■沖縄の竹富町の教育委員会に拍手しています
もう30年以上前になりますが、ある懸賞論文に応募するために「21世紀は真心の時代」という小論を書きました。
その論文の書き出しは、「1980年代は、再び反乱の時代である」でした。
1968年に象徴されるように、1960年代から70年代にかけて、世界は多くの反乱を経験しましたが、それがもう少し社会化された形で、1980年代には大きな運動になっていくのではないかと、私は期待していました。
それを踏まえて、21世紀は、真心と寛容が広がっていく時代になるだろうと期待したのです。
その期待は見事に裏切られ、近代を食い尽くした亡霊たちが復活し、金銭至上主義者たちの巻き返しが始まりました。
それが見えてきたので、私は1989年に、その舞台である企業を辞めました。
以来、お金とはできるだけ無縁に暮らす方向へと生き方を変えてきました。
その後も世界はますます人間にとっては住みにくくなってきているような気がします。
しかし、時々、元気が出るようなうれしい話に触れることがあります。
たとえば、今月初めに、青森県で建設中の大間原子力発電所に対して、函館市が「事故になれば大きな被害を受ける」と主張し、国と事業者に 原発の建設中止を求める訴えを東京地方裁判所に起こしました。
たとえば、今朝の新聞に報道されていますが、長崎県の諫早湾干拓事業に関して、漁業者たちが先の裁判で確定したはずの開門を要求する訴えに対して、佐賀地裁が国に対して、2か月以内に判決を実行するように命じました。
細かく言えば、いろいろとありますが、こうした「権威」や「権力」に異を唱える動きが、また広がりだしているように思います。
そうした動きの中で、私にとって、とてもうれしいのは、竹富町の教科書問題への対応です。
前にも取り上げたことがありますが、中学公民教科者の変更を国から求められていた沖縄の竹富町の教育委員会が、国への不服審査を申し立てずに、しかし要求にも応じないと発表したのです。
これは反乱のフェーズが変わったことを意味します。
つまり、民がお上から自立したということです。
私には、そう感じます。
権威や法や制度は、みんながそれに従えばこそ、意味があります。
お金もそうで、みんながその仕組みにしたがっているからこそ、意味があります。
お金はみんなが価値があると思うから1枚の紙切れで商品が買えるわけですが、お金への信頼感がなくなれば、何の役にも立たない紙切れになってしまいます。
先月話題になったビットコインは、そうしたことの脆さを実際に感じさせてくれました。
つまり、制度や仕組みは、それが仮に民を支配し制約するものであっても、いやそうであればあるほど、それを支えているのは被支配者なのです。
被害者が実は加害者になっているというのが、世界の実相です。
権力にとって、あるいは秩序にとって、それに抗う存在は、実は好都合な存在です。
タリバンがいればこそ、アメリカはアフガンやイラクを攻撃できました。
戦力を増強するには、北朝鮮の存在や領土問題での顕在化は好都合です。
ですから、権力に抗い反乱を起こすのではなく、権力の支配や管理から自らをはずせばいいだけの話なのですが、これがなかなかできません。
あまりにさまざまなしがらみに、がんじがらめになっているからです。
しかし、それもまた「思い込み」かもしれません。
権力で何が一番恐ろしいかといえば、実体のない「場の空気」です。
みんなで議論していたら、参加者の誰も考えていなかった結論になってしまったという話はよく聞きます。
とりわけ最近は、「場の空気」を読まなければ非難されるという、馬鹿げた社会になってきています。
私も会社時代に自分で経験しましたが、禁止もされていないのに、組織人としてはこれはやってはいけないだろうとか、上司にはこれは言うべきではないとか、と自己規制することがありました。
しかし、それを吹っ切ってしまうと、意外とできてしまうものです。
もっとも、私の場合、それをやってしまって、役員に呼ばれて、辞表を書けと言われたことが2回ありましたが、書かずにすみました。
つまりやろうと思えばできるのです。
しかし、それは結構疲れます。
それも私が会社を辞めた理由の一つです。
話が拡散してしまいましたが、竹富町の教育委員会に共感しています。
まだそこで問題になっている2つの教科書を読んでいないので、内容的なコメントはできませんが、きちんと読んでみようと思います。
なかなか入手できずにいるのですが。
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