活動には頭が下がりますが、これまで500人ほどの人と遭遇し、相談に乗ってきています。
茂さんは、自分たちがやっている活動は、自殺防止活動ではなく、人命救助活動だと言います。
東尋坊には投身自殺する場所は3か所しかない。
そこに何らかの策を講ずれば自殺は防げる。
それをしないのは「不作為の殺人罪」だというのです。
茂さんの思いはよくわかります。
ある意味で、「不作為」は「作為」よりも犯罪の本質に繋がっているように思います。

しかし、不作為犯はなかなか難しい問題もあって、日本の場合は、積極的には法定化されていません。
立証も難しいですし、なによりも多様な解釈が可能ですから、小さな論理に呪縛される現代の刑法パラダイムでは、難しいのでしょう。
特に最近のように、司法の独立性が損なわれ、しかも法の牙が国民や弱いものに向いてしまっている状況の中では、不作為犯を取り入れることには危惧もあります。
しかし、対象を権力や体制維持派に向けるのであれば、これは本質的な問題提起を含意しています。
そういう意味では、この事件を契機に、日本でも改めて「不作為犯」の考えが議論されることを期待したいと思います。

自殺の問題にささやかに関わっていると、茂さんと同じく、「不作為の殺人」ではないかと思うことが少なくありません。
その不作為を引き起こす背景に、個人を超えたシステムや制度があるのですが、それでも個人でできることは少なくありません。
先週、新潟で聞いた話ですが、精神医療に関わる薬剤師の皆さんが、薬を渡す時にきちんと説明して、薬依存が広がらないように、それぞれが自分でできることをやろうという研修などに取り組んでいるそうです。

どんな場合にも、個人でできることはあります。
一人でやっても何もできないなどと諦めて、不作為に陥ることは避けたいものです。
そうでなければ、セウォル号の船長を非難することはできないことに気づかないといけません。
自らの不作為の罪を、この事件は改めて思い知らせてくれました。

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■節子への挽歌2419:身勝手さを思う

節子
やはりこの挽歌は、いろんな人に心配をかけているようです。
広島の折口さんからまたメールが来ました。
そういえば、先日会った平井さんも、この挽歌を読んでくださっているそうですが、だから「元気そうでよかった」と言ってくれたわけです。
いやはや困ったものです。

たしかに、そう元気とは言えず、時にドスンと落ち込んでしまうのですが、根が楽観主義というか単純なものですから、たぶん文章から感ずるほどではないのです。
挽歌にそうした思いを書いた途端に、気が戻ってくる面もありますし。
友人の吉田俊樹さんは、「こんなうじうじした文章を読めるか」と言いながらも、時々読んでいるようですが、それは私がともかく生きていることを確かめるためなのかもしれません。
まあ、そういう効用はあるようですが、それにしてもちょっと暗い文章が多いですね。
反省してはいるのですが、どうしてもそうなってしまいます。
困ったものですが、お許しください。

昨日も書きましたが、どの面に焦点を合わせるかで世界は違って見えてきます。
節子もよく知っている友人に、この連休に会えないかという連絡をしたら、妹さんのがんのケアもあって、連休は時間がないと連絡がありました。
そういえば、前に妹さんのがんの話は聞いていましたが、私自身すっかり失念していました。
彼女にとって、妹さんががんになったことは、とても衝撃的なことで忘れようがないでしょうが、私はそれを忘れてしまう。
人はなんと身勝手なことか。
自分のことは大げさに書きながら、他者の悲しさや辛さは軽く聞き流してしまう。
そのメールを読んで、とても恥ずかしい思いに襲われました。

友人自身は、最近大活躍で、それを知るたびにうれしい思いだったのですが、実はその後ろに妹さんの辛い事情もあったわけです。
彼女の辛さに関して、なんと無頓着だったことか。
人には見えないことがたくさんあることを、時に忘れてしまいます。
私のように、すべてをさらけ出してしまうと、自分は楽になりますが、その分、もしかしたら周りが迷惑しているのかもしれません。

私は娘から時々言われることがあります。
お父さんは見えることしか見ないで相手を決めつける、と。
自分では決してそうは思っていないのですが、自分自身が極めて単純なので、心のひだや見えない心情に鈍感なのかもしれません。
自分としては、そうしたことへの心配りは誰にも負けないと思ってはいるのですが、どうもそうではなさそうです。
これは節子からも以前よく言われていたことでもあります。

ちなみに、挽歌を読んで下さっている方の気持ちへの配慮は、間違いなくできていません。
そうでなければ、こうも毎日、意味もないことを書き続けられません。
以前は、それでも月に1回くらいは、意味のあることも書けていたような気がしますが、最近は自分でさえ、書いた後、アップしようかどうか迷うことが多いのです。
娘は、ネタがなくなったのではないかと言いますが、決してそうではなく、私の心情、あるいは生への思いが希薄になってきているのだろうと、私は思っています。

文章には、その人の生き様が現れるものだと、改めて思います。

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2014/04/24

■土から学ぶことは多いです

今日は久しぶりに畑に行ってきました。
4日間ほど行けずにいたのですが、途中、雨も降ったので大丈夫だろうと思っていましたが、先日植えたきゅうりが枯れかかっていました。
ナスもトマトも、あんまり元気がありません。
慌てて、水をあげましたが、きゅうりはダメかもしれません。
ともかく少し手を抜くと結果に出てきてしまいます。
生命はとても素直です。

こうして自分で野菜を育てていると、手間暇がかかることがよくわかります。
野菜を育てるよりも、スーパーできゅうりを買ったほうが安くなるでしょう。
もっともミニトマトの場合は、育ちやすいので、育てたほうが安くなるかもしれません。
ですから一概には言えないのですが、お店で売っている野菜は、安すぎる気がします。
野菜を自分で育てると、そのことがとてもよくわかります。

もうひとつわかることは、農作物にとって、土壌がいかに大切かということです。
日本古来の農業は、「野菜を育てる」のではなく「土壌を育てる」ことだと言われていますが、その意味がよくわかります。
しかし、最近の工業型農業は、土壌ではなく野菜を育てる仕組みに変わってしまいました。

土が生きていることも、よくわかります。
2~3年放置しただけで、土壌は一変します。
毎年、少しずつ手を入れて、育てていかないと、土はとんでもないものを引き込んできます。
表面ではわかりませんが、わが家の農園はなにやらたくさんの根が張りめぐってしまい、鍬で耕すのが大変です。
私などは、1坪をていねいに耕すだけで、死にそうなほど疲れます。
近くの元農家の人は、こんな空き宅地は農地にならないと笑っていますが、たしかにそうなのでしょう。
しかし、その元農家の人の両親や祖父母がやったように、ていねいに土を耕して、そこに植えた野菜を大切にしていけば、土壌もよくなり、野菜もきちんと育ちだします。
私自身、数年前にその体験があればこそ、まあ開墾のような作業をしているわけです。

土を育てると言う発想は、農業に限りません。
会社も社会も、個人の暮らしもそうです。
社会ももっと耕していかないと、ますます住みにくくなりそうです。
私にはあんまりエネルギーはありませんが、せめて私の周りは、畑の土を育てるように育てていこうと思います。
それはまた、けっこう疲れることかもしれませんが。

土と触れていると、いろんなことに気づかせてもらえます。

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■節子への挽歌2418:いのちの季節

前の挽歌を陽射しが当たる食卓で書いていました。
そうしたら、何かが窓にぶつかりました。
我が家は高台のはずれにあるせいか、時々、鳥が窓にぶつかるのですが、そんな大きな音ではありませんでした。
何だろうと見回すと、庭にくまんばちが飛んでいて、空中にとまってこちらを見ています。
もしかしたら、ぶつかったのは、その蜂かもしれません。

そういえば、朝、畑に出かける時にも、庭にいました。
藤棚の藤が咲き出したので、その蜜を吸いに来たのかと思っていましたが、蜜を吸う様子もなく、空中に止まっています。
節子でしょうか。
ガラス戸をあけて外に出たら、寄って来ずに、飛んでいってしまいました。
節子ではなかったようです。

戻ってパソコンに向かったら、また窓に何かがぶつかりました。
今度は先ほどよりも大きな音です。
出てみましたが、何もいません。

そういえば、今朝、庭にめずらしい鳥が来ていました。
飛んできたのではなく、裏庭の方から地面を跳ぶように走ってきたのです。
節子が、「また花や鳥になって戻ってくるわ」といっていたのを思い出して、出てみたら、この時も鳥は飛んでいってしまいました。

今日は、いろんな「いのち」がやってきるようです。
いや、私の心情が生き生きしてきたからかもしれません。

書き終わって、しばらく外を見ていましたが、くまんばちも鳥も戻ってきません。
しかし、外に出て、藤棚を見たら、先ほどのくまんばちが仲間と一緒に蜜を吸っていました。

春は、やはり「いのちの季節」です。

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■節子への挽歌2417:他者への声かけは、自分への声かけかもしれません

節子
暖かな陽射しのいい天気です。
今日は午前中は在宅なので、畑に行ってきました。
畑は少し手を抜くと、草が伸びだして、大変になりますが、それ以上に、植えつけた野菜の苗が元気にならないのです。
野菜には声をかけないといけません。
人とまったく同じです。

フェイスブックをやっているといろんな人の様子がそれとなく伝わってきます。
元気な人はいいのですが、時々、声をかけないと心配だなということがあります。
私自身、そういう時がありますので、よくわかります。
しかし難しいのは、声の掛け方です。
人は勝手なもので、声をかけてもらいたい一方で、声の掛け方で、受け取り方が変わってしまうのです。
でもまあ、まずは声をかけることです。
今朝も若い友人に声をかけさせてもらいました。
声をかけた途端に、ハッと気づきました。
これは自己の心情の他者への投影なのだと。
そう気づくと、いろんなことの見え方が変わってきます。
声をかけてこない人の心情や、極めて事務的な物言いも、結局は、自分自身にその根因があるのだと。
そう考えると、気分がかなり明るくなります。
世界は、自分の心情の投影でしかないのかもしれません。

畑はだいぶ広がってきました。
花の種が早く芽を出してくれるといいのですが。

今日は、良い日になりそうです。

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■ゲーム・サロン(「スリーA&箸ピー」を楽しみながら体験する集まり)へのお誘い

4月26日(土曜日)の午後、スリーAと箸ピーという2つのゲームの体験会があります。
いずれのゲームに関しても、これまで何回かこのブログでも言及してきました。
大阪で、2つのゲームを一緒に体験する集まりははじめての企画です。
私も参加しますが、関西界隈の方でも塩時間があれば、どうぞ参加してみてください。
いずれもとても楽しいです。

