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2014/05/15

■節子への挽歌2433:老い方は難しいです

節子
一度、挽歌を書くのをさぼってしまうと、どうも書き忘れそうになります。
以前は日課の中に組み込まれていて、何となく時間があくとパソコンに向かって、「節子」という書き出しの文字を入力して、書くことが浮かんできたのですが、この1か月、かなり書かない日があったため、そうした習慣がなくなってしまいました。
1か月程度でなくなってしまうのでは習慣ともいえないかもしれませんが。

これは挽歌に限りません。
時評編も同じです。
と言うか、むしろ「時評編」のほうが書けなくなっているのです。
それというのも、この時代に生きていることへの不甲斐無さというか、怒りや屈辱を感ずるからです。
そう思い出したのは、今年に入ってからです。
まあ、この話題は時評編に回すべきですね。
節子に八つ当たりするのはやめましょう。

しかし、挽歌編も明らかにトーンも変わっていると思います。
自分でもわかるのですが、書こうとしていることが、なんだか「乾いている」のです。
読んで下さっている方には、そうは思えないかもしれませんが、なんだかパサパサしているのです。

最近、韓国歴史ドラマの「大祚榮(テジョヨン)」を観ています。
渤海を建国した英雄の話です。
そこに、唐のソリンギという武将が登場します。
主人公テジョヨンの敵役ですが、私好みの裏表のない正義漢です。
今日も観たのですが、老いたソリンギが相手の謀略を見抜く場面がありました。
それに感心した部下に、ソリンギが言います。
「歳をとると心身は衰えるが天に通ずるようになる」と。
なかなか良い言葉です。

私自身、そうなっているかどうかはかなり怪しいものですが、何となく、天に近くなっているなという感覚はあります。
歳のせいだけでもなく、もしかしたら、毎日、彼岸の節子と話し合っているからかもしれませんが。
娘は、私が最近物忘れが多く、心配だといいますが、物忘れが多くなったというよりも、まあ細かなことにこだわらなくなってきたといってほしい気がします。
忘れることが増える一方で、見えてくるものもまた増えるのです。
天に近づくとは、もしかするとそういうことかもしれません。

ソリンギもそうですが、相手の謀略に気づいたからと言って、それを暴くことはしません。
暴いたところでどうにかなる話ではないからです。
むしろ謀略をかわすように身を処すればいい。
残念ながら、私の場合は、まだそこまでいけていません。
しかし、騙されることも、時には良しとしましょう。
それこそが、老いることなのですから。

老い方は、とても難しい。
私よりも年長の友人知人と付き合っていて、そう感じます。
特に、伴侶がいなくて、一人で老いなければいけない場合は、難しさは倍増します。
注意しなければいけません。

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