■節子への挽歌2416:朝から比べるとだいぶ元気になりました
節子
久しぶりに清田さんと平井さんに会いました。
そのうえ、おいしいお昼までご馳走になってしまいました。
真鯛のソティが、とてもおいしかったです。
2人とも節子も何回か会っていますが、お元気そうでした。
逆に、お2人からは、私が元気そうだと言われましたが。
お2人に最初に会ったのは、もうかなり前です。
20年ほど前でしょうか。
いろいろとお世話になりました。
平井さんとは、平井さんの会社の企業変革の話を本にする仕事を一緒にやりました。
単なる方法論や報告には、私は全く興味がないことを知っているダイヤモンド社の岩崎さんが間に入ってくれたのと平井さんの強い思いのおかげで、私には実に創造的な楽しい仕事でした。
あの頃は、私自身も企業の変革や社会の変革に情熱を持っていました。
清田さんとも、その頃、知り合いましたが、お世話になったのは少し経ってからのギリシア旅行した時でした。
ツアー旅行だったのですが、たまたま宿泊したホテルのすぐ近くに海外駐在だった清田さんのオフィスがあったのです。
そこでお会いし、その翌日か翌々日がツアーのフリーの日だと話したら、清田さんがスニオン岬に案内してくれたのです。
帰りにおいしい魚料理もご馳走になりました。
その後、家族でトルコ旅行した時にも、清田さんのお心遣いで、イズミールで現地スタッフのエシムさん(だったと思いますが)が現地で食事をご馳走してくれました。
節子はとてもそれを喜んで、彼女が日本に来たらわが家に招待しようと言っていました。
それは残念ながら実現しませんでした。
たまたまお2人は、いま公益財団法人の研究所に所属しているのですが、そこで出している機関誌「談」が、かなり以前からの私の愛読書なのです。
まさか、この2人がその編集に関わるようになるとは思ってもいませんでした。
ちなみに、この「談」は、雑誌嫌いの私が、ほぼすべてをきちんと読んでいる唯一の雑誌です。
現代社会を読み解きたい方やアカデミアの最前線の気配に関心のある方には、お勧めします。
まあ、「談」はともかく、久しぶりにお2人とお話しできて、少し元気になりました。
共感するところがたくさんありました。
なぜか、お2人には、心が開いてしまって、節子のことまで話してしまいました。
不思議なもので、お2人と別れて、湯島のオフィスに立ち寄り、パソコンを開いたら、ずっと待っていた人からのメールが届いていました。
流れが変わるといいのですが。
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