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2014/04/29

■節子への挽歌2423:大切な相手がいると人は弱くなる、だろうか

節子
昨日、ドラマで聞いたセリフに言及しましたが、もうひとつ記憶に残ったセリフがあります。
それはイギリスのテレビドラマ「シャーロック」に出てくるセリフです。

ホームズの兄のマイクロフトは、原作とはかなり違ったキャラクターになっています。
彼が、ホームズの相棒であるワトソンに話すセリフに、こんなのがあります。

大切な人がいると人は弱くなる。
なにもマイクロフトのセリフを引用せずとも、これはドラマや映画の基本にある考えです。
冷酷な殺し屋には、多くの場合、家族はいないですし、誰かを愛したためにダメになってしまう殺し屋もよく登場します。
「大切な人」がいると、その人を守るために制約や迷いが生まれるからです。

しかし、逆に、「大切な人がいると人は強くなる」というドラマもあります。
大切な人を守るためであれば、なんでもしてしまうということです。

これは同じことを言っているのかもしれませんが、同じこともちょっと視点を変えると全く正反対な表現になることの一例です。

ところで、「大切な人」がいなくなってしまったらどうなるのか。
大切な人を奪った相手が特定できるのであれば、そこへの怒りが生きる力を与えてくれます。
前に挽歌でシリーズ的に書いた映画「ブレイブワン」は、その一つです。
最近話題のテレビドラマ「MOZU」の主役の一人である、公安警察の警部は、妻を事件で失うのですが、その真相を知りたくて、暴走的な行動に出ます。
彼が妻を愛しているかどうかはわかりませんが、「大切な人」であることは間違いありません。
「大切な人」がいなくなってしまったら、もはや何も失うものはなくなり、どんなことも怖くはなくなるのでしょう。
大切な人がいなくなると人は強くなれますが、それは大切な人がいたからです。
つまり、人が強くなるためには、大切な人がいなければならないのです。

マイクロフトがいう「大切な人がいると人は弱くなる」ということの根底には、キリスト教的神が存在します。
神への帰依か大切な人を守ることか、というテーゼです。
しかし、人は大切な人がいればこそ、強くなれるのです。
神にも抗うほどに、です。

私は、神よりも、大切な人の思いに、従いたいと思っています。

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