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2014/04/10

■節子への挽歌2405:生まれ変わり

節子
ちょっと面白いインタビュー記事を雑誌で読みました。
話しているのは、東大教授の岡ノ谷一夫さん。
こんな話です。

私が私の個別の意識をもっているということは、どう考えても特殊すぎる感じがする。
だから逆に、私が今もっている意識には遍在性があり、今の私が消滅したあとに別の人の中で再構築される可能性もあるのではないか。

「今の私が消滅したあとに別の人の中で再構築される可能性もある」。
これだけ読むと、何かオカルト的ですが、岡ノ谷さんが言っているのは、自分の意識もさほど特殊なものではなく、いろんなところで生じる意識のうちの一つであり、たまたま区分けられたものでしかないと考えると、いろんなことが見えてくる、といっているのです。

広い世界の中には、私と同じ意識の人、つまりもう一人の私がいるかもしれないと考えると、世界は違って見えてきます。
もしかしたら、どこかに私がいる。
あるいは、いつかまた私が誕生する。
言い換えれば、どこかに、あの節子もいる、ということです。
こういう話を重ねていくと、わけのわからないオカルトの世界に入りかねませんが、しかし意識とか心の問題を考えていくと、オカルトとは別の世界を感ずることができるようになってきます。
そして、彼岸に届きそうで、届かない、もどかしさを感ずるようになります。

岡ノ谷さんは死後の世界はないと断言しています。
つまり、死んだらもう全部終わりだというのですが、最近は生まれ変わりということにも興味を持つようになってきたといいます。
意識や心の問題、あるいは言語の問題を考えていくと、たぶんそうなっていくのでしょう。

最近、こんな話が多くなってきてしまいました。
私の心境の変化のせいかもしれません。

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