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2014年6月

2014/06/30

■節子への挽歌2488:風邪を引いたようです

節子
どうも風邪を引いてしまったようです。
今日は自宅でおとなしくしていました。
今週はいくつかの約束もあるので、入り口で治さなければいけません。

なぜ風邪を引いてしまったのか、原因がわかりません。
無理をしているわけでもありませんし、気温の変化にもそれなりに留意していたのですが。
昨夜の寝相の悪さのためでしょうか。 

しかし、風邪を引く以上、何らかの理由があるはずです。
もしかしたら、少し休めということかもしれません。
客観的に見たら、休むほどのことはしていませんが、いろんな気遣いに疲れが出てきたのかもしれません。
そういえば、最近の私の電話ぶりは問題がありそうです。
節子がいたら、間違いなく注意されるでしょう。
一方的に声高に話しだしてしまうのです。
実に困ったものです。

昨日、新潟の金田さんのメールにこんなことが書かれていました。

失礼ながら、佐藤さんの機関銃のようなお話を聞いてますと、整理するのに苦戦してます。

これは婉曲に私にアドバイスしてくれているものと思われます。
金田さんと一緒に、今あることに取り組んでいるのですが、一昨日、私がちょっといらだってしまい、私よりも年長の金田さんに一方的にいろいろと話してしまったのです。
金田さんは、私の失礼な話しぶりを寛容に包み込んでくれましたが、電話を切った後、我ながら嫌な気分になってしまっていました。
しかし、幸いに、今日、金田さんから順調に進みだしたとの電話がかかってきました。
ホッとしました。

心に余裕がないと、思わぬ失態をします。
少し休んで、自分を見直すことが必要です。
風邪を引いたのは、そのためでしょう。
午後からゆっくりとしていました。
残念ながら、まだ風邪が治った気配はありませんが、ひどくなったようにも思いません。
早目に寝ようかとも思いますが、早く眠ると夜中に目が覚めてしまいます。

私にはめずらしい書籍を先日図書館から借りてきているので、それを読もうと思います。
関川夏央さんの書いた「二葉亭四迷の明治41年」です。
この本を読む気になったのも、おそらく意味があるのでしょう。
たぶん読み終われば、その理由がわかると思うのですが。

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■ちょっとハードなテーマカフェを始めたくなりました

このブログでもご案内しましたが、昨日、川本兼さんの新著「右傾化に打ち克つ新たな思想」を読んだ人たちの少しハードなカフェサロンを開催しました。

川本兼さんは、この30年ほど、高校の教師を続けながら(今は退職されています)、ずっと「人間を起点とする社会哲学」の視点で、人権や平和に関して考え、著作を通じて社会にメッセージを出してきました。
その基本にあるのは「人間を基点とする社会哲学」です。

参加の条件として、川本さんの本を読むことを条件にしました。
どのくらいの人が反応してくれるかと思っていましたが、10人以上の人が本を購入して読んでくれました。
しかも昨日のサロンには9人の人が参加してくれました。
私はそれだけも大きな感激でしたし、川本さんも感激してくれました。

川本さんのお話は、本の内容解説ではなく、なぜこうした考えに達したのかを、個人的な体験談や思考方法などのお話を切り口にして、語ってくれました。
川本さんのお人柄が伝わってきて、それ自身も興味深かったですが、それによりこの社会哲学への親しみも感じました。
私たちは、「基本的人権」とか「社会契約」という言葉をわかりきったように使っていますが、ちょっと考えてみただけでも、そのあいまいさに気づきます。
川本さんは、「与えられた知識」からではなく「自分で考えた後に知る」と言うスタイルで、長年かけて、自らの考えを体系化してきたのです。
実に多彩な人たちが参加してくださり、しかもみんな、知識ではなく思考で話し合う人でしたので、話し合いの幅も多面的で刺激的でした。

社会保障を専門としている本間教授は、線を引きながらしっかりと読んでくれていましたし、昨日、私の隣にいた小林教授も持参された本にたくさん付箋がつけられていました。
いまは教育学を教えている折原さんは、関連した資料やご自身の論考も持参してくれました。
埼玉の地元でしっかりした地域活動に取り組んでいる若林さんは、「社会」をどう捉えるかという問題意識を最初に明確に表明してくれました。
川本さんの思想につながっていると私が思っている品川正治さんの秘書役だった大田さんも、また私の知らなかったことを話してくれました。
いつも辛口の大島さんは、これから議論のためのロゴスを手に入れたと、続きをご自分でもやろうというほどの熱意を語ってくれました。
ロゴスといえば、久しぶりにやってきた桐山さんも。その言葉に反応されていましたが、演劇ワークショップをやっている桐山さんの話をぜひお聞きしたいと改めて思いました。
これまでの自分の発想の枠組みとは違う発想で触発されたと最初に話してくれた西坂さんは、その言葉は使いませんでしたが、ガバナンスの論点を出してくれました。
少し前に富山から首都圏に戻ってきたジャーナリストの飯田さんは、最近、取材した太平洋戦争末期の沖縄戦で「沖縄県民斯(カ)ク戦ヘリ」との電文を残し、自決した大田実中将のご家族のことを紹介してくれました。

参加者のみなさんの共通の思いは、このままでいいのかという危機感です。
3時に終わる予定が、4時半を過ぎても終わらず、しかたなく打ち切りにさせてもらったほどでした。
また発展的なパート2を開催したと思っています。
こんな議論を、こんなスタイルでカジュアルに行う場が、今はほとんどなくなってしまったように思います。
だからこそ、また開催できればと思っています。
事務局を一緒にやってくれる人を募集します。

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2014/06/29

■一人称自動詞で考える

私が大切にしている事のひとつに「一人称自動詞で考える」ということがあります。
これに関しては、これまでもホームページやブログで何回も書いてきていますが、何か判断に迷う時には「一人称自動詞」で考えると決断しやすいのです。

たとえば、私が死刑に反対なのは、自分が死刑を執行する立場になりたくないからです。
もちろん自らが死刑になるのもいやですが、それはかなりの程度、自分の努力で避けることができます。
しかし、裁判員制度ではないですが、もし仮に死刑執行者になるようなことを命じられても、私には死刑執行はできません。
あんまり論理的ではないといわれそうですが、これが私の判断の仕方です。
同じ意味で、私は裁判員制度にも反対です。
いまの司法制度の枠組みで、人を裁くことをしたくないからです。

集団的自衛権の議論に反対なのも、人を殺したくないからです。
集団的自衛権に賛成する人は、それを覚悟しなければいけません。
安倍首相も石破幹事長も、一人称自動詞ではなく、三人称他動詞で考えているように思います。
集団的自衛権に賛成する人は、ぜひ一人称自動詞で考えてほしいです。

