■節子への挽歌2414:どんどん歳をとっていきます
節子
久しぶりに、近くに住んでいる、会社時代の同期生のAさんと食事をしました。
6月に同期会を開催するのですが、私が参加しないので、たぶん参加を勧めることもあって、食事を誘ってくれたのです。
私は、同窓会などがあまり得手ではないのです。
節子がいなくなって、ますますその傾向が強くなりました。
そういう場に参加すると、突然に、周りの風景が遠くに感じられ、自分の居場所が見えなくなることがあるようになったためです。
私の同期生は、202人だそうです。
そのうちの1割ほどが、亡くなっているそうです。
そういえば、最近、訃報が届くことが多くなりました。
つい最近も、私の親しい同期生の訃報が届きました。
そういう歳になってしまったのです。
Aさんのことは、節子もよく知っています。
そのAさんも、2年前から体調を悪くし、いまはあまり遠出ができないそうです。
実は先月、会食を約束していたのですが、当日の朝、奥さんから、体調をまた壊し、入院するため延期してほしいと電話があったのです。
今日のAさんは、とても元気そうでしたが、お互いに、何があるかわかりません。
死がいつ来てもおかしくないのです。
食事の後、喫茶店で話していたら、近くの奥山さんが入ってきました。
彼女は私よりも少し年下ですが、介護していた母親を見送って、今はおひとりのようです。
数年前、あるグループをつくった時、会計役を引き受けてくれたのですが、その会のメンバーもみんな歳をとってしまい、最近は活動がほとんどなくなってしまいました。
奥山さんから、最近、集まりがないですね、そろそろ解散したらどうでしょうか、と言われてしまいました。
こうやって、みんなどんどん歳をとって、いなくなっていくわけです。
節子、まあ、そんな歳になってしまいました。
彼岸にいると歳はとらないのでしょうが、此岸ではどんどん歳が進んでいきます。
彼岸が近づいてきているような気がします。
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