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2014/05/22

■節子への挽歌2439:節子は佐久間さんに会えませんでしたね

節子
昨日、一条真也のペンネームを持つ、北九州市の佐久間さんが湯島に来ました。
佐久間さんといえば、韓国の論山の灌燭寺(アンチョクサ)の弥勒仏にお参りした時に、節子のために、灌燭寺の魔除けの数珠と病気平癒に「ご利益」のある守り札をもらってきてくれた人です。
残念ながら、節子はお会いする機会がありませんでした。

数珠と御守をもらった頃、節子の病気は悪化に向かっていた頃でした。
私も外出をほぼすべてやめて、節子に寄り添う生活になっていました。
節子は、とても喜んで、枕元に御守と数珠を置いて、毎日の般若心経には、その数珠を使っていました。
佐久間さんに会うと、いつもそのことを思い出します。

佐久間さんは、昨日も、この挽歌のことを話題にしてくれました。
それで、少しだけ節子のことも話しました。
佐久間さんのブログにも紹介してくれていますが、佐久間さんから節子の存在を感ずることがあるかと訊かれました。
存在を感ずるというよりも、むしろいつも一緒にいるような気分だということを伝えたかったのですが、うまく話せませんでした。
どうも今もなお、節子のことになると、論理的に話せなくなってしまいます。

夢のことも訊かれました。
夢ではよく節子の気配を感じます。
前に書いた気もしますが、節子の姿かたちが出てくる夢は、最近は見たことがありません。
しかし、なぜか節子の気配というか、存在を確証できるような夢はよくみます。
その時には、目が覚めたときに、心身がものすごく「あったかい」のです。
涅槃の境地とはこんな感じかと思うほどです。
ちなみに、節子がいた頃には、そういう至福感を体験した覚えはありません。

起きてからもずっと、そのあったかさが残ることもあり、その日は幸せな気分で過ごせます。
ところが、どんな夢だったかは、不思議なくらい思い出せません。
目覚めた時には覚えているような気がしますが、すぐに思い出せなくなるのです。

佐久間さんは北九州市にお住まいですが、節子と一緒に北九州市に行った時には、まだ佐久間さんとは知り合っていませんでした。
もし知り合っていたら、と思うと、ちょっと残念ではあります。
佐久間さんの専門のひとつは、冠婚葬祭の研究と実践です。
若い頃の私は、いわゆる「儀礼」には価値を見出せずにいました。
儀礼の価値に気づかせてもらったのは、実は節子と佐久間さんなのです。
佐久間さんは、魂の世界にも造詣が深く、いつも教えられることがたくさんあります。
その魂の世界を、実感的に垣間見させてくれたのが、私の場合は節子です。
佐久間さんと縁ができたのも、それこそきっと深い意味があるのだろうと、思っています。

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