「正義論」で有名なロールズは「無知のヴェイル」という枠組みで、一人称自動詞で考えることを基本にして「正義」を論じています。
自分自身の位置や立場について全く知らずに(それを「無知のベール」と呼びます)判断を下すことで、自分だけの利益に基づいて判断することを避けることができ、それによって社会全体の利益に向けた正義が実現できるようになる、というのがロールズの正義論です。
いいかえれば、すべての問題を自分の問題として、つまりは一人称自動詞で考えるということです。

この発想を基準にすると、自らの世界が広がるという効用があります。
しかし、その一方で、生きづらくなるということもあります。
たとえば、裁判員制度ですが、嫌いだからと言って、拒否するのは、これまた辛い話です。
ソクラテスは、法に従い自ら毒杯を飲んで死を選びましたが、できればそうしたくありません。
私なら毒杯を飲まずに、逃げただろうと思いますが、逃げた後の人生は毒杯を飲むよりも辛いかもしれません。
一人称自動詞でいきていると、どこかで社会との不整合を強め、破綻しかねません。
そうならないように、現代の学校では、一人称自動詞ではなく、三人称他動詞で考える生き方を勧めているのかもしれません。
そしてそれが「社会人」になることなのかもしれません。

しかし、私はやはり「一人称自動詞で言動していきたいと思っています。

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■節子への挽歌2487:平安を与えてくれる祈り

私の一日は、節子への祈りによって始まります。
これは、節子がいなくなってから始まったことですが、祈りを受け止めてくれるのは、わが家の大日如来です。
娘が手づくりし、家族3人で開眼し、お世話になっているお寺で魂を入れてもらった大日如来です。
昨日、時評編にこうした書き出しで、少し「祈り」のことを書きました。
最近は「祈る」ことが多くなりました。

Photo_6

節子の胃がんが再発した後、私たちは毎日寝る前に一緒に祈りました。
しかし、今から思えば、祈りの内容は違っていたのかもしれません。
私の祈りは、奇跡への祈りであり、節子の祈りは感謝の祈りだったような気がします。
その違いが、最近少しわかってきました。

節子がいなくなってから、私はしばらく放心していたように思います。
仏壇や献花台に手を合わせていましたが、何を祈っていたのか、あまり思い出せません。
おそらく旅立った節子の平安を祈っていたのでしょうが、実は残された私の救いを願っていたのかもしれません。
祈りは、願いにもつながっています。
放心した私の願いは、決してかなえられるものではありません。
しかし、それでも祈りによって、私自身の平安は保たれた気がします。
祈りは、自らを、自らを超えた大きな存在(それを神と言ってもいいでしょうが)にゆだねるからです。
小さな私欲をわずらう自分はいなくなります。
いま思えば、節子もまたそうだったのです。
祈りは、人に平安を与えてくれるのです。

まだまだ私は、そうした「祈り」の境地には達せられません。
節子の祈りを思い出しながら、少しずつそうした祈りに近づければと思います。

今朝の祈りは、いつもとは少し違いました。
でもまぁ、ここに書いたようなことが気になって、いつもよりも早く起きてしまったので、とても眠いのですが。


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2014/06/28

■祈ることの意味

私の一日は、数年前に先立たれた妻への祈りから始まります。
最近その祈りの内容が変わってきました。
以前は妻への感謝の気持ちとともに、ちょっと辛い立場に置かれている身近な友人知人の平安を祈っていましたが、最近は社会の平安への祈りが中心になってきました。
妻に祈ったところであまり意味がないのですが、妻を祀っている仏壇には大日如来が鎮座しているのです。
娘が手づくりし、家族3人で開眼し、お世話になっているお寺で魂を入れてもらった大日如来です。
大日如来の向こうに、私は神がいると信じています。

日本の寺社では毎日、膨大な祈りがささげられています。
伊勢神宮でも春日大社でも、あるいは出雲大社でも、それぞれ毎年1000を超す神事や仏事が行われていると聞きますが、その多くはおそらく社会の平安、人々の平安を祈るものだろうと思います。
私が特に不思議に感ずるのは、神社の神事です。
神社関係の親しい友人がいないので性格には知らないのですが、神社では氏子でさえ見ることのできない神事があると聞きます。
以前、テレビで見た春日大社では、誰も見ることのない神事が、1000年以上にわたって、毎日行われているそうです。
まさに私たちに代わって、神(といっても一神教の神ではなく、自然とかお天道様とかいう意味でしょうが)への祈りをしてくれているわけです。
それによって、私たちの生活の平安が守られていると、私は思っています。

祈りは、私にもできることです。
祈りだけではなにも変わらないといわれそうですが、私の体験では、祈りは確実に自分を変えてくれます。
まずは自分から。
それが私の生き方のです。
まだまだ祈りが足りません。

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■節子への挽歌2486:池に魚を放しました

節子
魚屋さんに行って魚を数種類仕入れてきました。
食べる魚ではなく、飼う魚です。
最近、わが家の魚は絶滅の危機に瀕しているのです。
庭の池の魚が全滅したのは、2年前ですが、その後、放したメダカがまたもや全滅です。
改めて水は全部出して、一度カラにしたのですが、最近の雨でいっぱいになっていました。
それで金魚屋さんに行って、金魚とタナゴとエビを購入してきました。
メダカもほしかったのですが、あいにくお店の人に今は元気がないのでやめたほうがいいといわれました。
このお店は、どういうところで飼うのかまでチェックされるのです。

節子は池に反対でした。
庭に穴を掘ってはいけないという子どもの頃聞いた話を信じていたからです。
逆に私は水が大好きで、池も大好きなのです。
以前の家でも池をつくっていましたが、ちょっと不幸が続いた時に、節子の気持ちを汲んで埋めてしまいました。
そのおかげで、不幸が山を越したかどうかは、記憶がありませんが。

しかし、なぜか転居した新しい家では、私の誕生日祝いに池をみんなで作ってくれたのです。
節子が元気のあいだは、池も元気でした。
近くの手賀沼からゲンゴロウやミズスマシも飛んできました。
しかし、節子が病気になってからは、池も元気がなくなってきました。
まあ、これは単に私がそんな気がしているということだけのことですが。
そして、3.11の1年後に、すべての魚やエビが突然全滅したのです。
魚を放しても、なぜかダメでした。

