■節子への挽歌2445:韓国歴史ドラマ
節子
節子がいなくなってから、変わったことの一つに、韓国テレビを見ることようになったことがあります。
節子は韓流ドラマにはまったく関心はありませんでしたが、まさか私が韓国のテレビドラマを見るようになるとは思ってもいなかったでしょう。
もっとも私が身るのは、現代ドラマではなく、歴史ドラマです。
それも高句麗と百済に関するものに限られています。
最初に見たのが、「朱蒙」(チュモン)という高句麗を建国した英雄の話です。
それも途中から観たのですが、いかにも内容が簡単で、昔の中学校の学芸会のようなものだったので、最初はまさか見つづけるようになるとは思ってもいませんでした。
しかし、それが契機になって、高句麗という国に関心を持ったわけです。
それに、隣国なのに、あまりにも私には知識がなかったことへの反省もありました。
以来、高句麗ものは、極力見るようにしています。
高句麗のドラマには、会話の中に、朱蒙の名前が出てきます。
いまは、高句麗滅亡とその遺臣たちによる渤海建国の話である「テジョヨン」を見ています。
まさに学芸会なのですが、ついつい観てしまうのです。
並行して韓国の歴史の本も何冊か読みましたが、どうも史実とはちょっとずれがあるようです。
百済の話は、実は高句麗の流れで見だしました。
ドラマ「朱蒙」の主役の1人のソソノ(朱蒙の第2王妃)が建国したのが、百済なのです。
高句麗と百済が同じ始祖を持つとは私は全く知りませんでした。
いまは「百済の王クンチョゴワン」というのを見ています。
登場人物が多すぎて、あんまり理解できていませんが。
韓国の歴史ドラマを見ていると、感ずることがいくつかあります。
任務に失敗するとすぐに、王に向かって「私を殺してください」「私を許さないでください」と言うのです。
命乞いや許しを乞うことはしないのです。
心を開かないのも、また相手を信じないにも、私が見た歴史ドラマに共通です。
ですから、見ていて、あまり気分のいいものではありません。
にもかかわらず、なぜか見つづけています。
節子が元気だったころ、一緒にテレビドラマを見た記憶がありません。
当時は、やることがいろいろとありました。
テレビよりも楽しいこと事がたくさんあったような気がします。
テレビを見る時間が増えてきたのは、生活が充実していないことの証なのでしょう。
いま、週に5本のドラマを見ています。
それを知ったら、節子は驚くでしょう。
私も驚きです。
テレビ離れしなければいけません。
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