■節子への挽歌2428:長い連休は怠惰に過ごしました
節子
長い連休が終わりました。
といっても、私にはあまり意味のないことですが。
しかし、私も世間並みに、オフィスには1回しか行きませんでした。
相談があるので湯島に来てほしいという電話はありましたが、気分が乗らず連休明けにしてもらいました。
いつもなら、出かけるのですが、今年は気分が乗らなかったのです。
近くに出かけたり、自宅に来客があったり、少しは用事もありましたが、基本的には自宅で過ごしました。
何をやったかといえば、まあせいぜいわが家の農園の開墾作業くらいです。
時間がたっぷりあるので、学生の頃読んだカミユの「ペスト」を読むつもりでした。
しかし、結局は読めずに終わりました。
時間がふんだんにあると、本は読めないのが、私の昔からの習性でした。
時間がない時ほど、本も読めれば、仕事もできるのです。
振り返ってみると、実に何もしない怠惰な10日間でした。
節子がいた頃、こんなことはありませんでした。
節子がいなくなってから、私は実に怠惰になりました。
自分でも驚くほどです。
節子はもっと驚くでしょう。
怠惰に過ごしたツケは、必ず降りかかってきます。
明日からが少し不安です。
連休中にやるからと、いろんな人に約束していたことがあるような気がします。
しかし、幸いなことに最近は、以前よりももっと物忘れが激しいのです。
歳をとると許されることもあります。
人生はうまくできているのです。
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コメント
佐藤様 ご無沙汰しております
前回のコメントから一か月が経ってしまいました。とても一か月が経たとは思えません
あまりにも、日が経つのが早く感じられます。
今回の連休も、何時もの週末のように何もしないで過ぎ去ってしまいました。
そのような思いと共に、佐藤様にお会いできる日が少し近づいたような、そのような気もしております。
今年か来年には、東京方面に行けるような気がします。
二十年前、妻に誘われるまま「ディズニーランド」に行ったのが関東方面への最後の長旅でした。
妻が亡くなってからは、長旅どころか日帰りの旅行にも行ってはおりません
出不精の私でしたので、旅が好きな妻には寂しい思いをさせてしまいました。
仕事が唯一の趣味のような男と、45年間も過ごした妻は何を思っていたのでしょうか
仕事は楽しいことばかりではなく、どちらかと言えば苦しく嫌なことが多いものでした
年中、むっつり右門のように悩む夫の傍で、好きな旅行にも誘えなかった妻の心境は、私には計り知れませんが
可哀そうなことをしたように思えます。
私が女なら、絶対に私のような男とは、一緒にはならないと断言できます
世の中には、奇特で不思議な女性がいるのですね
(ニックネームを山陰太郎から鳥取太郎に変えました。理由は同県内に写真家の山陰太郎さんが、おられることが判明しましたからです。今後ともよろしくお願いいたします。)
投稿: 鳥取太郎 | 2014/05/07 05:29