5月に池にハスを植えました。
昔はハスもパピルスも育っていましたが、この数年、いずれも枯れてしまっていました。
幸いにハスは元気です。
それで今度は金魚とエビを放すことにしました。
うまく育ってくれるといいのですが。

エビはしばらくは室内で飼って、それから池に放す予定です.
節子の位牌の近くに、節子が熱帯魚を飼っていた水槽があるのです。
そこの熱帯魚も、今は1匹しかいないので、私と同じように、いつもさびしそうです。

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■節子への挽歌2485:こじんまりしたオープンサロンでした

節子
昨夜のオープンサロンには3人の人たちが来てくれました。
昔とは大違いで、最近のオープンサロンはとても地味なのです。
3人には3人の良さもあります。
今回は、みんな私を元気づけるために来てくれたようです。
にもかかわらず、「みんな暇ですね」などと相変わらずの悪態をついてしまったので、みんなさぞかしむっとしていたことでしょう。
困ったものです。

節子の知っている人では、三浦さんと小山石さんが来ました。
三浦さんは最近体調もよくなり、先日は奥さんと一緒にクルージングで台湾にまで足を延してきたそうです。
三浦さんほど、心底善意の人は滅多にいませんが、あまり体調もよくないのに、サロンには来てくれます。
今回は、節子はあったこともない吉本さんという人が来ていて、たまたま三浦さんと関連した話をしていた時に、三浦さんがやってきました。
これも何かの縁で、それからひとしきり、3人でその話題の話になりました。
企業関係の仕事の話なのですが、話しているうちに、いろんなことを思い出しました。
そういえば、企業変革関係のプロジェクトをやらなくなってから長い時間が経っていますが、企業文化の変革や企業家精神の啓発などのプロジェクトをまたやりたい気分になりました。
小山石さんは、湯島をオープンした時にも、やってきて、紅茶の話をしてくれたので、節子も印象づけられた人です。
相変わらず変わっていませんが、昨日は紅茶ではなく珈琲を持ってきてくれました。

人数が少なかったこともあり、なぜか湯島に来た、ちょっと変わった人たちの話になりました。
湯島には本当にさまざまな人がやってきました。
話していると、いったい私は何をやってきているのだろうかと、我ながら不思議になります。
節子がよくついてきてくれたものだと、改めて感謝しました。

湯島を開いてから、それでもきちんとした仕事をしていた時期もありました。
しかし、なにやら少し社会のわき道にどんどん迷い込んでしまったような気がします。
それでも私に勢いがあった時には、いろんな人が集まってきてくれていました。
しかし、私があまりにわがままで(良く言えば素直で)あるがために、私の態度を横柄だと感じたりする人も少なくなかったはずです。
最近は湯島に入りきれないほどにサロンに集まることもなくなりました。
こうやってだんだん人は社会から外れていくのかもしれません。

心許した人たちばかりでもあったので、私への辛らつな指摘もありました。
むかし節子から言われていたことも思い出しました。
そんなわけで、昨夜のオープンサロンは、いつもとちょっと違ったものでした。
でもまあ、おかげで少しまた元気も戻ってきました。
友人たちにはもっと素直に感謝しなければいけません。

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■ニーメラーの後悔を思い出します

何回かこのブログでも言及した「ニーメラーの後悔」ですが、最近、毎日思い出します。

ナチスが共産主義者を襲ったとき、自分は少し不安であったが、自分は共産主義者ではなかったので、何も行動に出なかった。
次にナチスは社会主義者を攻撃した。
自分はさらに不安を感じたが、社会主義者ではなかったから何も行動に出なかった。
それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人などをどんどん攻撃し、そのたび自分の不安は増したが、なおも行動に出ることはなかった。
それからナチスは教会を攻撃した。
自分は牧師であった。
そこで自分は行動に出たが、そのときはすでに手遅れだった。


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2014/06/27

■節子への挽歌2484:実盛坂を上れなかった人

節子
湯島駅からオフィスまで歩いて5分ほどです。
この道を私はもう25年間、通い続けています。
少しは変化していますが、ほとんど変わっていません。

湯島駅の場所に比べるとオフィスのあるところは高台です。
そのため、途中で実盛坂という急な階段を上らないといけません。
58段あります、
私のホームページに地図があるのですが、そこにこんな説明を入れています。

途中で急な階段に出会いますが、途中で帰らないようにしてください。
人生には苦難はつきものですから。

実はこれまでの25年間に一度だけ階段の下で諦めて帰った人がいます。
オープンサロンに初めて参加すると言ってきた女性です。
私は面識がなく、あるメーリングリストでお名前を知っていただけです。
サロンの途中で電話があり、階段の下まで来たが、急なのでここで引き返すことにしましたというのです。
サロンで私自身が話していた時だったこともあり、それは残念です。とだけ答えてしまいました。
あれしきの階段で諦めるとは、といささかがっかりしたこともあります。
そしてその人は結局、湯島のオフィスに来ることはありませんでした。

節子が発病した後、回復するかに思えたころ、湯島通いも復活しました。
いつも私と2人一緒でした。
しかし、この急な階段はやはりつらいと言って、ゆるやかな坂に遠回りしたこともあります。
その時に気づいたのですが、階段を実際に上れない人もいるのです。
そして、もしかしたら、あの時に来るのを断念した人は車椅子だったのかもしれないと思い至りました。
実際にはどうだったのかは、今となってはわかりません。
当時は、私の知らない人も含めて、オープンサロンには毎回15人ほどの人が集まりました。
2割くらいは、いつも私も初対面の人でした。
ですから、その人の名前もおぼえていないのです。
とても悔いています。

実盛坂を上るのが、私もそろそろ負担になってきました。
節子には、いつも無理をさせていたかもしれないと、この頃思うことが少なくありません。
節子の優しさを思うと、涙が出ます。

今日は、節子のいないオープンサロンです。
誰か来てくれるといいのですが。

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■現実にはさらに敏感でありたい

言葉に敏感でありたいと書きましたが、言わずもがな、ながら、言葉のもとにある現実には、さらに敏感でなければいけません。
言葉の世界で終わってしまっては意味がありません。

福祉の世界で大切なのは、「介入」が象徴しているような、力の関係ではなく、あるいは一方的な行為ではなく、支え合う関係性ではないかと思います。
そうでなければ、措置型福祉になってしまいます。
もっとも、「措置」から「契約」になったところで、問題は解決しないでしょう。
契約もまた、力の関係だからです。
対等の立場で契約は行われるというのはあくまでも言葉の問題であり、まさにその言葉で、その背景にある現実の力関係や本質的な問題を見えなくしてしまいかねません。