○日時:2014年4月26日(土)13:30〜16:30(受付:13:00~)
○場所:大阪ボランティア協会 会議室 
http://www.osakavol.org/10/access/index.html
大阪市中央区谷町2-2-20 市民活動スクエアCANVAS谷町2階  
○参加費(資料代込):500円
○主催:コムケア関西(大きな福祉の実現を目指した、コミュニティケア活動の共創型相互支援の輪づくりを関西で広める活動をしています)
○申込先: コムケア関西事務局(担当:水野)
comcarekansai@gmail.com

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2014/04/23

■節子への挽歌2416:朝から比べるとだいぶ元気になりました

節子
久しぶりに清田さんと平井さんに会いました。
そのうえ、おいしいお昼までご馳走になってしまいました。
真鯛のソティが、とてもおいしかったです。

2人とも節子も何回か会っていますが、お元気そうでした。
逆に、お2人からは、私が元気そうだと言われましたが。

お2人に最初に会ったのは、もうかなり前です。
20年ほど前でしょうか。
いろいろとお世話になりました。
平井さんとは、平井さんの会社の企業変革の話を本にする仕事を一緒にやりました。
単なる方法論や報告には、私は全く興味がないことを知っているダイヤモンド社の岩崎さんが間に入ってくれたのと平井さんの強い思いのおかげで、私には実に創造的な楽しい仕事でした。
あの頃は、私自身も企業の変革や社会の変革に情熱を持っていました。

清田さんとも、その頃、知り合いましたが、お世話になったのは少し経ってからのギリシア旅行した時でした。
ツアー旅行だったのですが、たまたま宿泊したホテルのすぐ近くに海外駐在だった清田さんのオフィスがあったのです。
そこでお会いし、その翌日か翌々日がツアーのフリーの日だと話したら、清田さんがスニオン岬に案内してくれたのです。
帰りにおいしい魚料理もご馳走になりました。
その後、家族でトルコ旅行した時にも、清田さんのお心遣いで、イズミールで現地スタッフのエシムさん(だったと思いますが)が現地で食事をご馳走してくれました。
節子はとてもそれを喜んで、彼女が日本に来たらわが家に招待しようと言っていました。
それは残念ながら実現しませんでした。

たまたまお2人は、いま公益財団法人の研究所に所属しているのですが、そこで出している機関誌「談」が、かなり以前からの私の愛読書なのです。
まさか、この2人がその編集に関わるようになるとは思ってもいませんでした。
ちなみに、この「談」は、雑誌嫌いの私が、ほぼすべてをきちんと読んでいる唯一の雑誌です。
現代社会を読み解きたい方やアカデミアの最前線の気配に関心のある方には、お勧めします。

まあ、「談」はともかく、久しぶりにお2人とお話しできて、少し元気になりました。
共感するところがたくさんありました。
なぜか、お2人には、心が開いてしまって、節子のことまで話してしまいました。

不思議なもので、お2人と別れて、湯島のオフィスに立ち寄り、パソコンを開いたら、ずっと待っていた人からのメールが届いていました。
流れが変わるといいのですが。

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■節子への挽歌2415:なかなかネガティブ志向から脱却できません

節子
最近、気が萎えているせいか、少しいやなことが起こると、「もういいか」という気になってしまい、それを跳ね返そうとする気が起きなくなってきてしまいました。
さらにいささか僻みっぽくなってきて、相手に「うらみつらみ」のひとつでも言いたくなってしまうのです。
相手にも相手の事情があることを、ついつい忘れてしまうわけです。
そういう自分がまたなんだか惨めになってしまい、さらに気が萎えていく。
この半年、そんな状況に陥ってしまっています。
その流れを変えようと思ってはいるのですが、一度、流れができてしまうとなかなか変えられません。

世の中のすべてのことは、両面を持っています。
どんな親切にも悪意があり、どんな悪意にも親切があります。
ある事柄を、どちらの面から見るかで受け取り方はまったく変わってきます。
そんなことは、一応は理解していますが、気が滅入っている時には、どうしてもネガティブに受け止めてしまいます。
そしてますますネガティブになってしまう。
それもまた、人の素直な反応なのですので、あまりそれに抗うことなく、生きてきましたが、最近はネガティブな面が心身に堪えるようになってきてしまっています。
無理をして、行動すると、必ずといっていいほど反動がきます。
昔はこんなことはまったくありませんでした。
歳のせいか、節子の不在のせいか。

早く元気が出てくるような挽歌を書きたいのですが、どうもなかなかそうはなりません。
困ったものです。

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2014/04/21

■節子への挽歌2414:どんどん歳をとっていきます

節子
久しぶりに、近くに住んでいる、会社時代の同期生のAさんと食事をしました。
6月に同期会を開催するのですが、私が参加しないので、たぶん参加を勧めることもあって、食事を誘ってくれたのです。
私は、同窓会などがあまり得手ではないのです。
節子がいなくなって、ますますその傾向が強くなりました。
そういう場に参加すると、突然に、周りの風景が遠くに感じられ、自分の居場所が見えなくなることがあるようになったためです。

私の同期生は、202人だそうです。
そのうちの1割ほどが、亡くなっているそうです。
そういえば、最近、訃報が届くことが多くなりました。
つい最近も、私の親しい同期生の訃報が届きました。
そういう歳になってしまったのです。

Aさんのことは、節子もよく知っています。
そのAさんも、2年前から体調を悪くし、いまはあまり遠出ができないそうです。
実は先月、会食を約束していたのですが、当日の朝、奥さんから、体調をまた壊し、入院するため延期してほしいと電話があったのです。
今日のAさんは、とても元気そうでしたが、お互いに、何があるかわかりません。
死がいつ来てもおかしくないのです。

食事の後、喫茶店で話していたら、近くの奥山さんが入ってきました。
彼女は私よりも少し年下ですが、介護していた母親を見送って、今はおひとりのようです。
数年前、あるグループをつくった時、会計役を引き受けてくれたのですが、その会のメンバーもみんな歳をとってしまい、最近は活動がほとんどなくなってしまいました。
奥山さんから、最近、集まりがないですね、そろそろ解散したらどうでしょうか、と言われてしまいました。

こうやって、みんなどんどん歳をとって、いなくなっていくわけです。
節子、まあ、そんな歳になってしまいました。
彼岸にいると歳はとらないのでしょうが、此岸ではどんどん歳が進んでいきます。
彼岸が近づいてきているような気がします。

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■節子への挽歌2413:確かなのは、いま、ここに、生きているということだけ

節子
韓国で客船の沈没事故があり、多くの高校生たちが閉じ込められたまま、もう5日間も経過しています。
家族の思いはいかばかりかと思うと心が痛みます。
暗い船室に閉じ込められ、救いも来ずに絶望的な生を過ごすとはなんと残酷なことでしょう。
緩慢な死。思っただけでも、心が震えます。

最近になってやっと「死」という言葉を使えるようになりましたが、
死というのはいかにもあっけないものです。
私自身、いまの次の瞬間に死んでしまうことも十分あります。
死んでしまえば、私自身は、たぶん「次の生」を生きているのでしょう。
もちろん、それがまったく存在しないのかもしれませんが、その時には私自身が存在しないわけですから、死もまた存在しないわけです。
しかし、もし私がいるとしたら、「次の生」を生きているといっていいでしょう。
生は、存在する限り永遠です。
でも、生とは、いかにも頼りなく、不確かで、何の保証もありません。
確かなのは、いま、ここに、生きているということだけです。
節子は、それを実感していた。
節子ともっと話して置けばよかったと、最近、痛切に思います。
いかなる哲学者の書よりも、節子は見えていたような気がします。
節子を見送って、6年半、私も少しだけ、そんなことを感じられるようになってきました。

いま、ここを、しっかりと生きるということは、しかし、簡単なことではありません。
そもそも「しっかり」と、とは何なのか。
流れにあわせて、自然に生きるということとも違うでしょう。
いま思い出すと、節子は感謝しながら生きていました。
今日も夜を迎えられたことに感謝。
朝を迎えられることに感謝。
何事も感謝です。
どうしたらそういう気持ちになれるのか。
私には、難しいことです。

節子も、娘たちも、賛成してくれると思いますが、
私は「ありがとう」という言葉をよく発します。
もちろん「感謝」の気持ちがあるからなのですが、感謝して生きるということは、それとは違う話でしょう。
今、ここに、いることを感謝するということですから。

韓国の客船沈没事故の報道を見ながら、思い出すのは、やはり節子との最後の1か月でした。
思いだすと、いまも、心が震えます。
先に船を下りた船長と、私は同じだったのではないか、そう思うと夜も眠れません。

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■じわじわと値上げが起こっている気がします

消費税増税を契機に、価格の見直しが広がっています。
消費税増税は、私たち国民が決めたことですから、受け入れることにはなんの抵抗もないのですが、それに伴う価格の見直しの動きには、大きな違和感があります。
しかも、インフレターゲットという大義のなかで、値上げへの抵抗がなくなってきています。
それにも危惧を感じます。

驚いたのは、近くのお店に映像記録用のブルレイのディスクを買いに行ったのですが、3月30日に行った時には1980円だったのが、翌週に行ったら、なんと2800円近くに変わっていました。
3月30日に行った時に買えばよかったのですが、その時には寄り道する予定だったので次にまわしてしまったのです。
急に高くなったので、買う気をなくしてしまいました。
似たようなものは、他にもあります。

私は、時々、娘の買い物に同行します。
これは会社時代、エコノミスト的な仕事をしていた時の習慣です。
統計では見えてこない実態の動きを、定点観測していたのですが、その習慣がいまも続いています。
特に、スーパーでの食材の価格の動きは、さまざまな気づきを与えてくれます。

昨年前半までは、たしかにデフレ基調で、これって安くなりすぎではないかなどと思うことが多かったのですが、昨年秋くらいからは、統計的な数字とは別にじわじわと実勢価格の上昇を実感しています。
もちろん価格が上がることは、決して悪いことではありません。
働くことの価値や素材の価値が高まることですから。
しかし、円安で高くなるというのは、私にはうれしいことではありません。
円安とは、私たちの活動の価値が下がるということだと思うからです。
もっとも、円高のおかげで、海外の商品を安く買い込んでしまうということには反対です。
相手先の国の人たちの働く価値や素材を低く評価してしまうからです。
つまり、私は人為的な為替制度を背景にした自由貿易には違和感があるというわけです。
いやそもそも行き過ぎた自由貿易に違和感があるのですが。
ですからTPPには心底反対です。

