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2014/04/09

■節子への挽歌2402:明日のことを考えるから辛くなる

節子
本でこんな話を読みました。

京大霊長類研究所で飼っていたチンパンジーが大怪我で寝たきりになってしまったのですが、そのチンパンジーは、悲観することなく、寝たきりのまま生活を楽しんだそうです。
それを観察した松沢哲郎さんは、チンパンジーはそもそも明日のことなんか考えないし、今現在は生きているのだから、悲観する理由がないんだと気づいたといいます。

わが家のチビ太も2年間、老衰のため寝たきりでした。
彼が、それを楽しんでいたかどうかはわかりませんが、悲しんだり嘆いたりはしていませんでした。
いや、松沢さんほど確信はありませんが、そんな気がします。

その話を紹介している、いま話題の理化学研究所の藤井直敬さんは、「明日のことを考えるから楽観や悲観が生まれる。チンパンジーのように主観的な「今」だけの存在であれば、生きることは結構楽なことかもしれませんね」と書いています(「談」99)。

とても納得できる話です。

未来は勇気や生きる喜びを与えてくれますが、同時に苦しみや不幸も引き起こします。
今だけを、刹那的に生きることができれば、たぶん人生は面白くなるでしょう。
しかし、それは「人生」とはいえないかもしれません。

節子も、3~4か月ほど、ほぼ寝たきりになりました。
あの時の節子は、どうだったのでしょうか。
それは確信をもてません。
では私はどうだったか。
今から思えば、未来ばかりを見ていて、現在をおろそかにしていたかもしれません。
節子を治すことしか考えられずに、あるいは治った節子ばかりを見ようとしていて、現在に誠実に立ち向かわなかったような気がしてなりません。
そしてさらに思いを進めれば、実は辛くなるがゆえに、楽しい未来しか見ようとしなかった。

節子は現在を生き、私は未来を生きていたがゆえの、すれ違いがあったのです。
いまさらこんなことに気づいても意味がないのですが、最近、ようやくそうしたことにも気づきだしました。
節子が繰り返し話していたように、人は今を生きなければいけません。
改めて、その意味をかみしめたいと思います。

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