原発事故はコントロール下に置かれたとか、事故は収束したとか、そんな言葉が現実を隠してしまうことを私たちは何回も経験してきました。
集団的自衛権に関する、きれいに仕上げられた解説や条件も、すぐに無意味になるでしょう。
ここでも大切なのは、政権が何をもくろんでいるかの「現実」に思いをいたらせることです。

話題になっている「社会保障亡国論」のなかで、鈴木亘さんはこう書いています。

正しい情報というものは、無料でその辺に転がっているものではない。むしろ極めて入手が難しい希少財です。なぜなら、国民が正しい知識を得て、改革の原動力となることを「不都合」と考える既得権者が正しい情報の普及を拒んでいるからです。むしろ、「今のままで安心だ」とか、「政府や厚生労働省に任せておけば、何も問題はない」「誰もが皆、年金で得をする」といった間違った情報を大量に流布します。今日では、正しい情報でさえ、コストを払って努力しなければ獲得できないものなのです。

言葉に敏感であると同時に、私は現実(「正しい情報」)を知るために、コスト(時間とお金)をきちんと負担しようと思っています。
しかし、これはなかなかの難事です。

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■言葉には敏感でありたい

私たちの思考は、基本的に「言葉」で行われます。
ある意味では、「言葉の世界」に私たちは生きています。
ある新しい言葉との出会いが世界を広げることもあれば、言葉に対する固定観念が邪魔をして現実が見えなくなってしまうこともあります。
しかし、にもかかわらず、私たちは「言葉」にあまり敏感ではないような気がします。

先日、医療に関する話をしていて、相手が「介護予防」という言葉を使いました。
とても抵抗がありました。
「介護の予防?」と思ったのです。
それで思わず、「介護予防」ってなんですか、おかしな言葉ですね、と言ってしまいました。
ところが、その数日後、介護関係の資料を読んでいて、「介護予防」という文字が出ていた二に、何の違和感も持たずに、読み過ごしている自分に気づきました。
さらにその数日後、私自身が「介護予防」という言葉を使っているのに気づきました。
私も、以前から「介護予防」という言葉を受けいれていたわけです。
しかし、考えてみるとおかしな言葉です。
予防介護ならわかりますが、介護を予防するとはどういうことでしょうか。

言葉で失敗したことがあります。
地域包括支援センターの新しい役割をテーマにした委員会の委員にさせてもらったことがあります。
その初顔合わせの時に、事務局の人が「介入」という言葉を使ったのです。
福祉の世界で「介入?」、あまりに権力的で福祉の思想に合わないのではないかと、そう思ってその言葉にかみついてしまいました。
事務局の人やほかの委員は、私が何を言っているのか、理解できなかったでしょう。
私の主張を聞いて、ある大学の教授が、インターベンションの訳語でよく使われるでしょうと私をなだめてくれました。
そういえば、自殺防止の活動を話し合っている時に、事後介入とか事前介入とか、「介入」という言葉を私自身使っていたことを思い出しました。
投身自殺をとめるために「介入」という言葉が違和感なく私の頭に入っていたのです。
いささか気色ばんでしまった自分が恥ずかしくなりました。
事務局には悪いことをしたと反省しました。
そのせいかどうかはわかりませんが、その委員会は2度と声をかけてもらえませんでした。

しかし、やはり「介護予防」にしても「介入」にしても、考えてみるとやはりおかしいような気がします。
私たちはもっと「言葉」(表現)に敏感でなければいけないのではないか。

都議会議員のヤジや政治家の暴言が問題になっていますが、決して他人事ではありません。
私ももっと言葉に敏感でありたいと改めて思っています。
このブログも、かなり粗雑な言葉づかいをしていることも反省しなければいけません。

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■節子への挽歌2483:摂理

節子
明け方に節子の夢を見ました。
一緒に福引を引いたら大当たりで、とても高価なもの(それが何かは思い出せません)が当たったのですが、その価値は意味のない価値なのではないかと2人とも気づいたような気づかないようなところで目が覚めました。
久しぶりに節子が出てきたのに、おかしな夢でした。
色即是空、空即是色のような話でした。

あんまり関係のない話なのですが、一条真也さんから教えてもらった矢作直樹さんの「人は死なない」という本に「摂理」という言葉が出てきます。
なぜかその言葉を思い出しました。
その本は、副題に「ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索」とあるように、医学者である著者が、医学や科学の限界の認識の上に、スピリチュアリズムについて言及している本です。
著者の生きる姿勢は、本の最後の文章にしっかりと書かれています。

人はみな理性と直観のバランスをとり、自分が生かされていることを謙虚に自覚し、良心に耳を傾け、足るを知り、心身を労り、利他行をし、今を一所懸命に生きられたらと私は思っています。そして、「死」を冷静に見つめ穏やかな気持ちでそれを迎え、「生」を全うしたいものです。
寿命が来れば肉体は朽ちる、という意味で「人は死ぬ」が、霊魂は生き続ける、という意味で「人は死なない」。私は、そのように考えています。
著者はまた、これまでの人生体験を踏まえて、私たちを取り巻く森羅万象、そして私自身の人生は、科学的論理や善悪の倫理を遥かに超えた、まさしく摂理の業としか思えない、と書いています。
すべては、摂理に従って動いている。
そして、その摂理は私たちの霊魂とともにあるというのです。

福引の夢で、なぜこの話を思い出したかわからないのですが、摂理に従って生きていると考えると、少しホッとするところがあります。
節子との別れも、摂理に従ったものだったと思えるからです。
それに、節子の霊魂は生きているわけです。

最近ちょっと宝くじに当たらないと困ると思っていました。
節子には当たるように頼まなかったのは、当たるだろうと確信していたからです。
しかし、宝くじに当たるか当たらないかも摂理なのです。
欲を出してはいけません。
夢は私への忠告かもしれません。
最近、迷いが多いです。

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2014/06/26

■節子への挽歌2482:妻に先立たれた男性の生きづらさ

節子
ある大学院生が、病気などが原因で髪を失った女性たちは、いかなる「生きづらさ」を抱え、それに向き合い、対処しながら生きているのか、について、経験者たちに聞き取り調査した話を、好井裕明さんが本(「違和感から始まる社会学」光文社新書)に書いています。

好井さんは、その話に関連して、私たちが無意識に持っている「豊かな美しい髪は、女性の美しさとは切り離し得ないものだという常識的な信奉」に言及します。
さらにテレビコマーシャルなどによって、「美しい髪をもつことは女性にとって大事」とでもいえる「常識」が社会的につくられていることも指摘しています。