それはそれとして、消費税増税を契機にした価格見直しの風潮に違和感があります。
5%の消費税が8%になっただけではなく、増税分を自己負担しなければならない零細企業や個人商店がある一方で、どさくさにまぎれて安直に価格が見直されてしまうのは、どうも納得できません。
それ以上に納得できないのは、増税前に購入にあおるような風潮でした。
8%から10%に上がる時にまた、そうしたことが起こるのでしょうか。

エコライフなどという名目で、商品を買え換えさせることにも違和感(エコと反対だろうと思うわけです)がありますが、消費をあおる風潮に抗うことは結構難しく、わが家でも冷蔵庫を買い換えてしまいました。
困ったものです。
しかし、スーパーに定期的に通っていると、どうしても安いものにひかれる傾向が生まれます。
金銭的にはかなり貧しいわが家では、賞味期限が近づいて割引された黄色いラベルがついた商品が冷蔵庫によく入っていますが、私もついついそれでいいかと思って、娘と一緒に行った時に、娘の買い物籠に入れてしまうことがあります。
安く買うのは作り手に失礼ではないかと思うのですが、なかなか言行一致にはなりません。
デフレがいいのかインフレがいいのかも、なかなか判断ができません。
困ったものです。

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■国家はだれのものか

韓国のセウォル号の沈没事故は、言葉がないほどに、痛ましい事件です。
船内に閉じ込められた高校生たちのことを考えると、やりきれなさを感じます。

報道を見ていて、毎回感ずるのは、国家というものの「おぞましさ」です。
事故が発生した時に、日本政府もアメリカ政府も、韓国政府に対して、救援活動への協力を要請したと言います。
しかし、なぜか断られたそうです。
なぜそんなことが起こるのか。
これは、しかし、韓国政府だけの話ではありません。
福島原発事故の時には、日本政府はアメリカ政府の支援の申し入れを拒否しました。

近くにいた人が駅のホームから落ちてしまったら、自らの危険を顧みることなく、その人を助けようとするのは、「人の常」です。
もし何かできることがあれば、国籍が違っていようが、人は助け合う本能を持っているように思います。
実際に、公海上での海難事故の場合、そうしたことが起こるはずです。
しかし、領海内の場合は、そうはならない。
「国家」と言うものが、邪魔をしているわけです。
私たちは、その意味を、しっかりと認識すべきです。
「国家」は国民を守る存在ではないのです。
国家が守るのは、「国家」なのです。
そのことを今回の事件は、まざまざと示しています。

もし、韓国政府が、国家の面子や政治的な駆け引きとは無縁に、すぐに全世界に救援活動への協力を頼んだら、あるいはどこかの政府が協力に馳せ参じたら、事態は変わったかもしれません。
それができなかったのは、なぜでしょうか。
日米からの協力要請を受け入れなかった韓国政府は、国民を見殺しにしたと責められても仕方がありません。
しかし、同時に、協力を受け入れられないことに甘んじた日本はどうでしょうか。
責められることはないでしょうが、後味の悪さは残ります。

国家関係ではなく、隣人との関係で考えてみたら、もう少し実感できるかもしれません。
DVのような問題の場合は、勝手に隣家には干渉はできないといわれますが、私はそれもおかしな話だと思います。
そこに、家族制度のおぞましさを感じます。

国家は国民を守るのではなく、国家を守るということをしっかりと認識すれば、政府の言動の意味がもう少しはっきりと見えてくるはずです。
そして、国家がなければ、戦争もなくなるでしょう。
コラテラル・ダメッジというような、おかしな正当化理論もなくなるでしょう。
個人が生きていく上で、国境はないほうがいい時代になったような気がします。
近代国家の意味を、根本から考え直す時期にきています。
家族制度もそうですが。

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2014/04/19

■節子への挽歌2412:ほんとうによいこと

節子
今日は湯島でフォワードカフェをやります。
この集まりは、自殺のない社会づくりネットワークの交流会から始まったのですが、「自殺」を前面に打ち出すとみんな腰が引けるようで、参加者が固定されがちでしたので、昨年からスタイルを変えました。
ちょっとつまずいたけれど、いつか前に向って進みたいと思っている人たちの、ホッとできる場にしたいと思ったのです。
一挙にそうはなりませんが、継続したいと思っています。
それは、依然、節子とやっていた頃のオープンサロンの精神です。
オープンサロンは賑やかになりすぎてしまいましたが、今回は私自身があまり広く活動していませんので、集まる人たちも純粋にカフェを楽しむ人たちになってきました。
会の参加者が増えて賑やかになっていくことが、必ずしもいいわけではありません。
最近ようやく、そうしたことが頭での判断ではなく、感覚的に納得できるようになってきました。

いろんなスタイルのサロンを、いまもやっていますが、そのおかげでさまざまな人たちに出会います。
さまざまな人生があることを、いつも実感しています。
うらやましい人生もあれば、何かしてやりたくなる人生もあります。
カフェをしながら、いつも思います。
みんなが、お互いに心を開いて、一緒に支え合ったら、世界は豊かになるだろうと。
しかし、その一方で、私自身も含めて、みんなそれぞれに「自分の世界と自分の小さな財産」にどこかで執着しています。
人は支え合わないと生きていけませんが、同時に、自分ひとりの世界を持たないと、生きつづけられません。
本当に、人とは勝手なものです。

しかし、私にとっては、節子との生活は、すべてを投げ出しても、心地よいものでした。
節子さえいれば、財産など何一つなくてもいいと思えていました。
夫婦とは、実に不思議な関係です。

スピノザは、「知性改善論」と言う本で、「一般の生活で通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられ、また私にとって恐れの原因であり対象であったものは、どれもただ心がそれによって動かされる限りでよいとか悪いとか言えるのだと知ったとき、私はついに決心した、われわれのあずかりうる真の善[ほんとうのよいこと]で、他のすべてを捨ててもただそれだけあれば心が刺激されるような何かが存在しないかどうか、いやむしろ、それが見つかって手に入れば絶え間のない最高の喜びを永遠に享楽できるような、何かそういうものは存在しないかどうか探究してみようと」。

私にとっては、その答は存在します。
しかし、「手に入れて」というスピノザの発想は、たぶん間違っています。
「ほんとうによいこと」は、決して、手には入りません。
節子が隣にいて、手に入っていた時には、その意味が私にはわかっていなかったのです。
私の手から離れてからやっと、私には「ほんとうによいこと」とは何なのかがわかりました。

さて、今日はどんな物語に出会えるでしょうか。
もし良かったら、湯島に遊びに来てください。
1時半から3時半までやっています。

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2014/04/18

■節子への挽歌2411:久しぶりの河島さん

節子
節子がいなくなってから、衣服などの買い物にほとんど行かなくなってしまいました。
そのため6年以上経過すると着るものがなくなってきました。
特に、まったく買っていないのが、ビジネスシューズです。
もう7~8年、一足も買っていません。
しかもほとんど履く機会もありません。
背広を着た時だけは履きますが、最近は月に1~2回です。
先日、下駄箱に入っていた5~6足の靴のなかから、無造作に1足を引っ張り出して大阪に履いていきましたが、雨の中を歩いていたら、靴の底がはがれてしまいました。
古い上に、よほど安い靴だったのでしょう。
気づいたのが、新大阪駅に着いた時でしたので、そのまま新幹線に乗りました。
そして大変な苦労をして、何とか帰宅しました。
靴屋の友人から、安い靴はだめだと言われていましたが、その通りでした。
しかし、靴底がはがれてしまうとは、困ったものです。

来週また大阪に行くのですが、あの悪夢を思い出しました。
それで残っていた靴をすべて処分し、新しい靴を1足だけ買うことにしました。
それで近くのイトーヨーカ堂に娘に頼んで靴を買いに行きました。
そうしたら、衣料関係の特売をやっていました。
3割引きなのです。
滅多に行かないので、ついでなので、シャツを買うことにしました。
選んだら、同じのを持っているんじゃないかといわれました。
そういえば、前に買ったシャツと同じものでした。
私は、いろんなものを楽しむタイプではなく、気にいったら、それだけを楽しむタイプなのです。
だからいまもって、節子にこだわっているのでしょう。
困ったものです。
ちなみに、そのシャツは以前買った時の3分の1以下の値段でした。
これもいささか納得できませんが、買ってしまいました。

まあ、そんなことはどうでもいいのですが、その買い物をしていたら、突然、声をかけられました。
転居前に住んでいた家の近くの河島さんご夫妻です。
実に久しぶりです。
「とても気になっていたのですが、お元気そうで何より」、とお2人は言ってくれました。
お会いするのは、節子の葬儀以来かもしれません。
そういう河島さんたちも、お元気そうでした。

「河島さんもお変わりないようで」と応えたら、「いまも貧乏に暮らしています」と河島さんらしい言葉が返ってきました。
それで、ついつい「わたしもそうです」と言ってしまいました。
ちょっと河島さんに失礼だったでしょうか。

河島さんは、東京でお店を持っていた時計職人でしたが、もうお店もやめていることでしょう。
以前、一緒に電車に乗っていたら、私の時計を見て(その時、ある理由でオメガの時計をしていたのですが)、せっかくのオメガが可哀相ですと言って、わざわざ預かっていって磨き直してくれました。
時計嫌いな私は、かなり乱雑に扱っていて、時計の表面ガラスが傷だらけだったのでしょう。
あまりにきれいになって戻ってきたので、使うのをやめてしまいました。
そのオメガの時計は、アポロが月面に到着した最初の宇宙士がはめていたのと同じ時計なのだそうで、あることでオメガからもらい、仕方がないのでしばらく使っていたのです。
河島さんに会うと、あの時に御礼をしたかどうか気になって仕方がありません。
私は、そういうところがかなり非常識で、忘れてしまうのです。
実に困ったものです。

節子が元気だったら、河島さんとの付き合いも続いていたでしょう。
節子がいなくなったために、付き合いが止まってしまった人も少なくありません。

また食事でもご一緒しましょう、と分かれました。
ところが、そのおかげで、靴を買うのを忘れてしまいました。
さて、来週の大阪行きは大丈夫でしょうか。また靴底がはがれないことを祈るばかりです。

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2014/04/17

■なぜ精神障がい者には責任能力がないのか

社会活動をしている知人に攻撃メールが届きました。
書き出しに、自らが精神面で障害をもっていて、これまでも自傷行為を起こしていることなどが書かれていました。
その後も続いたたくさんの攻撃的なメールで、彼は活動をやめてしまいました。
とても残念です。

