■不作為の殺人罪
韓国でのセウォル号沈没事件は、事故後の対応の不手際によって、多くの死亡者を出してしまいました。
そのため、韓国では船長に対して「不作為の殺人罪」をという声まで出ているようです。
これまでの報道を聞いている限りにおいては、それも納得できるものがありますが、まだ事実が必ずしも明らかになっていないので、即断は控えるべきかもしれません。
問題はもっと根深いような気もします。
それに、不作為の殺人罪は、船長だけのことではないでしょう。
怒りの矛先を間違えてはいけません。
それはともかく、韓国には「不作為の殺人罪」というのが法に定められていることを知りました。
不作為の犯罪は、ある意味では、暴走しがちな論理を内蔵していますが、昨今のような時代状況においては、とても大きな意味を持っているように思います。
私が、この言葉を最初に聞いたのは、もうかなり前のことです。
韓国とは関係ありません。
福井の東尋坊で、投身自殺を防ぐために10年前から見回り活動をしている、NPO法人心に響く文集・編集局の理事長の茂幸雄さんからです。
茂さんは、テレビや新聞で時々報道されていますので、ご存知の方も少なくないでしょう。茂さんの活動には頭が下がりますが、これまで500人ほどの人と遭遇し、相談に乗ってきています。
茂さんは、自分たちがやっている活動は、自殺防止活動ではなく、人命救助活動だと言います。
東尋坊には投身自殺する場所は3か所しかない。
そこに何らかの策を講ずれば自殺は防げる。
それをしないのは「不作為の殺人罪」だというのです。
茂さんの思いはよくわかります。
ある意味で、「不作為」は「作為」よりも犯罪の本質に繋がっているように思います。
しかし、不作為犯はなかなか難しい問題もあって、日本の場合は、積極的には法定化されていません。
立証も難しいですし、なによりも多様な解釈が可能ですから、小さな論理に呪縛される現代の刑法パラダイムでは、難しいのでしょう。
特に最近のように、司法の独立性が損なわれ、しかも法の牙が国民や弱いものに向いてしまっている状況の中では、不作為犯を取り入れることには危惧もあります。
しかし、対象を権力や体制維持派に向けるのであれば、これは本質的な問題提起を含意しています。
そういう意味では、この事件を契機に、日本でも改めて「不作為犯」の考えが議論されることを期待したいと思います。
自殺の問題にささやかに関わっていると、茂さんと同じく、「不作為の殺人」ではないかと思うことが少なくありません。
その不作為を引き起こす背景に、個人を超えたシステムや制度があるのですが、それでも個人でできることは少なくありません。
先週、新潟で聞いた話ですが、精神医療に関わる薬剤師の皆さんが、薬を渡す時にきちんと説明して、薬依存が広がらないように、それぞれが自分でできることをやろうという研修などに取り組んでいるそうです。
どんな場合にも、個人でできることはあります。
一人でやっても何もできないなどと諦めて、不作為に陥ることは避けたいものです。
そうでなければ、セウォル号の船長を非難することはできないことに気づかないといけません。
自らの不作為の罪を、この事件は改めて思い知らせてくれました。
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