それを読んで、昔の話を思い出しました。
節子と結婚した頃に、お互いが知っている人で、とても髪がきれいな若い女性がいました。
私は、その髪に触りたいと思い、節子に触らせてもらいたいと本人に頼んでみようかと相談しました。
そんなことをしたら、変態者と思われるし、彼女の付き合っている人(その人も私たちの知人でした)に怒られるよと節子は笑い出しました。
でもまあ、その時にはそう思ったのだから仕方がありません。
もちろん実現はしませんでした。

私の母は乳がんで、片方の乳房を失いました。
以来、ほとんど温泉に行っても、みんなとは入浴しませんでした。
私には、それへの違和感がありましたが、乳房を失うことから生ずる「生きづらさ」への配慮がありませんでした。
さらに、母が伴侶を見送った後の母への配慮も、いまにして思えば、まったく不十分でした。
私が、それに気づいたのは、自分が同じ体験をした時、つまり節子に先立たれた時でした。
人間の愚かさを呪いたくなります。

好井さんは、私たちが「あたりまえ」だと思っていることで、傷ついている人たちがいるのだということを教えてくれています。
私も、たくさんの人たちを傷つけていることを反省しなければいけません。
娘からは、よく注意されていますが、私の物言いはいささかストレートすぎるのです。
いまもそれが一因になって、2つのトラブルに直面しています。
困ったものです。

私が加害者になっていることも多いでしょうが、被害者になることもあります。
たとえば、「妻に先立たれた男性」に関する「あたりまえ」の「常識」です。
「妻に先立たれた男性」が、どれほど「生きづらい」ことか。
やはりなかなかわかってはもらえません。
これは、しかし、甘えと言うべきでしょう。
生きづらさを生きることも、また人生なのですから。

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2014/06/25

■節子への挽歌2481:薬師寺の思い出

節子
録画していた「薬師寺」のドキュメンタリーを見ました。
薬師寺の薬師三尊は私が最初に見た仏像です。
高校の時の修学旅行でしたが、薬師三尊には圧倒されました。
奈良時代に人たちも、この仏たちに拝んでいたのだと思った途端に、なぜか当時の人たちのざわめきが聞こえてきた気がしたのです。
それ以来、仏像が好きになりました。
だから私にとっては、思い出深い仏像です。

大津にいた頃、節子とも何回か、行きました。
最初に行った時に、節子にざわめきの話をしたのですが、節子には冗談に聞こえたようです。
何回目かには、しかし、あなたなら聞こえたかもしれないと言ってくれました。
なにしろエジプトの廃墟のような砂にさえ感動する私と長年一緒だったので、否定しても無駄だと思っていたのでしょうか。
しかし、もう少し節子が長生きしてくれたら、私と一緒に、ざわめきが聞こえるようになったかもしれません。

東京に転居してからも、薬師寺には節子といったような気がします。
私たちは、京都よりも奈良が好きでした。
何しろ最初に一緒に歩いたのが、奈良でしたから。

薬師寺は行くたびに大きく変わっています。
私は、節子と最初にいった昭和40年頃の薬師寺が一番好きです。
薬師寺が好きだったのは、私には白鳳の息吹きを感ずる場所だったからです。
飛鳥ほどではありません。
飛鳥は、そこに行くだけで、心が震えました。
薬師三尊は、白鳳仏か天平仏かで論争があるそうですが、私にはそのあたたかさから、白鳳仏だと思っています。

昨年、娘と久しぶりに奈良に行きました。
ちょうど東塔の補強工事中だったこともあり、来たことを後悔しましたが、薬師寺から唐招提寺の道はあまり変わってはおらずホッとしました。
でも、残念ながら、白鳳の息吹きは感じられませんでした。

薬師寺の東院堂の聖観音のレプリカが東京国立博物館にあります。
近いうちに、会いに行ってこようと思います。
いつもとてもさびそうです。

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■エルダーソーシング

「高齢者が働くということ」という本に書かれていたことがとても共感できたので、2回にわたって少しだけ紹介してきましたが、もう一度だけ書くことにします。
それは同書で初めて出会った「エルダーソーシング」と言うことについてです。

エルダーソーシングという言葉は聞いたことがありませんでした。
私が知っていた言葉は、「アウトソーシング」くらいでしたが、それとはなにやら発想のベクトルが真逆のような気がしました。
思い込みのせいでしょうが、エルダーソーシングには敬意が含まれているのに対して、アウトソーシングにはどこか切り捨てる発想を感じてしまいます。

著者のリンチは、こう書いています。

アメリカの製造業者は、コスト削減の圧力に耐えかねて国外に生産拠点を移していったが、ヴァイタニードルのオーナー一族はこの圧力に対し、高齢者を雇用する「エルダーソーシング」という解決策を講じているように見える。

ヴァイタニードルの高齢従業員たちへのエルダーソーシングは、自宅にいながらにしてパソコンや電話でパートタイムのサービスを柔軟に提供するアメリカの(特に女性の)労働者たちへの「ホームソーシング」に似ている。ホームソーシングの労働者たちは、所得を得ながら家事をこなせる柔軟性を享受できる。一方でエルダーソーシングの労働者たちは、自分の時間を自由かつ柔軟に使いたいという、高齢者として追求しているライフスタイルを働きながら維持することができる。

そしてこう続けます。

ヴァイタニードルがエルダーソーシングで成功しているのは、ヴァイタから支払われる給料は「補足的」なものだという考え方のおかげである。それと同時に、同社はこの仕事の「補足的」という性質を多数の従業員が評価する長所にしている。つまり、従業員のスケジュールや価値観に合致する柔軟な労働環境をつくり出している。

同書には、「ヴァイタの管理職は、従業員たちがお互いのつながりや一体感を強める取り組み、各種のケアワークなどを是認していると同時に、従業員の柔軟な働き方を頼りにしている」とも書かれています。

ちょっと書き疲れたので、ここの読み解きはみなさんにお任せですが、いずれにもとてもたくさんの示唆があります。
それをどう読み解くかは、さまざまでしょうが、私はこれらの言葉に企業の未来を感じます。

日本にもきっとこういう会社はあるのでしょうね。

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■働くことには給料よりももっとたくさんの意味がある

ヴァイタニードル社のつづきです。

社長のフレッドは入社したいといってくる人たちについて、ほとんどの人が、「自分が役立っていることをもう一度実感したいとか、単調で寂しい老後の生活から抜け出したい」と考えていると話しています。
「高齢者が働くということ」の著者リンチは、働くことには、支払われる給料よりももっとたくさんの意味がある。働くことによって、社会とかかわることができ、自分が社会に貢献している感覚が得られ、家庭内のゴタゴタから一時逃避することもできる、と書いています。

