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2014/05/21

■人が育つ企業をどうやって実現するか

昨日の企業時評のつづきです。

人が育つ企業をどうやって実現するか。
「人を人として扱えばいい」というのが、結論です。
それじゃ、答えになっていないと思われるかもしれません。
しかし、私にはそれこそが唯一の、しかも極めて具体的な答だと思います。
発表したメンバーも、この明快な回答を必ずしも意識していないようでした。
しかし、彼らは間違いなく気づいていました。
発表の合間に、「パーツは育たないが、人は育つものだ」と明言していましたから。

人は人として認められれば、育ちだすのです。
ちなみに、「人を育てる」と「人が育つ」とは、似て非なるもの、全く違うことです。
これまでの企業は、人材育成と称して、人を育てようとしていました。
高度経済成長期には、それでもよかったでしょうが、これからの成熟社会においては、人が育つ会社でなければ会社は育たないでしょう。
私はそう思っていますが、昨日、発表会に参加していた企業の経営幹部のみなさんは、どうもそう思っていないようです。
まあそういう人が経営している会社は、役割を終えて、静かに退場していくでしょうから、それはそれでいいことですが。

会社とは本来、人を育てる場でした。
しかし、最近の企業は、「人を壊す(消費する)場」になっているといってもいいでしょう。
メンタルヘルス問題の増加という状況を考えると、そう考えざるをえません。
これに関しては、以前も書いたことがあります。
もちろん、どこの企業も「人材育成」とか「社員研修」に力を入れています。
しかし、人を育てるとは単に労働力としての技能や効率性を高めるだけではありません。
社会性や人間性を高めることだったはずです。
つまり、人を育てる過程で、企業文化や信頼関係も育ててきた。
会社としての一体感や社員の愛社心も、です。
労働力をコストとして考えるようになれば、そんなものへの関心はなくなるでしょう。

しかし、コストとして扱われていたら、人は不安になって、安心して仕事に打ち込める余裕がなくなりかねません。
自らの存在が脅かされていないと信じられてこそ、人は仕事に集中でき、周囲との信頼関係も育てられるといわれます。
今の会社には、そうした「存在論的安心」がなくなってきているのではないか。
もしそうなら、そこでは人は育ちにくいでしょう。
むりやり「育てて」も、身にはつきません。

発表を聞いた後、コメントをしたのですが、そこでこんな話をしました。

フランスの政治思想家トクヴィルは、19世紀初頭のアメリカを旅行して、自由の有無がいかに人間の生活を変え、自由の侵害がどんな社会的・経済的な状況をもたらすかを、「アメリカの民主政治」と言う名著で報告しています。
当時、まだアメリカの南部では奴隷制が残っていました。
彼は、奴隷の少ない州ほど、人口と富が増大していることに注目します。
そして、奴隷制のない北部では黒人も白人も生き生きと働いているのに対して、奴隷制度が残っている南部では働いている人が見つからないと報告しています。
「奴隷の労働の方が生産性が低く、奴隷の方が自由な人間を雇うより高くつく」というのが、トクヴィルの結論です。
この話は、昨今の日本の企業の実態と無縁ではないような気がします。
私の言いたかったことが、伝わったかどうかは確証が持てません。
いや、チーム発表のメッセージさえ、どの程度伝わったか不安です。
発表後の質問は、すべて相変わらずの「企業は金なり」「人材はパーツ〈コスト〉」発想でした。

人が育つ会社を考えるということは、会社そのもののあり方を考えることに他なりません。
会社に人を呼び戻さないと、企業の未来は、ますますおぞましくなります。

いや、もしかしたら、これは企業に限った話ではないのかもしれません。
社会からも、人がいなくなりつつあるのかもしれません。
おぞましい時代になってしまったものです。

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