■節子への挽歌2422:また来世でも会いたいといわれる生き方
昨日、NHKの大河ドラマを観ていたら、こんなセリフが出てきました。
貴殿との付き合いは短い期間だったが、楽しかった。かなり不正確な引用ですが、たしか、死を決意した山中鹿介が黒田官兵衛に言った言葉です。
また来世でもお会いしたい。
心に響きます。
私もそういう生き方がしたいとずっと持っています。
しかし、私自身、何人くらいの友人に、こういう思いを持っているでしょうか。
かなりいるようで、しかし考えていくと、あんまりいないような、そんな気がします。
ということは、たぶん私に対しても、ほとんどの人は、こうは思ってはいないことでしょう。
人の付き合いは、はかないものです。
会社時代、若い部下が転勤になった時に、私に対して、「ぜひまた佐藤さんと一緒に働きたい」と言ってくれたことがあります。
彼とは、会社時代は一緒に働く機会はありませんでしたが、不思議な縁で、私が会社を辞めた後に、同僚としてではありませんでしたが、同じプロジェクトを2年ほど一緒にやる機会がありました。
立場が違ったので、残念ながら私も彼も直接の「相棒」にはなれませんでしたので、以前とはまったくと言っていいほど関係性は違ったものになってしまいました。
それに、人とのつながりは難しく、関係が深まることで、お互いのあらも見えてくることもあります。
夫婦の場合は、それが極端になりかねません。
また来世でもと思うようになるかもしれませんし、もう来世では会いたくないと思うようになるかもしれません。
同じお墓には入りたくないと言う夫婦が少なくないとも言われます。
私の場合は、躊躇なく言えます。
節子との付き合いは短い期間だったが、楽しかった。
また来世でも夫婦になりたいと。
そして、躊躇なく、節子もまたそう言うだろうと確信しています。
そう確信できることが、私の生きる支えでもあります。
しかし、もしかしたらそれは私の誤解かもしれません。
そういえば、生前、節子は言っていました。
あなたはよく飽きないわね、と。
もしかしたら、節子は私に飽きていたかもしれません。
困ったものです。
彼岸で再会したら、確かめなければいけません。
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