■節子への挽歌2435:久しぶりの北陸線
節子
久しぶりに北陸線に乗っています。
明日、福井での集まりに参加するためです。
先ほど、節子の生家のある高月を通過しました。
この辺りも今は長浜市になってしまいました。
節子とよく利用した高月駅は、場所も含めて変わってしまいました。
私は、もちろん以前の駅舎が好きです。
いろんな思い出もありますし。
最初に節子の生家を訪ねたのはいつだったでしょうか。
私の結婚申し込みはかなり変わったものだったので、節子のご両親も心配だったことでしょう。
今から思えば、赤面の至りです。
それでも結婚を許可してくれました。
節子のご両親は、とても実直で、そのくせとても柔軟でした。
だから私の常識を逸脱した行為も受け入れられたのでしょう。
感謝しています。
米原から高月の北陸線は、よく乗りました。
いつも隣に節子がいました。
だから北陸線は今でも好きです。
しかし、特急はあっという間です。
昔のような、チンタラした北陸線が好きです。
車窓からの風景が、とても好きでした。
特に稲穂が輝く季節が。
もし節子と結婚しなかったら、北陸線に乗る機会もなく、明日の集まりにも参加することはなかったでしょう。
人生とは、不思議です。
列車は敦賀に止まりました。
ここに節子の姉が嫁いでいますので、この駅もよく利用しました。
今もお米や野菜を送ってくれます。
そう言えば、敦賀にもしばらく来ていません。
福井からの帰りに寄せてもらおうかと思います。
次は福井です。
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