殺人事件などを起こした場合でも、責任能力があるかどうかが問われることが少なくありません。
そうした状況に、私は大いに異論があります。
なかには、精神面で障がいがあれば、罪に問われないと思っているのではないかとさえ思うこともあります。
さらに言えば、冒頭のメールの送り手のように、精神障がいを逆手にとって、脅かすことさえしてしまう人もいます。
私には、許しがたいことです。
精神面でなにがしかの障がいがあっても、誠実に生きている人への。まさに犯罪行為だろうと思います。

非難されそうですが、私は犯罪行為の責任能力と精神障がいをつなげて考えることに反対です。
それは、逆に、精神障がいをもつとされる人の人権を認めないことだと思うからです。
私には、許しがたい差別発想でしかありません。
しかも、精神障がいは、医療界が「勝手に」に病名をつけて、「病気」にしてしまうことができます。
どう考えても私には馴染めないのです。

精神に障がいがあろうとなかろうと、罪は同じように問われるべきです。
仮に、精神障がいと特定されていない人であろうと、殺人などのようなとんでもない事件を起こす場合は、一時的な精神障がい状況になっているというのが、私の考えです。
ですから、責任能力があるかどうかを、精神科医の勝手な判断にゆだねるのは恐ろしいです。
いささか過激な言い方をすれば、薬をばらまいている精神科医にこそ、罪を負わせたいですが。
昨今の精神科医の混雑状況を考えると、あれは精神科医が精神障がい者を生み出しているとしか思えません。
薬がまったく意味がないとは思いませんが、私には、多くの、いや、ほとんどの精神科医は自らのミッションを忘れて、病気づくりに励んでいるような気がします。
これは精神科医に限りません。
医療界での自浄能力は、もう失われてしまったように思います。

いずれにしろ、精神鑑定で、犯罪の責任能力の有無を決める風潮には、恐ろしさを感じます。
精神障害者の人権をしっかりと認めるべきだろうと思います。

反論が恐ろしいですが。

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2014/04/16

■節子への挽歌2410:「必然」というものへの一種の愛

節子
われわれは単に全自然の一部分であってその秩序に従わなければならない、とスピノザは言いました。
すべては、自然の流れの中で動いている、それに帰依すれば、絶対的な安心が得られるとスピノザはいいます。

昨日は久しぶりに新潟に行ってきました。
5年前から関わっている「ネットワークささえあい」の新潟サロンが始まったのです。
第1回目だったので、私も参加させてもらいました。
佐藤裕さんが参加してくれました。
裕さんも、私と同じく、数年前に家族のひとりを失いました。
会を主催した事務局のお一人である金田さんも、昨年、同じ体験をしました。

家族を失う意味は、それぞれに違います。
一様に考えることはできません。
それに、一般論で考えることもまちがっています。
100歳を超した親とまだ若い子どもとは、その意味は全く違うだろうと考えていましたが、そうではありません。
喪失体験は、それぞれに違っていて、一般化はできません。
そうしたことに気づいてきたのも、最近のことです。
以前は、伴侶を失う事こそが一番辛い、と私自身思いこんでいましたが、そんなことはありません。
喪失体験の辛さは、比較などできないのです。
それは相手の問題ではなくて、自分の問題だからです。
喪失体験とは、他者の死のことではなく、自らの生の問題なのです。
常に悔いが残るのも、そう考えれば、納得できます。
昨日の集まりで、ようやくこの事が、実感できました。
グリーフケアの捉え直しが必要なような気がしてきました。

スピノザは、しかし、そうした別れは、自然の大きな流れの中での「必然」だと断定します。
そう確信すれば、全体的な安心がやってくるというのです。
一種の諦めの勧めのような気もしますが、そうではありません。
そこには「愛」があるといいます。

スピノザの「エチカ」の入門書を読んでみましたが、よく理解できませんでした。
唯一、受けたメッセージは、「必然」というものへの一種の愛をもてるならば、平安な生が得られるだろうということです。
なかなか消化できません。

新潟は桜が満開でした。

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2014/04/15

■新潟に向かっている途中の無駄話

久しぶりに新潟に向かっています。
新潟で友人たちが、「ネットワークささえあい・新潟」を立ち上げているのですが、その第1回目のサロンが開催されるので、久しぶりの新潟に行くことにしました。
会いたい友人もいますし、なによりも最近、出不精になってきている状況から抜け出たいのです。

私はサロンが大好きです。
だから面白い話題を持ってきてくれた人には、軽い感じで、じゃあ、サロンでもやってみたらとそそのかします。
それで開かれたサロンもいろいろあります。

ところが、何か集まりをやろうとすると、みんながんばってしまいます。
参加者をたくさん集めようとか、参加してくれた人に満足してもらおうとか、ついつい考えてしまいます。
だからおっくうになります。
私も、集まりをやる時に、そういうことを全く考えないわけではありません。
しかし、それよりも、ともかく「開く」ことが大事だと考えています。
考えるよりも実践です。
動き出せば、必ず何かが始まることを経験しているからです。
今日の集まりから、新潟でもきっと新しい物語が動き出すでしょう。

来週は大阪で、集まりがあります。
これも参加しようと思います。
関西の人がいたら、ぜひ参加してください。
なんの集まりか、知りたい人は、私にご連絡ください。

このブログやフェイスブックで、小保方さんの会見に関して感想を書きました。
いくつかの反応がありました。
それで、私もメンバーである、NPO法人科学技術倫理フォーラムで話し合いの場を持ちたいと提案しました。
そうしたら、どうせなら公開フォーラムにしようと、代表の杉本さんが言い出しました。
杉本さんと私は、考え方がかなり違います。
しかし、杉本さんは私が尊敬する大先輩なので、思想面では反対できても、こうしたことに関しては、なんとか対応したいと思っています。
それに杉本さんには、たくさんの借りがあるのです。
困ったものです。

杉本さんは、やり方やゲストは任せるから、と言ってくれていますが、カジュアルなカフェサロンというわけにはいかなくなりました。
さてどうするか。
開催は会場の関係で、6月19日の夜になりました。
しかも70人も入れるところだそうです。
今回はちょっと気軽く考えてはいられないです。
まあ、しかし、人間はそう簡単には変われません。
どういう集まりになるでしょうか。
実行委員になる人はいないでしょうか。
いやはや、人生は思うようにはなりません。

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■日本にある大量なプルトニウムを、さらに増やすのか

一昨日の新聞に、「原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す青森県六ケ所村の再処理工場の稼働について、米国が「懸念」を日本に伝えてきている」と言う記事が出ていました。
お読みになった方も多いと思いますが、この動きは、原発がいかに核兵器と隣り合っているかを明示しています。
記事には、「日本がすでに保有しているプルトニウムは44トンあり、数千発の核兵器に相当する」とも書かれています。
44トンのプルトニウムは、数千発の核兵器に相当するそうです。
米エネルギー省のダニエル・ポネマン副長官は昨年4月、「プルトニウムを消費する予定のないまま、再処理で新たな分離プルトニウムの在庫が増えることにならないか、大いに懸念を有している」と話していたそうです。
日本に大量のプルトニウムがあるということの意味を、しっかりと考える必要があります。
それは、明らかに、「テロリストの格好のターゲット」になるわけです。

11日に閣議決定されたエネルギー基本計画には「六ケ所再処理工場の竣工」が盛り込まれています。
私にとっての脅威は、北朝鮮や中国よりも日本国内の原発関係施設です。

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2014/04/14

■節子への挽歌2409:人は一人で生きてはいない

節子
人は自分の人生ではなく、自分たちの人生を生きているのではないかと、最近、強く思えるようになってきました。

節子と一緒に暮らすようになって、私の人生はたぶん一変しました。
価値観も大きく変わった気がします。
最初は、私が節子の価値観を変えようと思っていましたが、価値観は関係性の中で育っていくことを、40年の結婚生活で実感しました。
「社会脳」という言葉がありますが、極端に言えば、脳はそもそも「個人脳」ではないように思います。
人は決して、一人では生きていないのです。

節子が旅立った翌年、秋葉原通り魔事件という無差別殺傷事件が起きました。
その犯人の弟さんが自殺しましたが、その人が残した記事を読みました。
事件が起きた後、家族はみんな人生を変えてしまったのです。
弟さんは、自殺してしまいました。
弟さんは、被害者家族も辛いだろうが、加害者家族も辛いのだと書いています。

家族の一人が、事件を起こすことで、家族は、人生を狂わせます。
事件に限りません。
事故でも自殺でも、近くの人の死は、人生を変えるのです。
人は、一人で生きているのではなく、家族や仲間など、「自分たち」で生きている。
最近、改めてそう思います。

節子がいなくなって、人生を変えてしまったのは、私だけではありません。
まだ結婚せずに自宅に残っていた、娘たちの人生も変わってしまいました。
親としては、それが悔やまれて仕方がありません。
家族は、良い時はいいですが、問題が起こると、シェアしてしまうのです。
たとえば、家族の誰かが、思っていたよりも早く亡くなってしまうと、家族は混乱し、それぞれの人生は大きく狂いだします。
家族の「絆」が強ければ、なおさらです。

人の死は、必ずまわりの人たちを巻き込んでしまいます。
人は、決して一人では死ねない。
私たちは、つながって生きている。
「いのち」は、決して自分のものではないのです。
この頃、そういうことを痛切に感じています。

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2014/04/13

■節子への挽歌2408:農園が少しずつ復活してきています

節子
わが家の農園も少しずつ「畑らしく」なってきました。
まあ、ほんとに少しずつですが。
Farm2_2

写真は1週間前のものですが、きゅうりとトマトとなすを植えています。
今日は、そのとなりに大根のタネを蒔いてきました。
ちょっと古いタネなので、芽が出るといいのですが。

なにしろ空いている宅地を利用しての畑なので、大変です。
節子の時代に、苦労して土壌を良くしてきましたが、節子が農園をできなくなってから放置していたため、また笹が全面を覆ってしまったのです。
2年かけて、何とか笹を抑制してきましたが、根が張り巡っているので、大変です。
その上、放射性汚染のために、表土をかなり削除しました。
だからまさにまた開墾作業をつづけています。

節子は一時期、ピーナッツを植えました。
初めて生のピーナッツを茹でて食べましたが、とても美味しかった。
でも今は、放射性汚染の関係で、土中に生えるピーナッツはちょっと抵抗があります。
大根も迷ったのですが、まあ植えてしまいました。

