■年金生活者の責務
年金生活者という言葉があります。
そこにはさまざまなニュアンスがありますが、年金生活者だから経済的な余裕がないという意味合いが込められています。
そこに、私は大きな違和感をいつももっています。
年金生活者といっても、月額6万円の人もいれば、50万円の人もいるでしょう。
それを一括して「年金生活者」と括ることに、まずは大きな違和感を持ちます。
つまり、年金生活者を理由にして、なにかの説明にすることは、「まやかし」を感じます。
「年金生活者だから経済的余裕がない」という文章は成り立ちません。
同時に、「年金生活者だから悠々自適だ」という文章も成り立ちません。
あえていえば、「年金生活者だから不労所得者だ」という文章は成り立つかもしれません。
というわけで、私は「年金生活者」という言葉は、不労所得者だといっていることなのだろうと思います。
泥棒でも汗して労働していますから、ある意味では、泥棒よりもずるい生き方かもしれません。
つまり、私には「年金生活者」と自分で発言する人は、泥棒に見えてしまうのです。
不労所得で生活するのは、私の趣味ではありません。
私の価値観からすれば、それは快適なことではありません。
所得があるのであれば、やはりそれなりのことをしたくなります。
そうでなければ、家畜のような気分になってしまうからです。
というわけで、年金生活者は、年金をもらう代わりに、やはり社会(年金は社会からもらっていると考えられます)に、お返しすべきだと思うのです。
今の若者が年金受給者になる頃には、支給額も少なくなるでしょうから、たぶん年金生活者なる存在は少なくなる、つまり年金では生活できなくなるでしょう。
しかし、いまは違います。
年金だけで十分に余裕ある暮らしのできる人は少なくありません。
そういうことを考えれば、若い世代からずるいといわれても、仕方がありません。
そう言われないように、年金分くらいは、社会に、いや若い世代のために、働かなければいけません。
私は年金を毎月15万円強もらっています。
それ以外にも、仕事をしてお金をもらうこともありますが、それは会社に入り、会社の活動費や事務所経費として使われます。
個人会社ですので、会社の活動と個人の生活が重なっている面も少なくないため、一部、私の生活費にも使われています。
しかし、会社からは報酬はもらっていませんので、私の生活は毎月15万円の年金で賄われており、私もまた客観的には「年金生活者」と言ってもいいでしょう。
私にとっては、毎月15万円は決して少ない額ではありません。
これで十分に暮らしていけます。
お金がなくて、仕事が出来ないことが、時にはありますが。
(昔は仕事をするとお金をもらえましたが、今は仕事をするとお金が掛ります)
その年金は、今の若い人たちの負担で支給されていることを考えれば、やはりそれなりにお返しを社会にしなければいけないと思っています。
たぶん年金分はお返しできていないと思いますが、そういう認識で、いろんな活動をしています。
高度経済成長期に企業に勤めていた人は、たぶんかなりの年金をもらっています。
先ほど、テレビで、年金長者なる番組をやっていましたが、そこに登場した年金生活者は毎月50万円でした。
自分で積み立てた分もあるでしょうから、それが多すぎるとは言いませんが、「年金生活者の責務」というのがあるのではないかと思いながら、その番組を見ていました。
一生懸命に働いても、年収が100万円くらいにしかならない若者たちがいることを知らなければいけません。
年金をもらえるありがたさを、受給者はもっと感じてもよいのではないかと思います。
そして、年金で生活ができるのであれば、年金制度を支えてくれている若者たちのために何かできることをやりたい。
私はそう思っています。
もちろんそれが私のためになるからなのですが。
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