ヴァイタニードル社の従業員の言葉〈表現は変えています〉を紹介しましょう。

「労働とは人に尊厳を与え、社会とのかかわりを与えるものだ。高齢者がテレビ漬けになっておかしくなってしまう世の中ではなく、人々が年齢を重ねても富の創造に参加し続ける世の中を、そしてそうすることで人々が経済全体を支え、かつそれぞれに経済的・心理的な利益を得られる世の中になってほしい」
「世の中の企業のCEOは、フレッドとは違って従業員のことなど気にかけておらず、自社の株価の上昇だけを望んでいる」

以前勤めていた会社では、従業員は名前のない「匿名の存在」だったが、この会社は家族のようにみんなに名前がある、というような話をしている従業員もいます。
いうまでもなく、社長も「社長」などと呼ばれることなく、「フレッド」と呼ばれているわけです。
働くものたちにとって、「働くことの意味」や「職場の位置づけ」を考えさせられる言葉です。

経営者にとってはどうでしょうか。
社長のフレッドは、高齢の従業員たちは仕事に強い倫理感を持ち、頼りになり、会社が当てにできる経験も豊富だと言っています。
たしかに作業効率は低いかもしれません。
しかし、それを組織として解決し、逆に強みにしていくことこそが、経営です。
この言葉からわかるように、フレッドは優秀なビジネスマンでもあるわけです。
そうしたフレッドが経営しているヴァイタニードル社に出資を要請してきた人もいるそうです。

メディアの見方は、さまざまですが、ヴァイタニードル社の労働をたびたび「セラピー(治療)」と形容し、従業員たちは「同じボート」にこのまま一緒に乗っていくことを高く評価する人たちだという捉え方も少なくないようです。
たしかに、ヴァイタニードル社で働いているから生きていられるんだと認めている従業員も多いようです。

「働く」とは「傍(はた)を楽(らく)にする」だけではなく、「自分をも楽しくする」ものなのです。
最近の日本人の多くが、働くことを忘れているのが残念です。

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■年金生活者株式会社のヴァイタニードル社

ケイトリン・リンチの「高齢者が働くということ」(ダイヤモンド社)を読みました。
これはアメリカで80年も続く家族的経営のヴァイタニードル社の紹介です。
著者のリンチは、その会社で実際に働くことまでやって、このドキュメンタリーを書き上げました。
同社は、2008年制作の映画『年金生活者株式会社』で全世界に紹介され、大きな話題になった会社です。

ヴァイタニードル社は販売部門と向上に分かれていますが、その工場は40人のパートタイマーで構成されています。
しかも従業員の平均年齢は74歳、100歳近い人まで働いています。
勤務時間を決めるのは、従業員自身です。
もちろん会社を辞めるか辞めないかを決めるのも従業員です。

高齢者ですので、すでに年金受給者であり、メディケアという医療保険に自分で入っていたりしているので、会社側はその分負担は少なくなります。
ですから、一部には、悪名高いウォルマートのように、低賃金と年金や医療保障の公的費用低負担で高齢者を搾取しているのではないかという批判もあるようです。
そういう批判や捉え方は、従業員も社長もよく知っています。
社長のフレッドは、高齢の従業員を雇用しているのは、社会の利益のため、すなわち孤立している高齢者の健康への悪影響に対抗するためだと述べていますが、一方で、高齢者を雇いたいと考えるのは、自分が善人だからではなく、それがいいビジネスになるからだとも述べています。
従業員もそうした噂を知りながらも、フレッドがやっているのは搾取ではなく公共サービスだと言っています。

パートタイムの、しかも作業効率が低く勝手な勤務時間にしても、不都合なく生産活動が行われているのは、それなりの仕組みや従業員の意識があるからです。
それは本書を読んでもらえばわかります。
2つだけ、そうしたことを示唆する、従業員たちの間で語られている言葉を紹介します。
「フレッド(社長)のために働こう」
「もし働くのをやめざるを得なくなったら、ローザはきっと死んでしまう」
ローザは、同社の最高齢の女性で、本書が書かれた時には99歳でした。
この2つの言葉が、ある意味ではヴァイタニードル社のすべてを語っているかもしれません。

『年金生活者株式会社』であるヴァイタニードル社の魅力が伝わったでしょうか。
私は、そこに、これからの企業のあり方、そして私たちの働き方にとっての大きなヒントを感じます。
長くなったので、もう一度だけ書くようにします。

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2014/06/24

■「自殺に追い込まれる状況をどうしたらなくしていけるか:企業で働く人編」パート2

ここでも何回かご案内してきましたが、「自殺に追い込まれる状況をどうしたらなくしていけるか」連続ラウンドミーティングの第2期が始まります。
その第1回目は、3月に続いての「企業で働く人編」パート2です。

画期的なのは、今回の実行委員メンバーは全員、大企業の経営管理者の3人です。
3月にも参加してくれたのですが、もっときちんと話し会いたいといって、今度は自分たちで企画開催すると言い出したのです。
これほどうれしいことはありません。

そのメンバーは、私が25年関わっている経営道フォーラムのメンバーです。
経営道フォーラムは、経営には心と道が必要だという思いで、友人の市川覚峯さんが始めた活動ですが、私はその第1期から関わらせてもらっています。
毎回、いくつかのチームのアドバイザー役をしていますが、私の姿勢は25年間変わっていません。
企業の世界だけ見ているのではなく社会全体に視野を広げないといけないということです。
できるだけ広い世界に、それも自分の生き方と重ねながら、触れてほしいと思っています。
今回、自ら実行委員に手を上げてきた3人は、そういう私と付き合ってしまったために、超多忙のなかを手弁当で活動してくれているのです。

ラウンドミーティングの案内は次のところにあります。
http://homepage2.nifty.com/CWS/info1.htm
テーマは、「40歳代・50歳代の企業戦士の自殺問題を考える」です。
自殺の問題と言うと、いささか腰が引けると思いますが、メンタルヘルスの問題やモティベーションの問題と捉えていただければ、逆に切迫した経営課題にもつながっていくはずです。テーマは重いですが、カジュアルな雰囲気になると思います。
こじんまりしたミニセッションですので、定員に限りがありますが、まだ2~3人の席があいています。
もし参加されたい方がいたら、ご連絡ください。
ただし、定員に達した場合はご容赦ください。

○日時:2014年7月5日(土曜日)午後2~4時(終了時間は予定)
○場所:㈱山城経営研究所5階会議室(東京都千代田区飯田橋4-8-4)
○参加費:500円
○申込先:ラウンドセッション実行委員会事務局(comcare@nifty.com