畑作業はそれなりに大変です。
前にも書きましたが、誰かと一緒にやるとゆっくりと話しながらできるので楽しいのですが、一人だともくもくと作業するという感じで、すぐ疲れてしまいます。
畑にじかに腰を下ろして、休み休みの作業ですが、私は一人で何かを黙々とやるのが苦手なので、すぐ飽きてしまいます。
座り込んで、掘り返した土を見ていると、それなりに面白いのですが、やはり一人では長続きしません。
不思議なもので、節子と一緒だった時には、何であんなに畑作業が楽しかったのでしょうか。それは別に畑作業に限ったことではありません。
どんな退屈なことも、節子と一緒だと楽しかったのかもしれません。
いまは何をやっても、楽しくはありません。
困ったものです。

道沿いは節子の構想では、散歩する人たちのための花畑です。
しかし、道沿いは斜面なのと笹の根が広がっているので、整地が遅れています。
昨年は、中途半端なまま、ひまわりと百日草の種を蒔いたのですが、全滅でした。
今年は、がんばって夏までには花畑にしようと思います。
苗は高いので、庭のプランターに花の種を蒔きました。
うまくいくといいのですが。

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■見事な防災マニュアルづくり

内閣府は4月8日に、平成17年度に策定した「避難勧告等の判断・伝達マニュアル作成ガイドライン」を全面的に見直し、新しいガイドライン(案)を発表しました。
平成17年度にガイドラインを策定した時には、まだ自治体そのものにもあまり現実感はなく、形だけのマニュアル作りが多かったような記憶がありますが、3.11以来、状況は大きく変わってきているように思います。

最近、その作成者から直接教えてもらった2つの防災マニュアルをご紹介します。
マニュアルというものの意味を示唆している事例でもあります。

一つは、茨城県龍ヶ崎市の南が丘自治会の自主防災会が作成した「災害時の防災活動マニュアル」です。
南が丘自治会では、以前から自治会活動として防災に取り組んでいましたが、自治会役員は毎年変わるために、防災知識や自薦的な技術を習得できないということもあって、自治会活動とは別に継続的な組織を立ちあげました。
提案したのは女性たちでした。
提案した理由はもう一つありました。
それまでの防災担当は主に男性でしたが、男性は仕事で昼間はいないため、いざとなると、女性と子どもと高齢者で対応しなければいけません。
しかも、多くの男性たちは大震災が起こると帰宅困難者になってしまいます。
それで、自主的に参加してくれる人たちで、自主防災会を立ち上げたのです。
そして、自分たちで独自に防災マップを作成したり、「防災通信」を発行したり、行政とは別に防災台帳を作成したりしだしました。
そして、みんなで「防災マニュアル」も作成しました。
そういう活動を通して、地域住民同士の付き合いが密になったといいます。
つまり、防災マニュアルを作成する過程で、コミュニティが育ってきたわけです。
それが一番の防災かもしれません。
「防災」の概念も広がり、「まちづくり」にまで発展しつつあるように思います。
そのおかげで、東日本大震災が起こった時には、大きな威力を発揮したようです。
もちろん、出来上がったマニュアルも、常に見直されているでしょう。
まさに「生きたマニュアル」といっていいでしょう。

もう一つは、取手市のとりで障害者協働支援ネットワークが作成した「障がい者のための防災マニュアル」です。
障害者関係のNPOなどが、以前から「要援護者の防災マニュアル」作成の要望を市役所に要請していましたが、なかなか実現しませんでした。
そうした時に、東日本大震災が発生しました。
幸いにこの時は大きな問題は起こりませんでしたが、行政だのみではなく、自分たちで作ろうということになりました。
そこで、「要援護者の防災マニュアル検討委員会」を立ち上げ、障害を持つ人たちへのアンケート調査を実施、それをもとに、市役所、自治会、民生委員、消防署などの関係者とも話し合いながら、2年近くかかって完成したのが、この防災マニュアルです。
大震災以降、各地で要援護者の防災マニュアル作りの動きはありますが、障害者自身が中心になって作成したところは私の知る限りではありません。

いずれも、作成の中心になった人から、お話を聞いたのですが、2つの事例に共通しているのは、次の3点です。
① 当事者が中心になって、自分たちの防災活動として取り組んでいること。
② マニュアルづくりの過程の中で、人のつながりが育っていること。
③ マニュアルができた後も、常に見直しが行なわれていること。

マニュアルは、生きたものでなければいけません。

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2014/04/12

■節子への挽歌2407:「あなたの温かみがなくなって世界が冷たくなった」

節子
タイトルの「あなたの温かみがなくなって世界が冷たくなった」は、ハンナ・アーレントの葬儀で、友人のハンス・ヨナスが語った言葉です。
この言葉に出会った時、なんだか私自身の気持ちのように感じました。
「あなたの温かみがなくなって世界が冷たくなった」。
文脈も、意味も、まったく違いますが、私の思いを表現する言葉です。

しかし、なんと感動的な言葉でしょうか。
節子の告別式では、私にはこういう言葉は出てきませんでした。
また6年以上にわたって、挽歌を書いていますが、そこでもこういう言葉は出てきません。
それどころか、この挽歌は、なかなか目指している挽歌にはなりません。
あまりに、節子との距離感が近すぎるでしょうか。
気のきいた言葉が、いつになっても出てこないのです。
節子と付き合い始めた頃、毎日、節子に詩を書いて送っていましたが、あの頃のほうが、企業の聞いた言葉が出てきていたように思います。
感性がまだ瑞々しかった若さのおかげかもしれません。

今では、心に響く言葉がなかなか出てきません。
そのため、誰かの言葉を借りて、この挽歌を書くことも少なくありません。
まあ、それも一つの節子への挽歌と考えてもいいでしょう。

そんなわけで、今日はヨナスの言葉を節子に贈ります。
「あなたの温かみがなくなって世界が冷たくなった」
夜になると、冷たさがこたえます。

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■「一人ひとりの声が集まれば、世の中は変わる」

「憲法9条を保持し、70年近く戦争をしなかった日本国民」にノーベル平和賞をという、ひとりの子育て中の女性の思いから始まった動きが、ついに現実味を持って動き出しました。一昨日、「ノーベル委員会は2014年ノーベル平和賞の申し込みを受け付けました。今年は278の候補が登録されました。受賞者は10月10日に発表される予定です」という連絡があったそうです。

この話を最初聞いた時には、まさに「眼からうろこ」でした。
過去にもEUが受賞したこともあります。
ですから、憲法9条を守ってきた日本国民が受賞しても、形式的にはおかしくありません。
それに、もし受賞したとなれば、現在の日本政府の動きを抑えていく効果もあるでしょうし、世界の歴史が変わるかもしれません。
それ以上に、ノーベル賞の意味合いが変わるかもしれません。

私自身は、ノーベル賞の「経済賞」と「平和賞」には、なにやら不純さを強く感じていて、どちらかといえば、ネガティブな思いを持っているのですが、もし憲法9条が受賞したら、認識を改める必要がありそうです。
まあ、いささか日和見的ではありますが、制度は利用する人によって、全く違う効果も発揮するものです。
制度や仕組みは、誰にとっても使い方次第で生きてくるものだという認識を改めてもたねばいけません。

これを思いついたのは、座間市の主夫の鷹巣直美さんという人だそうです。
子育てに追われていて、集会やデモに参加できず、自宅でできることを考えた結果のことだそうです。
「参加できないこと」、つまり制約条件があればこそ、生み出されたプロジェクトです。
「できないこと」を嘆くのではなく、「できること」を考えれば言いのですが、私も含めて多くの人は、そうはなかなかならないのです。
しかし、誰にも、できることはあるのです。
その点も大いに学ばせてもらいました。

鷹巣さんの動きに共感した人たちによって、昨年8月に「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会が発足しています。
そのサイトで、賛同者の署名活動がいまも行われています。
http://chn.ge/1bNX7Hb鷹巣さんは、「一人ひとりの声が集まれば、世の中は変わる」と考えているそうです。
心から共感します。


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■沖縄の竹富町の教育委員会に拍手しています

もう30年以上前になりますが、ある懸賞論文に応募するために「21世紀は真心の時代」という小論を書きました。

その論文の書き出しは、「1980年代は、再び反乱の時代である」でした。
1968年に象徴されるように、1960年代から70年代にかけて、世界は多くの反乱を経験しましたが、それがもう少し社会化された形で、1980年代には大きな運動になっていくのではないかと、私は期待していました。
それを踏まえて、21世紀は、真心と寛容が広がっていく時代になるだろうと期待したのです。

その期待は見事に裏切られ、近代を食い尽くした亡霊たちが復活し、金銭至上主義者たちの巻き返しが始まりました。
それが見えてきたので、私は1989年に、その舞台である企業を辞めました。
以来、お金とはできるだけ無縁に暮らす方向へと生き方を変えてきました。

その後も世界はますます人間にとっては住みにくくなってきているような気がします。
しかし、時々、元気が出るようなうれしい話に触れることがあります。

たとえば、今月初めに、青森県で建設中の大間原子力発電所に対して、函館市が「事故になれば大きな被害を受ける」と主張し、国と事業者に 原発の建設中止を求める訴えを東京地方裁判所に起こしました。
たとえば、今朝の新聞に報道されていますが、長崎県の諫早湾干拓事業に関して、漁業者たちが先の裁判で確定したはずの開門を要求する訴えに対して、佐賀地裁が国に対して、2か月以内に判決を実行するように命じました。

細かく言えば、いろいろとありますが、こうした「権威」や「権力」に異を唱える動きが、また広がりだしているように思います。
そうした動きの中で、私にとって、とてもうれしいのは、竹富町の教科書問題への対応です。
前にも取り上げたことがありますが、中学公民教科者の変更を国から求められていた沖縄の竹富町の教育委員会が、国への不服審査を申し立てずに、しかし要求にも応じないと発表したのです。
これは反乱のフェーズが変わったことを意味します。
つまり、民がお上から自立したということです。
私には、そう感じます。
権威や法や制度は、みんながそれに従えばこそ、意味があります。
お金もそうで、みんながその仕組みにしたがっているからこそ、意味があります。
お金はみんなが価値があると思うから1枚の紙切れで商品が買えるわけですが、お金への信頼感がなくなれば、何の役にも立たない紙切れになってしまいます。
先月話題になったビットコインは、そうしたことの脆さを実際に感じさせてくれました。
つまり、制度や仕組みは、それが仮に民を支配し制約するものであっても、いやそうであればあるほど、それを支えているのは被支配者なのです。
被害者が実は加害者になっているというのが、世界の実相です。

