■節子への挽歌2418:いのちの季節
前の挽歌を陽射しが当たる食卓で書いていました。
そうしたら、何かが窓にぶつかりました。
我が家は高台のはずれにあるせいか、時々、鳥が窓にぶつかるのですが、そんな大きな音ではありませんでした。
何だろうと見回すと、庭にくまんばちが飛んでいて、空中にとまってこちらを見ています。
もしかしたら、ぶつかったのは、その蜂かもしれません。
そういえば、朝、畑に出かける時にも、庭にいました。
藤棚の藤が咲き出したので、その蜜を吸いに来たのかと思っていましたが、蜜を吸う様子もなく、空中に止まっています。
節子でしょうか。
ガラス戸をあけて外に出たら、寄って来ずに、飛んでいってしまいました。
節子ではなかったようです。
戻ってパソコンに向かったら、また窓に何かがぶつかりました。
今度は先ほどよりも大きな音です。
出てみましたが、何もいません。
そういえば、今朝、庭にめずらしい鳥が来ていました。
飛んできたのではなく、裏庭の方から地面を跳ぶように走ってきたのです。
節子が、「また花や鳥になって戻ってくるわ」といっていたのを思い出して、出てみたら、この時も鳥は飛んでいってしまいました。
今日は、いろんな「いのち」がやってきるようです。
いや、私の心情が生き生きしてきたからかもしれません。
書き終わって、しばらく外を見ていましたが、くまんばちも鳥も戻ってきません。
しかし、外に出て、藤棚を見たら、先ほどのくまんばちが仲間と一緒に蜜を吸っていました。
春は、やはり「いのちの季節」です。
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