■節子への挽歌2429:社会への怒りで気が萎えています
節子
何かを考えるのがいやになってしまっています。
無性に身体を動かしたくて、今日も強風の中を畑に行って、草刈りをしていました。
道沿いの斜面の篠笹の根を掘っていたら、近くの大西さんが愛犬のカンナちゃんを散歩に連れて通りかかりました。
少し話しました。
大西さんは、節子の葬儀にも参列してくれましたが、その後もわが家にご夫妻で献花に来てくれました。
大西さんは子どもがいないので、奥さんと2人住まいです。
私よりも若いのですが、経営していた会社をたたんで、いまは悠々自適のご様子です。
私たちも、そういう老後が夢だったのですが、現実は強風の中での開墾作業です。
人生は本当に思うようには行きません。
草の根を深く切り裂く鎌を買ってきたのですが、これが実に調子がいいのです。
ともかく地面を切り裂くように、土に指して引っ張ると面白いように草木の根っこが切れるのです。
これまでてこずっていた、ワイヤープランツも篠笹の根もかなりしょりできそうです。
もっとも1時間やってもわずかばかりしか整地はされませんし、まだまだ前途多難ではあります。
しかし、最近のように、考えるのが嫌な時には、気分がすっきりします。
まあそんなわけで、やはりブログも挽歌も書けずにいます。
本も読めません。
いろんな意味での「怒り」と「無力感」に苛まれています。
ニュースを見ると、怒りが浮かんでくるので、ニュースも新聞もあまり見る気が起きません。
こうして人はみんな、大勢に屈していくのでしょうか。
節子がいたら、この怒りをぶつけられるのですが。
節子は、今のようなひどい社会を見ないですんで幸せでした。
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