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2014/05/24

■節子への挽歌2441:久しぶりの南禅寺

節子
久しぶりに京都の南禅寺の庭にきています。
午後から京都で集まりがあるのですが、その会場が南禅寺南禅寺のすぐ近くだったので、少し早目に来て、庭を見たいと思ったのです。

京都は夏のような暑さです。
たまたま京都の各寺院が恒例の特別拝観期間でしたので、山門の上にのぼることができました。
京都が一望でき、その昔、石川五右衛門が「絶景かな絶景かな」といったという話も納得できます。

大方丈の庭は、記憶よりもずっと小さく、土塀に囲まれた人工的な空間になっていました。
昔もそうだったかもしれませんが、イメージが違っていました。
京都や奈良のお寺にいくと、いつもそう感ずるのですが、それは私の意識が変わってしまっているからかもしれません。

庭に面した縁側で少し休んでいます。
背後の緑が、とてもきれいです。

Nanzenji2014


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妻への挽歌13」カテゴリの記事

コメント

佐藤様  こんばんは

京都に行かれたのですね うらやましい限りです。
実は私たちが夫婦になる前、まだお付き合いを始めたころでした。

貧乏サラリーマンの私と、中流家庭に育った家内が初めてデートらしいことで
訪れたのは京都でした。
お付き合いを初めて半年ぐらいのとき私が19歳、彼女は二十歳でした。

カメラを持ちあわせてなかったのですが、デートのため同僚に借りたカメラに残っていたフィルムは二枚
正直なところ、往復の電車賃と昼食代少々が精いっぱいの懐状態で、フィルムは買えませんでした。

家内の家にはカメラも8ミリ映写機もあったのですが、彼女は持ってきませんでした。
昔風の言葉でいえば、「男を立てる」というところでしょうか

そのデートの思い出のお寺は「西芳寺」というお寺でした。通称苔寺というそうです。
その時写した一枚が、とっておきの一枚です。一枚は失敗でした。
結婚前の家内との写真は、その一枚が貴重な思い出写真となり、それから結婚し子供が生まれるまで五年間は
写真の空白期間となってしまいました。

その一枚は当然モノクロ写真、角が欠けて無残な一枚になってしまいましたが、最近修復をしてみました。
エクセル絵画と同様に、エクセル機能を使いカラー化することにしました。

カラー化すると、亡くなった家内が生き返ったように見えます。私の自覚自讃でしょうか


投稿: 鳥取太郎 | 2014/05/25 21:15

太郎さん 私は4年ほど、京都の近くの大津にいました。
太郎さんたちがいった西芳寺は、高校の時の修学旅行でいったのが最初でしたが、好きなところでした。
あるくだけで落ち着いたお寺でした。
最近は確か予約制になったため、もう20年以上行っていません。
最近は京都のお寺も人が多くて,落ち着きません。

今回の南禅寺は、私の記憶とは大きく違っていました。
思い出のお寺は、行かないほうがいいかもしれないと思ったほどです。

写真の修復ができるとは凄いですね。
ところで、太郎さん
あまりご無理をされませんように。

投稿: 佐藤修 | 2014/05/27 07:27

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