■節子への挽歌2404:伴侶がいなくなった後
節子
こんなデータがあるそうです。
60歳以上の女性では、「夫が生存している」ほうが「生存していない」場合に比べて死亡リスクが2倍高く、男性では「妻が生存している」場合には死亡するリスクが半減する。
とくに75歳以上の場合、この傾向が強いそうです。
夫婦というものは、伴侶の寿命にも大きく影響する。
しかし、男性と女性とでは、逆だとは、複雑な気分です。
夫にとって妻は命を支える存在だが、妻にとって夫は命を脅かす存在というわけです。
いささか納得できない気がしますが、なんだか分かるような気もします。
たしかに、節子がいたおかげで、私はどれほど生きやすかったことか。
ということは、それだけ節子が苦労していたということかもしれません
言い方を変えると、女性は一人でも生きられるが、男性は一人では生きられない、ということでもあります。
あるいは、親子関係が影響しているのかもしれません。
しかし、いずれにしろ、伴侶のいなくなった男性は元気をなくし、伴侶のいなくなった女性は元気になるということです。
そういわれると、たしかにそうした事例は周りにもあります。
私自身も含めてですが。
死亡リスクが倍増したにもかかわらず、私はもう6年半、生きています。
これは、われながら驚きです。
節子もまさか、6年ももつとは思っていなかったでしょう。
しかしまあ、この6年、ある意味では死んでいたようなものです。
死ぬことさえ忘れてしまっていたのかもしれません。
最近、かなり精神が正常化してきましたので、問題はこれからかもしれません。
死亡リスク倍増の中で生きることは、それなりにスリリングで楽しそうです。
ルールを破るのは、楽しいことですし。
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