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2014/05/14

■農業には「殺生」と「信仰」がつきものです

先日、わが家の農園を、2メートル以上もあるしま蛇が畑を悠々と散歩していました。
その前日、草が茂っていたところを刈り取ったのですが、どうもそこにいたようです。
こんな大きな蛇がいたとは思わずに、手袋もせずにかなり藪の奥まで鎌を入れていました。
安眠を邪魔したのかもしれません。
それにしても大きな蛇です。

Snake_4

そういえば、今年は蛙に出会っていませんが、この蛇に食べられちゃったのかもしれません。
この農園は、山林が住宅地に造成されてまだ10年ほどですが、両隣はすでに家が建っています。
南面は道ですが、その反対側は大きな家の庭につながっています。
この蛇は、普段はその大きな家の庭に住んでいるのかもしれません。
その家は、今は空き家になっていますが、昨年までお年寄りとお手伝いさんが住んでいました。
そのお手伝いさんが、蛇は家の守り神だと言っていました。
お年寄りもなくなり、お手伝いさんも故郷の東北に帰りましたので、いまは空き家になっています。
それで、蛇も隣のわが家の畑に遊びにきたのかもしれません。
時々、その家を相続した家族の方が来て、庭で遊んだりしていますが、人が住んでいないと家もどんどん「老化」します。
お手伝いさんがいる時には、毎日、草刈りや植木の手入れをしていましたが、今では庭も草に覆われてきています。

わが家は少し高台にあって、その大きな家と庭が見下ろせますので、その変化の状況がよく見えるのです。
自然の成長力がよくわかります。
成長と破壊は同じことだということも、です。
人間が自然と仲良くやっていくということは、それなりに大変なことなのです。

私は、最近、「雑草」という言葉を使わないようにしました。
草にもそれぞれ名前があると友人に指摘されたのがきっかけですが、たしかに雑草と一括りにしてしまっては、自然の豊かさを否定することになります。
そのおかげで、今年は、畑に生えていたノビルを料理することができました。

ところで、蛇の話ですが、蛇がいるのはまだそこが豊かだからだと友人が教えてくれました。
ところが畑を耕していて、幼虫が少ない気がします。
これも放射性汚染の関係でしょうか。
そんなことはないと思いますが、気のせいか、生き物が少ないのです。
てんとう虫(それも少ないです)以外にあまり会えていません。
その代わりと言うわけでもありませんが、アリにはよく襲われています。
アリの巣を耕してしまったからですが、大きなアリに咬まれるとかなり痛くて、反者的につぶしてしまうこともあります。

この農園は数年ほぼ放置していました。
そのせいで、畑の地下は篠笹の根が張りめぐっています。
いまはそれを根扱ぎ用の鎌で断ち切っている作業を続けています。
そうしないと花も野菜も負けてしまうからです。
そんなわけで、最近は自然と格闘しつづけています。

蟻退治や植物の抜き取りは「殺生」ですが、農業には「殺生」はつきものです。
でも、その分、信仰心も強まります。


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