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■節子への挽歌2480:山形のサクランボ

節子
山形の一大さんがまたサクランボを送ってきてくれました。
もう10年ほども会っていないのに、律儀な人です。
早速、節子にお供えしました。

山形は、節子と一緒に行きたかったところです。
一大さんからは、山菜取りを誘われたこともありますが、もう少し先になったらと言っているうちに節子が倒れてしまいました。
少しよくなった後、一度、一緒に蔵王には行きましたが、それが唯一の山形の思い出です。

節子が元気だった頃に庭に植えた、佐藤錦のサクランボは、1本が枯れてしまいました。
たしか2本ないと実がつかないといわれて、2本植えたのですが、育ったのは1本でした。
節子がいなくなってからは庭の樹木への関心もなくなってしまい、いろいろと枯らしてしまいました。
幸いにまだ1本あるので、これからは大事にしようと思います。
そういう思いが出てきたのが、昨年の秋からでした。
いささか気づくのが遅れました。

一大さんは、以前、湯島のサロンにも来てくれたことがあります。
節子も会っています。
ちょうどその時は、いつものような賑やかなサロンではなかったのでせっかくきてくれたのに残念だったねと節子とはしたのを覚えています。
でも一大さんは喜んでくれました。

最近はなかなか山形に行く機会がありません。
と思っていたら、小宮山さんから電話があり、来週山形に行くのだが時間があくので、誰か紹介してほしいと連絡がありました。
山形には友人知人が少なくありません。
さて、小宮山さんと波長が会うのは誰でしょうか。
できることなら私も行きたいところで、少し迷うところです。

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■節子への挽歌2479:ウグイスと蛇

節子
今朝はウグイスの声で目が覚めました。
最近、明け方、鳥の声をよく聞きます。
とても賑やかですが、今朝のウグイスはなにやらはしゃいでいる感じでした。
節子は、生前、また花や鳥になって時々帰ってくるからと言っていましたが、今朝のウグイスは節子だったかもしれません。

わが家の庭は狭いのですが、高台のためによく鳥が来ます。
節子がつくった餌台がありますが、最近は餌を入れたことはなく、もっぱら水場になっています。
そのせいでもないでしょうが、庭の果実ものはすべて鳥にたいらげられます。
ジュンベリーやユスラウメなどは色がつきだすとすぐなくなってしまいますし、ほかのものも私たちの口にはいったためしがありません。
しかしまあ、節子も混じっているかと思えば、それもいいことでしょう。

わが家の庭は狭い割には荒れ放題です。
と言うか、ある部分は私の好みで、あまり手入れをしないことにしているのです。
それで時々思わぬこともあるのですが、多分そこから這い出してきた蛇が、昨日は庭の片隅で死んでいました。
蛇が死ぬとはあまり縁起が良くないのですが、なぜ死んでしまったのか理由がわかりません。
もしかしたら、アナグマにやられたのかもしれません。
狭い隙間に入り込んで、息絶えていました。
気づいた時にはすでにアリが群がっていました。
最近私も畑作業中にアリにやられっぱなしなのですが、アリから見たら、私に大事な棲家を台無しにされている恨みがつのっているはずです。
それで、わが家の庭のアリに頼んで、大事な蛇をやっつけたのかもしれません。
私は蛇年生まれなのです。

蛇は庭に埋葬しましたが、すぐに自然に帰ることでしょう。
まあこうやってみんな自然に戻っていくわけです。

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2014/06/23

■2つの暴言に思うこと

都議会議員のセクハラ野次と石原大臣の金目発言は、いずれも発言者が謝罪することで一つの節目を越えました。
謝罪は最低限当然なのに、ここまで来るまでに数日経っていること自体に、今の社会の壊れた実態を感じます。

この問題に関しては、ほぼ同じ論調がマスコミにあふれています。
私の感想は、それとは少しだけ違います。

暴言や失言には、事の実相があらわれるでしょう。
つまり、その背後にこそ、問題がある。
その実態こそを問題にしてほしいと思うのです。
暴言はひとつの現われでしかありません。
そんな発言が出なくても、きちんと取材していたら、そういう実態が見えるはずで、その実態こそを問題にしてほしいと思うのです。
暴言や失言がなければ、問題にできないことにこそ、問題を感じます。
暴言や失言を問題にするのではなく、そこから見えてきた実態や実状を問題にしなければいけません。
それこそがジャーナリズムだろうと私は思います。

もうひとつ感ずることがあります。
お2人の言動は、論外で、悲しくも寂しいものです。
しかし、私たちのなかにも、そういう思いはまったくないのか。

正直に言えば、私は、この2つの発言と同じ思いが全くないと、胸をはっては言えません。
相手が女性であろうと男性であろうと結婚はしてほしいと思います。
住民に犠牲を強いるのであれば、それを補償する十分な金額を提示するべきだと思います。
ですから、お2人の発言(都議会の野次はそれ以上の許しがたいものもありますが)は私にはさほど意外なものではありません。

念のために言えば、だからいいという話ではありません。
状況を考えると、その発言の意図や背景に卑劣なものも感じます。
それは、議員を辞めるほどの暴言だとも思います。
しかし、その一方で、彼らだけを責めていいのだろうかと思うのです。
少なくとも私としては、まずは自分の中にわずかに残っている、そうした思いを問い質したい。
そう思います。
お金では解決できないほどの大きなものを失った被災地の住民たちの怒りへの思い。
結婚は、それぞれの個人にとっての問題であるという認識。
それが、私にはまだまだ欠けていることを、反省しながら、お2人の謝罪を聞いていました。

もっとも、お2人とも、私には「謝罪」しているとは感じられませんでしたが。
でも彼らを非難するだけならば、私自身も彼らとそう変わらないなとも思います。
滲み込んだ「常識」を「良識」に変えるのは、実に至難です。

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■節子への挽歌2478:「おせったい」な生き方

節子
四国遍路を一緒にまわることはできませんでした。
ともかく忙しさに埋もれて、体調を少し崩していた私の生活を見直そうと、恒例のサロンまでも1年間休止して、さて少し休もうと思った、まさにその時に、節子の胃がんが発見されました。
私の予想では、私のほうに可能性があったのですが、なぜか節子が引き受けてしまったのです。
サロンを休んで、自分たちの生活を中心にしようと考えていたのですが、海外旅行もあれば、四国のお遍路さんもある1年間のはずでした。
しかし、そうはなりませんでした。
義姉夫婦は2回も四国を回っています。
私たちは一度も、しかもどこも行っていませんでした。
この頃、なぜか無性に残念に思います。