権力にとって、あるいは秩序にとって、それに抗う存在は、実は好都合な存在です。
タリバンがいればこそ、アメリカはアフガンやイラクを攻撃できました。
戦力を増強するには、北朝鮮の存在や領土問題での顕在化は好都合です。
ですから、権力に抗い反乱を起こすのではなく、権力の支配や管理から自らをはずせばいいだけの話なのですが、これがなかなかできません。
あまりにさまざまなしがらみに、がんじがらめになっているからです。
しかし、それもまた「思い込み」かもしれません。

権力で何が一番恐ろしいかといえば、実体のない「場の空気」です。
みんなで議論していたら、参加者の誰も考えていなかった結論になってしまったという話はよく聞きます。
とりわけ最近は、「場の空気」を読まなければ非難されるという、馬鹿げた社会になってきています。
私も会社時代に自分で経験しましたが、禁止もされていないのに、組織人としてはこれはやってはいけないだろうとか、上司にはこれは言うべきではないとか、と自己規制することがありました。
しかし、それを吹っ切ってしまうと、意外とできてしまうものです。
もっとも、私の場合、それをやってしまって、役員に呼ばれて、辞表を書けと言われたことが2回ありましたが、書かずにすみました。
つまりやろうと思えばできるのです。
しかし、それは結構疲れます。
それも私が会社を辞めた理由の一つです。

話が拡散してしまいましたが、竹富町の教育委員会に共感しています。
まだそこで問題になっている2つの教科書を読んでいないので、内容的なコメントはできませんが、きちんと読んでみようと思います。
なかなか入手できずにいるのですが。

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2014/04/11

■原子力信仰から抜けられない日本

政府が、新たなエネルギー基本計画を閣議決定しました。
それによると、原発は「重要なベースロード電源」とされ、民主党政権が打ち出した「原発ゼロ」から方針を大きく転換し、原発再稼動が進められそうです。
あれだけの原発事故によって、これほどの甚大な被害を受け、今なお、収束の目処さえ立っていないにもかかわらず、いったい閣僚たちは何を考えているのだろうかと驚くばかりです。

これに関して、最近、読んだ大澤真幸さんの指摘が、とても納得できます。
大澤さんは、「原子力国家」として、日本の行く末を危惧しているネグリの講演記録をまとめた、「ネグリ、日本と向き合う」(NHK出版新書)のなかで、こう書いています。

端的に言えば、「原子力」は、どこか神のように、あるいは救世主のように崇められ、信じられてきたのだ。「それ」があることによって、われわれの基本的な安全や幸福が保証されるような何かとして、「原子力」は、この地上に降臨した。日本人は、はっきりとした自覚をもたずに、原子力を信仰してきたし、今でも、その信仰を棄てられずにいるのだ。
原発ゼロになると、雇用も失われ、エネルギー価格が高くなり、成長もできなくなる、という、まことしやかな俗説に洗脳された日本人は、口にするのもおぞましいほど、邪教の信者に成り下がっているとしか私には思えません。
論理の組み立て方が、全く逆なのですから。

同書に詳しく書かれていますが、「原子力国家」はnuclear stateの訳で、原子力発電を推進する産官学メディアの癒着構造が国家体制の中核を支配し、主権を乗っ取っている国家のことです。
ネグリは、こう書いています。

高度な原子力技術は単に産業政策の帰結ではない。それは、その物質的な機構の維持を挺子として、テクノクラート組織とメディアによって資本主義の支配を保障し、民主的なプロセスの「例外状態」をつねに強制する「原子力国家」の絶対的なオプションにほかならない。
重要なことは、原子力は経済の問題ではないということです。
また、以前も何回か書いていますが、原爆(核兵器)と原発(核の平和利用)はコインの裏表です。
同書で、白井聡さんが指摘していますが、核の平和的利用とは、実質的に「核兵器をつくる技術」にほかならないフロントエンド事業(ウラン濃縮等)・バックエンド事業(使用済み燃料再処理、プルトニウム抽出等)なのです。
私たちはこのあたりをもっとしっかりと理解しなくてはいけないように思います。

ちなみに、この本で白井聡さんは、ネグリの科学技術変質論を踏まえて、国家による科学技術の包摂による「原子力-主権国家体制」論を展開しています。
とても共感できます。

マンハッタン計画に代表されるように、そこでは科学技術の営為は国家の全面的な支援を受けて、第一線の科学者が大量に動員される巨大プロジェクトとして展開された。言うなればそれは、国家による科学技術の包摂であった。
主権国家体制が崩れだしているなかで(これがネグリの時代認識ですが)、原発〈=核兵器〉にしがみつく主権国家とは何なのかを、私たちはしっかりと考えたいものです。
エネルギー計画は、主権国家の存命のためにではなく、人々の生活の視点で考えられなければならないと思います。

原子力信仰からの解放を、私の周りの人から働きかけていますが、なかなか呪縛は強いです。

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■節子への挽歌2406:愛する人から奪われていく

節子
久しぶりに小学校時代の同窓生に会いたくなって、大森に行ってきました。
小学4年から中学1年まで、私は大森で育ちました。
今では、大森に住んでいる同窓生は少なくなってしまいましたが、今日、会ったのは靴屋の基之です。
急に電話したのですが、わざわざ駅まで出てきてくれて、美味しいうなぎをご馳走してくれました。
自分の靴屋のお店は臨時休業にしてきたそうです。
彼は親父さんのあとを継いで、靴屋をやっていましたが、名人だった親父さんのような良い靴は自分には作れないと作るのをやめてしまいました。
巨漢で、いまは独り身なので、いつもちょっと気になっています。
これほどのお人好しはいないというほどのお人好しですが、最近は靴は売れないと言っていました。

彼と、もう2人ほど、親しい仲間がいるのですが、それぞれにいろんな問題があって、最近はなかなか会う機会もありません。
小学校時代の同窓生でいえば、男性は5人ほど亡くなっていますが、そのうちの3人は、小学校時代には私ととても仲良しでした。
子どもの頃、一番よく遊んだのが、その3人でした。
よりによって、なぜその3人が亡くなってしまったのか、一時はちょっと気になりました。
私に親しい人が、先に旅立っていく。
まあ、そんな気さえしたこともあります。

これは小学校時代の同窓生に限ったことではありません。
なぜ、よりによって彼が、と思う体験は少なくありません。
しかし、これは、私だけの話ではないのでしょう。
人はみんな自分中心に考えますから、そういう印象が残ってしまうのでしょう。

「愛する人から奪われていく」。
私には、そんな気がしてなりません。
まあこんなことを言うと、いま残っている人は、どうでもいい人なのかと怒られそうですが、そんなことは決してないのですが、子どもの頃、仲がよかった友からなくなってきているのは事実です。

久しぶりに会ったといっても、特に用事があったわけでもありません。
しかし、話しているときりがありません。
幼なじみとはそんなものなのでしょう。
少し元気が出てきましたが、うなぎのせいではないでしょう。
無垢の世界に立ち返ると、人は元気になるものです。
ちなみに、私にとって、節子との関係は、まさに「無垢」の関係でした。
お互いに完全に正直になれましたし、駆け引きなどは不要でした。
お互いに隣にいるだけで、心が落ち着きました。
そういう関係性は、一朝一夕には出来ません。
お互いに、それなりの努力を重ねた結果でもありました。
もう、そういう自らを完全に開放できる関係を体験する事は無理でしょう。

別れた後、また少しややこしい相談を受けている人に電話しました。
みんな基之のように、無垢な生き方をしていると社会は平和なのですが。
基之との時間でもらった元気は、やはり1日で消費してしまいました。
社会は、壊れているとしか思えません。

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2014/04/10

■節子への挽歌2405:生まれ変わり

節子
ちょっと面白いインタビュー記事を雑誌で読みました。
話しているのは、東大教授の岡ノ谷一夫さん。
こんな話です。

私が私の個別の意識をもっているということは、どう考えても特殊すぎる感じがする。
だから逆に、私が今もっている意識には遍在性があり、今の私が消滅したあとに別の人の中で再構築される可能性もあるのではないか。

「今の私が消滅したあとに別の人の中で再構築される可能性もある」。
これだけ読むと、何かオカルト的ですが、岡ノ谷さんが言っているのは、自分の意識もさほど特殊なものではなく、いろんなところで生じる意識のうちの一つであり、たまたま区分けられたものでしかないと考えると、いろんなことが見えてくる、といっているのです。

広い世界の中には、私と同じ意識の人、つまりもう一人の私がいるかもしれないと考えると、世界は違って見えてきます。
もしかしたら、どこかに私がいる。
あるいは、いつかまた私が誕生する。
言い換えれば、どこかに、あの節子もいる、ということです。
こういう話を重ねていくと、わけのわからないオカルトの世界に入りかねませんが、しかし意識とか心の問題を考えていくと、オカルトとは別の世界を感ずることができるようになってきます。
そして、彼岸に届きそうで、届かない、もどかしさを感ずるようになります。

岡ノ谷さんは死後の世界はないと断言しています。
つまり、死んだらもう全部終わりだというのですが、最近は生まれ変わりということにも興味を持つようになってきたといいます。
意識や心の問題、あるいは言語の問題を考えていくと、たぶんそうなっていくのでしょう。

最近、こんな話が多くなってきてしまいました。
私の心境の変化のせいかもしれません。

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■「ネットワークささえあい・新潟」がゆっくりと動き出しました

私が取り組んでいるコムケア活動は、ゆるやかなオープンプラットフォーム、ネットワークを目指しています。
そこから生まれたサブネットワークもいくつかありますが、さらにそこから生まれてサブサブネットワークもあります。
もっともサブでもサブサブでも、みんな同じ関係で捉えています。
ネットワーク構造よりも、ほんとはリゾーム構造にしたいからです。

まあそんなややこしい話はともかく、ネットワークささえあい・新潟がいよいよ具体的に動き出しました。
そのキックオフも兼ねて、次のようなカジュアルな集まりを開催します。
私も久しぶりに新潟に行く予定です。

よかったら参加してください。
だれでも歓迎のカフェサロンです。
会場でお会いできるとうれしいです。

○日時:2014年4月15日(火曜日)午後1時半~3時半
○会場:新潟市関谷地区公民館
○会費:500円

詳しくは下記をご覧ください。
http://homepage2.nifty.com/CWS/niigatasalon.jpg

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■節子への挽歌2404:伴侶がいなくなった後

節子
こんなデータがあるそうです。

60歳以上の女性では、「夫が生存している」ほうが「生存していない」場合に比べて死亡リスクが2倍高く、男性では「妻が生存している」場合には死亡するリスクが半減する。

