■節子への挽歌2399:自分のための日
節子
また挽歌が書けない数日が続きました。
挽歌だけでなく、時評ブログもホームページの更新もできずにいました。
もしかしたら、なぜ書けないのだろうかと気にされた方もいたかもしれません。
最近の挽歌は、元気がなくて暗い挽歌が多かったですし。
たしかにいろいろとありました。
めげてしまったり、電話などのやりとりで疲れてしまったり、ちょっと仕事で出かけていたり、パソコンが不調だったり(まだ10年前のXPです)、不幸な気分になったり、いろいろでした。
しかし、私自身は、体調が悪いわけでも、家が火事になったわけでも、借金取りに追い立てられたり、事故にあったわけでもありません。
それなりに元気でもあります。
しかし書かないまま数日が過ぎてしまいました。
最近、どうも「書くこと」へのモチベーションが低いのです。
書きたいことは、それこそ「山のように」あるのですが、書くことにどういう意味があるのか、と思ったりするわけです。
もちろん基本的には自分のために書いていますから、書くことそのことに意味がある。
生きる意味が問題なのではなく、生きることに意味があるというのと同じことです。
でも、時にふと思います。
何をやっているのだろうか、と。
節子がいた頃は、よくそういう問いかけをして、節子に呆れられていたのですが、今は誰にも問いかけられません。
思いは、言語化しないと前に進めなくなることがある。
まあ、そんなわけで、ブログに書けない日が続いてしまいました。
ホームページは、追加料金を払っていないために容量がパンクしてしまい、更新できなくなってしまったのです。
いささか節約しすぎてしまいました。
貧すれば鈍すとは、このことです。
いやはや困ったものです。
明日は、「自分のための日」にして、生活を立て直します。
| 固定リンク
「妻への挽歌12」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2400:怠惰な1日(2014.04.07)
- ■節子への挽歌2399:自分のための日(2014.04.06)
- ■節子への挽歌2398:第4期のはじまり(2014.04.01)
- ■節子への挽歌2397:菜の花は食べられてこそ喜ばれる(2014.04.01)
コメント