■節子への挽歌2415:なかなかネガティブ志向から脱却できません
節子
最近、気が萎えているせいか、少しいやなことが起こると、「もういいか」という気になってしまい、それを跳ね返そうとする気が起きなくなってきてしまいました。
さらにいささか僻みっぽくなってきて、相手に「うらみつらみ」のひとつでも言いたくなってしまうのです。
相手にも相手の事情があることを、ついつい忘れてしまうわけです。
そういう自分がまたなんだか惨めになってしまい、さらに気が萎えていく。
この半年、そんな状況に陥ってしまっています。
その流れを変えようと思ってはいるのですが、一度、流れができてしまうとなかなか変えられません。
世の中のすべてのことは、両面を持っています。
どんな親切にも悪意があり、どんな悪意にも親切があります。
ある事柄を、どちらの面から見るかで受け取り方はまったく変わってきます。
そんなことは、一応は理解していますが、気が滅入っている時には、どうしてもネガティブに受け止めてしまいます。
そしてますますネガティブになってしまう。
それもまた、人の素直な反応なのですので、あまりそれに抗うことなく、生きてきましたが、最近はネガティブな面が心身に堪えるようになってきてしまっています。
無理をして、行動すると、必ずといっていいほど反動がきます。
昔はこんなことはまったくありませんでした。
歳のせいか、節子の不在のせいか。
早く元気が出てくるような挽歌を書きたいのですが、どうもなかなかそうはなりません。
困ったものです。
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