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2014/04/01

■節子への挽歌2397:菜の花は食べられてこそ喜ばれる

節子
今日は、私にとっては、新しい四半世紀の始まりでもあるので、自宅で過ごすことにしました。
畑の仕事も、今日からはじめようと思います。
一人ではなかなか畑にまで行く気にもならないのですが。

近くの菜の花畑が満開です。
道を歩いていても、菜の花の香りが届きます。
まさに春を感ずる日です。

菜の花と言えば、いろんな思い出があります。
最初に生活をはじめた滋賀県大津の瀬田の借家の近くにも菜の花畑がありました。
2人で出かけた記憶は、いつでもかなり鮮明に思い出します。
いまはもうなくなっているでしょうが。

近くの菜の花畑は、希望者にはわけてくれます。
この時期になるといつも娘が思い出す話があります。
娘と節子が一緒に、この菜の花畑に行った時の話です。
他の人たちは、菜の花を観賞用として花の部分だけを切り立っていたのに対して、
節子はかなり下の方から切り取ったそうです。
1本単位で料金は決まっていたようですが、同じ1本でも、節子の1本は他の人の数本に相当したようです。
なぜ下から切ったのかと言えば、花の観賞後、食べるためだったそうです。
いかにも節子らしいです。

娘に言わせると、節子も私に似て、常識が欠落していたそうです。
そういわれれば、そうかもしれません。
私には常識が欠落していることは自覚していますが、その私と波長が合ったのだから、節子にも常識はなかったのでしょう。
いやはや困ったものです。

菜の花のおひたしのほろ苦さは、私はあまり好きではありませんが、食べるたびに思い出すのがこの話です。
さてそろそろ畑に行ってきます。
節子がいたら、いい野良仕事日和なのですが、一人ではどうも足が重いです。
かなりの重労働でもありますし。

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