とくに75歳以上の場合、この傾向が強いそうです。
夫婦というものは、伴侶の寿命にも大きく影響する。
しかし、男性と女性とでは、逆だとは、複雑な気分です。
夫にとって妻は命を支える存在だが、妻にとって夫は命を脅かす存在というわけです。
いささか納得できない気がしますが、なんだか分かるような気もします。
たしかに、節子がいたおかげで、私はどれほど生きやすかったことか。
ということは、それだけ節子が苦労していたということかもしれません

言い方を変えると、女性は一人でも生きられるが、男性は一人では生きられない、ということでもあります。
あるいは、親子関係が影響しているのかもしれません。
しかし、いずれにしろ、伴侶のいなくなった男性は元気をなくし、伴侶のいなくなった女性は元気になるということです。
そういわれると、たしかにそうした事例は周りにもあります。
私自身も含めてですが。

死亡リスクが倍増したにもかかわらず、私はもう6年半、生きています。
これは、われながら驚きです。
節子もまさか、6年ももつとは思っていなかったでしょう。
しかしまあ、この6年、ある意味では死んでいたようなものです。
死ぬことさえ忘れてしまっていたのかもしれません。
最近、かなり精神が正常化してきましたので、問題はこれからかもしれません。

死亡リスク倍増の中で生きることは、それなりにスリリングで楽しそうです。
ルールを破るのは、楽しいことですし。

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2014/04/09

■節子への挽歌2403:自分の創作世界の中で心を安定させる行為

節子
挽歌をだいぶ書かなかったので、藤井さんが出てきたついでに、もう一つ書くことにします。
おなじインタビュー記事で、藤井さんはご自分が開発されたSR(代替現実)システムでの実験の話をされています。
その実験とは、頭部装着型のディスプレイ装置を使い、目の前の現実映像と予め記録された同じ目線での360度映像を、同じディスプレイで途中で切り替えて見せていくと、記録された過去のシーンと目の前の現実シーンの区別がつかなくなるというようなものです。
そういう実験を重ねてきて、藤井さんは、私たちが実感している現実もまた、すべて脳内現象として説明できるといっています。
極端に言えば、そうした技術を発展させていけば、現実もまた思いのままにつくれるということです。
映画「ソラリス」や「トータルリコール」は、まさにそうした話ですし、1960年代から70年代にかけての日本のSFにも、同じテーマの話がいくつかありました。
それが現実味を帯びてきたというわけです。

もしかしたら私が生きているあいだに、此岸において、節子に会えるようになるかもしれません。
だからといって、会うかどうかは、決めかねますが。

話がまたそれました。
私が今回書こうと思ったのは、そういうことではなくて、現実とはいかにもあいまいなものだという話です。
絶対的に何かがあるわけではなく、僅かばかしの素材を、自分に都合の良いように、物語に仕上げているのが、認識であり体験だということです。
同じ現実を観察しながらも、その認識や記憶は、人それぞれだとも藤井さんは、書いています。
それでは共に生きてはいけないので、共通の尺度を作り上げてきたのが人類だとも書いています。
私のように、そうした共通の尺度や常識になじめない人間にとっても、その仕組みの恩恵は計り知れないほどに大きいです。
しかし、そこからくるストレスもまた大きい。
それを解消してくれていたのが、節子だったと、最近、これも改めて気づきました。

また話がそれました。
あいまいな現実ということを踏まえると、この挽歌で書かれている私の記憶は、すべて創作かもしれません。
事実、娘からはかなり創作だと指摘されています。
私には全くそういう思いはないのですが。
挽歌を書くとは、自分の勝手な世界の中で、心を安定させる行為なのかもしれません。

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■節子への挽歌2402:明日のことを考えるから辛くなる

節子
本でこんな話を読みました。

京大霊長類研究所で飼っていたチンパンジーが大怪我で寝たきりになってしまったのですが、そのチンパンジーは、悲観することなく、寝たきりのまま生活を楽しんだそうです。
それを観察した松沢哲郎さんは、チンパンジーはそもそも明日のことなんか考えないし、今現在は生きているのだから、悲観する理由がないんだと気づいたといいます。

わが家のチビ太も2年間、老衰のため寝たきりでした。
彼が、それを楽しんでいたかどうかはわかりませんが、悲しんだり嘆いたりはしていませんでした。
いや、松沢さんほど確信はありませんが、そんな気がします。

その話を紹介している、いま話題の理化学研究所の藤井直敬さんは、「明日のことを考えるから楽観や悲観が生まれる。チンパンジーのように主観的な「今」だけの存在であれば、生きることは結構楽なことかもしれませんね」と書いています(「談」99)。

とても納得できる話です。

未来は勇気や生きる喜びを与えてくれますが、同時に苦しみや不幸も引き起こします。
今だけを、刹那的に生きることができれば、たぶん人生は面白くなるでしょう。
しかし、それは「人生」とはいえないかもしれません。

節子も、3~4か月ほど、ほぼ寝たきりになりました。
あの時の節子は、どうだったのでしょうか。
それは確信をもてません。
では私はどうだったか。
今から思えば、未来ばかりを見ていて、現在をおろそかにしていたかもしれません。
節子を治すことしか考えられずに、あるいは治った節子ばかりを見ようとしていて、現在に誠実に立ち向かわなかったような気がしてなりません。
そしてさらに思いを進めれば、実は辛くなるがゆえに、楽しい未来しか見ようとしなかった。

節子は現在を生き、私は未来を生きていたがゆえの、すれ違いがあったのです。
いまさらこんなことに気づいても意味がないのですが、最近、ようやくそうしたことにも気づきだしました。
節子が繰り返し話していたように、人は今を生きなければいけません。
改めて、その意味をかみしめたいと思います。

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■STAP細胞事件に関する小保方さんの会見

STAP細胞事件に関連して、小保方さんの会見がいま終わりました。
予定では2時間だったようですが、2時間半になりました。
この問題はとても重要なことだと私には思えたので、今日は予定を変更して自宅でずっと見ていました。
見ていて、理化学研究所のひどさが垣間見えてくると同時に、アカデミアの世界やマスコミのひどさも感じました。
予想に反して、私自身の小保方さんへの印象はかなり変わりました。
もちろん小保方さんに大きな問題があることを前提として、ですが。

一番の問題は、小保方さんと理化学研究所、小保方さんと取材者(マスコミ)とのやりとりが、予想以上に不十分であることが見えてきていたことです。
それにしても、小保方さんに対しては、ほぼすべての人がいまや、否定的というか、悪意で接しているのには驚きました。
今日の会見の質問にも、悪意を感ずるものも少なくありませんでした。
それとともに、小保方さんが、独力で(会見場の費用だけでも35万円ほど個人負担したそうです)がんばっている姿には、たくさんのことを学ばせてもらいました。
権威や権力に抗うとはこういうことだろうと思います。
見習わなければいけません。

私には、なにが正しいかは判断できませんが、権力的に切り捨てたような理化学研究所の発表には、生理的になじめません。
野依理事長も私にはどうしようもない非科学者にしか思えません。
これが現在の科学者たちの現状かとさえ思えます。
まあそれはいささか言いすぎかもしれませんが、まずは自らを問い質すことからはじめてこそ、人を問い質すことはできるはずです。

もっとも、小保方さんが、根っからの嘘つきだとしたら、私も見事にだまされているわけですが、しかし、仮にそうだとしても、可能性がゼロではないSTAP細胞の研究に小保方さんの思いを向けてほしいと思います。
問題の立て方を間違ってはいけません。
こうして失ってきたことが、たくさんあるように思います。
小保方さんを支える研究者が、理化学研究所には一人もいなかったはずはないと思いますが、その人たちが動き出さないような組織は、さびしい組織だなと、改めて思いました。
組織のボスができることは、メンバーを守ることだけでしょう。

それにしても、勝てば官軍の文化は、相変わらず強いようです。
判官贔屓の文化はどこに行ったのでしょうか。
この風潮に、私はどうしてもなじめません。

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2014/04/08

■節子への挽歌2401:生きるとか死ぬというのは、他者がいればこその概念

節子
人間は、結局はひとりなのだと、よく言われます。
ひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいくとも言われます。
この言葉には、私はまったく同意できません。
人は、どんな場合にも「ひとり」ではありません。
だれかがいればこそ、生まれてこられたし、死んでもいける。
生きつづけられるのも、だれかがいればこそでしょう。
地球に一人残されたら、生きるという意味がなくなるはずです。
生きることと死ぬことさえ、別のことではなくなってしまうでしょう。
生きるとか死ぬというのは、他者がいればこその概念です。

人が、個人としての意識や存在を得たのは、5000年前頃だという説もあります。
言語ができたおかげだとも言われます。
私にはとても納得できます。
それまでは、個としての生とか死とかいう概念はなかったのかもしれません。
いや、もしかしたら、それはそんな古い話ではないのかもしれません。
映画やテレビドラマの時代劇を観ていると、ばったばったと人が死んでいく場面がありますが、当時は、まだ「個の死」という概念が自覚されていなかったのではないかと思います。
そうでなければ、あんなに無造作に人は死んだり殺したりしないでしょう。
家族のために死ぬという場合、その死は、もしかしたら、生きることを意味していたのかもしれません。

先週、友が亡くなりました。
関西に住んでいることもあって、2~3年に一度くらいしか会うことのなかった友人です。
手紙やメールも、年に数えるほどでした。
息子さんが、教えてくれました。
おかしな話ですが、友人が死んでも、私の生活にはほとんど影響がありません。
会う機会が少なくなっただけだと考えることもできます。

これまで多くの友人の訃報を受け取りました。
しかし、最近、誰が死んでいて誰がまだ存命なのか、記憶が曖昧になってきました。
これは「老人性痴呆」のせいかもしれませんが、もしかしたら、そうではなく、存命かどうかはあまり意味のないことであるが故に、記憶が曖昧になるのではないかという気がしてきました。
毎日会うような家族でなければ、生死はあまリ問題ではないのです。
たとえ亡くなったとしても、私の中にしっかりした記憶があれば、生きているのと同じです。
なにやらめちゃくちゃな議論のようにも思えますが、今でも鮮明に記憶している亡くなった友人もいます。
彼は、私の生活の中では、いまもなお生きている気がします。

そういう意味では、節子もいまなお、生きています。
死んでしまったのがさびしいのではなく、会えないのがさびしいだけなのです。
死者と会える方法はないものでしょうか。

