■節子への挽歌2434:節子の庭
節子
玄関や庭のバラが咲きだしています。
節子がバラ好きだったこともあり、わが家の狭い庭にはたくさんのバラがあります。
節子がいなくなってから、しばらくは手入れ不足で枯らしてしまったものもありますが、それでもこの季節になると次々に咲き出します。
唯一の例外は、昨年まで壁一面に広がっていたナニワイバラです。
あまりの元気さに、ほとんど全てを刈り取ってしまったので、今年は片隅で少しだけ花を咲かせているだけです。
マリーゴールドもまだ満開のまま残っていますので、今の庭はとても華やかです。
それに今朝は陽射しも眩しいほどのよい天気です。
心が少し軽やかになります。
庭を見ていると、そこに節子がいるような気がします。
こういう日は、いつも節子は麦藁帽をかぶって、草花の手入れを楽しんでいました。
いまなら庭で一緒に楽しめたのですが、当時は、私があまりに仕事好きだったので、出かけることが多く、節子と庭仕事をした記憶はあまりありません。
大いに後悔しています。
節子が元気だった頃の私たちの生活は、たぶん私のリズムが中心だった気がします。
今から考えれば、生活の豊かさは間違いなく、節子のリズムでした。
いまさら気づいても、もう節子はいませんから、気づくのが遅かったのです。
会社を辞めた時に、大きな転機があったはずですが、あの時も節子は私のわがままに付き合ってくれました。
ゆっくりした時間を過ごせるようになったはずですが、組織から離れた後、私の活動分野は格段に広がり、ますます「仕事人間」になってしまったのです。
その上、収入は激減しましたから、それなりに大変だったかもしれません。
わが家の庭はとても狭いのですが、高台にあるために、展望はいいのです。
わずかではありますが、手賀沼も見えます。
節子は、この庭が大好きでした。
もっとこの庭での草花いじりを楽しんでもらいたかった。
庭に花に水をやりながら、いつもそう思います。
ここは、いまもなお、「節子の庭」といってもいいでしょう。
節子の思いが、いたるところに感じられますから。
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