■現実にはさらに敏感でありたい
言葉に敏感でありたいと書きましたが、言わずもがな、ながら、言葉のもとにある現実には、さらに敏感でなければいけません。
言葉の世界で終わってしまっては意味がありません。
福祉の世界で大切なのは、「介入」が象徴しているような、力の関係ではなく、あるいは一方的な行為ではなく、支え合う関係性ではないかと思います。
そうでなければ、措置型福祉になってしまいます。
もっとも、「措置」から「契約」になったところで、問題は解決しないでしょう。
契約もまた、力の関係だからです。
対等の立場で契約は行われるというのはあくまでも言葉の問題であり、まさにその言葉で、その背景にある現実の力関係や本質的な問題を見えなくしてしまいかねません。
原発事故はコントロール下に置かれたとか、事故は収束したとか、そんな言葉が現実を隠してしまうことを私たちは何回も経験してきました。
集団的自衛権に関する、きれいに仕上げられた解説や条件も、すぐに無意味になるでしょう。
ここでも大切なのは、政権が何をもくろんでいるかの「現実」に思いをいたらせることです。
話題になっている「社会保障亡国論」のなかで、鈴木亘さんはこう書いています。
正しい情報というものは、無料でその辺に転がっているものではない。むしろ極めて入手が難しい希少財です。なぜなら、国民が正しい知識を得て、改革の原動力となることを「不都合」と考える既得権者が正しい情報の普及を拒んでいるからです。むしろ、「今のままで安心だ」とか、「政府や厚生労働省に任せておけば、何も問題はない」「誰もが皆、年金で得をする」といった間違った情報を大量に流布します。今日では、正しい情報でさえ、コストを払って努力しなければ獲得できないものなのです。
言葉に敏感であると同時に、私は現実(「正しい情報」)を知るために、コスト(時間とお金)をきちんと負担しようと思っています。
しかし、これはなかなかの難事です。
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