孤独死や孤立死も、決して、一人で死んでいくのではないでしょう。
必ず誰かを思い出しながら、誰かに見守られながら、旅立つのだろうと思います。

スピノザのことを、ある本で読んで考えたことです。
スピノザを少し読んでみようと思います。

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2014/04/07

■節子への挽歌2400:怠惰な1日

節子
今日は昨日の予告通り、自宅でゆったりとしました。
ゆったりとしたという意味は、何もしないという意味ではなく、思うがままに過ごしたと言うことです。

午前中は娘たちにも応援してもらって、畑仕事をしました。
荒れ放題だった荒地農場が、少しだけ整地され、そこにトマトときゅうりと茄子を植えました。
節子がいたらもっといろいろと植えたでしょうが、私一人でケアするのはこれが限度かもしれません。
しかし耕した面積はまだかなり残っていますので、もう少し何かを植えようと思います。

畑仕事を手伝ってもらったお礼に、最近、食べていないうなぎをご馳走しようと思ったら、なぜかみんなカレーが食べたいと言い出しました。
私が最近かなり貧乏なのを気遣ってくれたのでしょうか。
それで、ハリオンという近くのネパールカレーのお店に行きました。
このお店は、美味しい上にとても安いのです。
特に昼間は、夜の料金の半額です。
今日はなんとかセットというのを食べましたが、カレーは2種類選べて、ナンとライス、スープとサラダ、デザートヨーグルトと飲み物までついているのです。
さらにネパール風の餃子のようなものや豆でできたせんべいまでついていました。
それで1000円です。
どう考えても安すぎます。
でもそれでやっていけるのでしょう。
働いているのはみんなネパールの人のようですが、みんなとても明るいです。
やはり日本人は、生き方や働き方を間違っているような気がします。
話がおかしな方向に進んでいますが、まあ気持ちのよい昼食でした。

帰宅したら、早速、電話が入りました。
でもまあそれは早々に切り上げ、昨日再放映された英国のテレビドラマ「シャーロック」を見ました。
これはもう数回見ていますが、筋書きではなく、シーンごとの面白さを味わえます。
ついでにこれも録画していた韓国歴史ドラマ「テジジョン」もまとめて見ました。

夕方、週に何回か届くはがきツイッターが届きました。
箱根で俗世間の汚れを洗い落としてすっきりしましたかと書かれていました。
あんまりすっきりしていません。

今日は、壊れてしまっているホームページを直そうかと思っていましたが、そこまでたどりつきません。
そのため、明日も、もう1日、在宅でのんびりと過ごそうかと思い出しています。
人は限りなく怠惰になれるものです。
そういえば、これは節子のいる時から気づいていたことです。
節子がいない今、怠惰になることの恐ろしさも知っていますので、いささかの躊躇はありますが、まあいいでしょう。

でも、何か、とても大切なことを忘れているような気がしてはいるのですが。
困ったものです。

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■第3の死

しばらく時評を書かずに来ました。
書きたいことが山のようにあったのですが、書いたところでどうなるのかという気分が強まっていました。
あまりにおかしなことが、続いていたからです。
時評を書くことは、ある意味で、自らの感覚を高め、自分の価値観を問い質しつづけることです。
ですからそれなりに疲れますし、その価値観に反することが、どんどんと増え続けていくことに疎外感が強まります。
時に共感したというメールが来ますが、だからと言って何かが変わるわけでもありません。
その一方で、時代はどんどんと大きな流れに沿って進んでいく。
その流れに抗うことは、居心地のいいものではありません。

でも、だからといって、何も言動しなければ、自らに素直でないことにもなります。
隠棲という生き方には、憧れはしますが、私の主義にはやはり合いません。
人の生は全てとつながっているからです。
自分だけ止まっていては、私の価値観では、フェアではありません。

たとえば武器輸出禁止3原則が破られてしまいました。
事実的には、原発輸出した時に、武器輸出は始まりました。
最近ようやくその認識が出てきましたが、原発は武器以外の何物でもありません。
だからそう驚きませんが、しかし胸を張って武器を作り出すことが奨励され、日本もアメリカのような産軍癒着の向うのかと思うと、気が重くなります。

たとえば函館市の市長が国を訴えました。
それにつづく市町村はないのかと不思議に思います。
いやたぶん拍手を送っている市町村の首長は少なくないでしょう。
でもなんで声を上げないのか。

STAP細胞事件はいつの間にか小保方事件になってしまっていますが、それでいいのか。
理化学研究所の人たちの記者会見を見ていると、3年前の東電の記者会見を思い出してしまいます。
全くも、何もかも変わっていない。

最近は新聞やテレビのニュースを見る気も起きません。
こうやって人は死んでいくのでしょう。
社会の動きへの関心を失い、目先の問題にのみ目を向けるようになってしまったら、それは社会に生きているとはいえないでしょう。
クリスチャン・ボルタンスキーは、「人は2度死ぬ」と言っています。
生命的な死が「第1の死」、その人の存在を記憶する人がいなくなってしまう時が「第2の死」です。
しかし、どうも「第3の死」があるようです。
それは、社会への関心を失った時です。

ボルタンスキーの「第二の死」は、生命の死の後もなお、人は生きつづけていることを示唆していますが、私が気づいた「第三の死」は、生命が続いていても、人は死ぬことができることを示唆してくれています。

これがこの数日、ネットから離れていて、気づいたことです。
私の第4四半期の生き方が、少し見えてきた気がします。


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2014/04/06

■節子への挽歌2399:自分のための日

節子
また挽歌が書けない数日が続きました。
挽歌だけでなく、時評ブログもホームページの更新もできずにいました。
もしかしたら、なぜ書けないのだろうかと気にされた方もいたかもしれません。
最近の挽歌は、元気がなくて暗い挽歌が多かったですし。

たしかにいろいろとありました。
めげてしまったり、電話などのやりとりで疲れてしまったり、ちょっと仕事で出かけていたり、パソコンが不調だったり(まだ10年前のXPです)、不幸な気分になったり、いろいろでした。
しかし、私自身は、体調が悪いわけでも、家が火事になったわけでも、借金取りに追い立てられたり、事故にあったわけでもありません。
それなりに元気でもあります。
しかし書かないまま数日が過ぎてしまいました。
最近、どうも「書くこと」へのモチベーションが低いのです。
書きたいことは、それこそ「山のように」あるのですが、書くことにどういう意味があるのか、と思ったりするわけです。
もちろん基本的には自分のために書いていますから、書くことそのことに意味がある。
生きる意味が問題なのではなく、生きることに意味があるというのと同じことです。
でも、時にふと思います。
何をやっているのだろうか、と。
節子がいた頃は、よくそういう問いかけをして、節子に呆れられていたのですが、今は誰にも問いかけられません。
思いは、言語化しないと前に進めなくなることがある。

まあ、そんなわけで、ブログに書けない日が続いてしまいました。
ホームページは、追加料金を払っていないために容量がパンクしてしまい、更新できなくなってしまったのです。
いささか節約しすぎてしまいました。
貧すれば鈍すとは、このことです。
いやはや困ったものです。

明日は、「自分のための日」にして、生活を立て直します。

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2014/04/01

■節子への挽歌2398:第4期のはじまり

節子
挽歌2395で書いたように、今日は、私にとっての第4期の初日でした。
どういう生き方にしようかはまだ決まっていないのですが、せめて始まりだけでも、気を引き締めて、と思って、畑に行って、最初の鍬を入れてきました。
ところが、です。
3坪ほど耕したところで、鍬の柄が折れてしまいました。
鍬を畑に野ざらしにしてたために、腐ってしまったのかもしれません。
縁起がわるいと思いながらも、今日はきちんとやろうと、その後は、シャベルと鎌で何とか目標の広さを耕し終えました。
私としては、まあがんばったほうです。

その後、最近出版された新書の「ハンナ・アーレント」を読みました。
アーレントは、映画を観て以来、実は少し熱が冷めてしまっているのですが、それでも面白かったです。
まあ、そこまではとても良い日になりそうでした。
ところが、人生はそんなに甘くはありません。

夜、今日は早目にお風呂に入って、今度はネグリを読もうと思っていたら、友人から電話がありました。
少し深刻な相談です。
今朝、電話した時には、心配事はおさまったと言っていたのですが、それがまた動き出したというのです。
私ひとりではちょっと手におえないので、専門家にも電話をしたりして、ばたばたしてしまいました。

その合間に、メールをチェックしたら、訃報です。
先日、挽歌でも書いた親しい友人が亡くなったそうです。
予想していたとは言うものの、気持ちがすっかり萎えてしまいました。
しかも節子と同じ病気でした。

私の第4期は、こうして、めげそうな気分の中で始まりました。

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■節子への挽歌2397:菜の花は食べられてこそ喜ばれる

節子
今日は、私にとっては、新しい四半世紀の始まりでもあるので、自宅で過ごすことにしました。
畑の仕事も、今日からはじめようと思います。
一人ではなかなか畑にまで行く気にもならないのですが。

近くの菜の花畑が満開です。
道を歩いていても、菜の花の香りが届きます。
まさに春を感ずる日です。

菜の花と言えば、いろんな思い出があります。
最初に生活をはじめた滋賀県大津の瀬田の借家の近くにも菜の花畑がありました。
2人で出かけた記憶は、いつでもかなり鮮明に思い出します。
いまはもうなくなっているでしょうが。

近くの菜の花畑は、希望者にはわけてくれます。
この時期になるといつも娘が思い出す話があります。
娘と節子が一緒に、この菜の花畑に行った時の話です。
他の人たちは、菜の花を観賞用として花の部分だけを切り立っていたのに対して、
節子はかなり下の方から切り取ったそうです。
1本単位で料金は決まっていたようですが、同じ1本でも、節子の1本は他の人の数本に相当したようです。
なぜ下から切ったのかと言えば、花の観賞後、食べるためだったそうです。
いかにも節子らしいです。

娘に言わせると、節子も私に似て、常識が欠落していたそうです。
そういわれれば、そうかもしれません。
私には常識が欠落していることは自覚していますが、その私と波長が合ったのだから、節子にも常識はなかったのでしょう。
いやはや困ったものです。

菜の花のおひたしのほろ苦さは、私はあまり好きではありませんが、食べるたびに思い出すのがこの話です。
さてそろそろ畑に行ってきます。
節子がいたら、いい野良仕事日和なのですが、一人ではどうも足が重いです。
かなりの重労働でもありますし。

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