■なぜ精神障がい者には責任能力がないのか
社会活動をしている知人に攻撃メールが届きました。
書き出しに、自らが精神面で障害をもっていて、これまでも自傷行為を起こしていることなどが書かれていました。
その後も続いたたくさんの攻撃的なメールで、彼は活動をやめてしまいました。
とても残念です。
殺人事件などを起こした場合でも、責任能力があるかどうかが問われることが少なくありません。
そうした状況に、私は大いに異論があります。
なかには、精神面で障がいがあれば、罪に問われないと思っているのではないかとさえ思うこともあります。
さらに言えば、冒頭のメールの送り手のように、精神障がいを逆手にとって、脅かすことさえしてしまう人もいます。
私には、許しがたいことです。
精神面でなにがしかの障がいがあっても、誠実に生きている人への。まさに犯罪行為だろうと思います。
非難されそうですが、私は犯罪行為の責任能力と精神障がいをつなげて考えることに反対です。
それは、逆に、精神障がいをもつとされる人の人権を認めないことだと思うからです。
私には、許しがたい差別発想でしかありません。
しかも、精神障がいは、医療界が「勝手に」に病名をつけて、「病気」にしてしまうことができます。
どう考えても私には馴染めないのです。
精神に障がいがあろうとなかろうと、罪は同じように問われるべきです。
仮に、精神障がいと特定されていない人であろうと、殺人などのようなとんでもない事件を起こす場合は、一時的な精神障がい状況になっているというのが、私の考えです。
ですから、責任能力があるかどうかを、精神科医の勝手な判断にゆだねるのは恐ろしいです。
いささか過激な言い方をすれば、薬をばらまいている精神科医にこそ、罪を負わせたいですが。
昨今の精神科医の混雑状況を考えると、あれは精神科医が精神障がい者を生み出しているとしか思えません。
薬がまったく意味がないとは思いませんが、私には、多くの、いや、ほとんどの精神科医は自らのミッションを忘れて、病気づくりに励んでいるような気がします。
これは精神科医に限りません。
医療界での自浄能力は、もう失われてしまったように思います。
いずれにしろ、精神鑑定で、犯罪の責任能力の有無を決める風潮には、恐ろしさを感じます。
精神障害者の人権をしっかりと認めるべきだろうと思います。
反論が恐ろしいですが。
| 固定リンク
「社会時評」カテゴリの記事
- ■言葉に管理される人間から言葉を活用する人間へ(2022.04.15)
- ■「人新生の時代」か「人消失の時代」か(2022.04.15)
- ■「これがスポーツか」(2022.02.17)
- ■コロナ感染不安症に私もかかってしまっているようです(2022.02.16)
- ■コロナ恐怖症候群の脅威(2022.01.24)
「司法時評」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■黒い雨はどこまで降ったか(2021.07.26)
- ■「隠蔽されてきた行政行為の不適切性および違法性」の可視化を目指す本の紹介(2020.07.21)
- ■動いている時だけが運転しているとは恐ろしい話です(2018.12.14)
- ■弁護士と検事の使命(2018.12.04)
コメント