先ほと、テレビのクローズアップ現代で四国遍路を取り上げていました。
大日寺のご住職が「おせったい」の話をされていました。
四国遍路の「おせったい」は、まさに「恩返し」、ペイフォワードの仕組みなのです。
そんな当たり前のことに、なぜ今まで気づかなかったのだろうと思いました。

節子はよくわかっていてくれましたが、私の生き方は、ペイフォワードです。
もっとも、ペイフォワードどころか、時々、レストランで食事をしても、うっかり支払うのを忘れてお店を出ようとすることが時々あります。
なにやら、私自身、いつもお天道様に「おせったい」されているような気がしているところがあります。
その反面、私自身もそれなりに「おせったい」もしています。

会社を辞めた時に、あまり明確には認識していませんでしたが、今から考えると「おせったい」な生き方を目指したように思います。
その「おせったい」の場が、湯島のサロンでした。
節子はそのことをよくわかってくれていました。
節子がいたから、「おせったい」もそれなりにできたのかもしれません。

節子がいなくなってから、私の「おせったい」な気分はかなり消えてしまいました。
逆に「おせったい」されたいという甘えが強まったような気もします。
それでも、ささやかにまだ「おせったい」活動もしているかもしれません。
幸いに今もなお、湯島のオフィスは「駆け込み寺」になっています。

テレビを見ていて、節子はいなくなったけれど、節子と一緒に四国を歩こうかと一瞬思いました。
しかし、ご住職の話をお聞きして、思いを変えました。
もしかしたら、私たちは、四国遍路ではない遍路を、一緒に歩いていたのかもしれないと思ったのです。
実に勝手な思いなのですが、そう思ったら、心がとてもさわやかになりました。
四国遍路ではない遍路。

明日は湯島に行こうと思います。
だれか「おせったい」を受けに来てくれるといいのですが。

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■節子への挽歌2477:いいところ」が多すぎる

節子
最近頑張って挽歌を書いていますが、なかなか番号が追いつきません。
今日は実は節子の旅立ちから2487日目なのです。
10日のずれがあります。
今月中に追いつきたかったのですが、無理のようです。
まあ無理をすることもありません。
10日などという日数は、まあ瑣末な端数でしかありません。
と自己弁護するのが悪いところですが。

前にも書きましたが、
節子から何かをとがめられた時の、私の口癖は、「それが私のいいところだよ」でした。
頼まれた仕事を忘れても、修理すると言い出して家電をさらに壊しても、とんでもない経済的な失策をしても、家族に迷惑をかけても、自分の部屋が書類で埋もれていても、すべてその一言で終わるわけです。
もっとも、「それが私の良いところ」と言うのは、実は理にかなっているのです。
人には直せないところと直せるところがあります。
直せるところは直せばいい。
しかし、直せないところは直せないのですから、それを欠点だなどと考えずに、「長所」と考えればいいわけです。
実に理にかなっている。
問題は、節子が言っていたように、もしそれを認めるのであれば、他者の欠点も長所として受け止めなければいけません。
そこから私のもう一つの生き方が生まれます。
どんな人とも、その人の持っている「良いところ」を見つけて、そこと付き合うという考え方です。
これまた理に適っているでしょう。

しかし問題は残ります。
これも節子にも言われましたし、今も娘に言われていることですが、どうしても自分に甘くて他者、特に家族には厳しくなるのです。
本当は自分に対してが、一番厳しいのですが、どうもそう見えないらしいのです。
また家族は、どうしても自分と同一視してしまいがちなのです。

ただ節子はそのことをわかっていてくれたようにも思います。
たぶん娘たちもわかってくれているでしょう。
それにしても、私には「いいところ」が多すぎます。
困ったものです。はい。

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2014/06/22

■節子への挽歌2476:最近、あまり地元を歩いていません

節子
今日は我孫子で認知症予防ゲームに取り組みだした人たちと会いました。
話していてわかったのですが、おひとりは、たぶん節子が知っている人のむすめさんです。
節子もさほど地域活動をしていたわけではありませんが、民生委員をやったりサークル活動をやったり、少なくとも私よりも生活レベルでのネットワークはありました。
時々、節子から名前を聞いた人に出会うこともあります。

地元で活動しようとすると、やはり生活で根づいている女性のネットワークは効果的です。
男性のネットワークとはやはりちょっと違うような気がします。
最近、節子がいてくれたらなあと思うことがよくあります。
節子がいないと、地元での活動への意欲が高まりません。
なぜでしょうか。
自分でもよくわからないのですが、もしかしたら、私が自分の生活を投げてしまっているからかもしれません。
なかなか生きる動機づけができないのです。
決して生きることを捨てているわけではないのですが。

以前より、地元を歩く機会も減りました。
節子がいた頃は、地域の行事にもそれなりに参加しましたが、今はほとんど参加しなくなりました。
もともと私は、そうした行事にはあまり関心がないのですが、節子が引っ張り出してくれていたのです。
やはり私自身の生き方を見直さないといけません。
困ったものです。

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■煙石事件の控訴審初公判後の記者会見

煙石事件に関しては、以前、ホームページやブログで書いたことがありますが、
中国放送の人気アナウンサーだった煙石博さんが、銀行で客が置き忘れた現金66600円を盗んだとして、窃盗容疑で逮捕された事件です。
煙石さんは無罪を主張しており、冤罪ではないかといわれている事件です。

先月行われた控訴審初公判後の煙石さんと弁護団の会見がyou tubeで公開されていることを広島の友人が教えてくれました。
ちょっと長いですが、ぜひ見てください。
もうここまできていると思うと、恐ろしさにおそわれます。
http://www.youtube.com/watch?v=trPDzSDlpuE
いつわが身に起こってもおかしくありません。
おそろしい時代に戻っているような気がします。

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■節子への挽歌2475:痒いところが掻けないのは困ったものです

節子
昨日、畑でアリに襲われて、そのせいか体中が痒いです。
アリではなく、草にやられたのかもしれません。
畑仕事をする時には完全装備してやるようにと、節子によく言われたことを思い出します。
私はいつもの服装で畑作業をし、ズボンを台無しにしたり、虫に刺されたり、ケガをしたりすることが多かったのです。
最近は一応、軍手はするようになりましたが、どうも身体を覆うというのが不得手です。
それに作業をしていると暑くなるのです。
昨日も無防備で作業をしていました。
よく見ると、腕の至るところに、虫に刺されたようなあざや赤いふくらみがあります。
痒み止めのムヒを塗っても、あまり効果がありません。
実に痒い。困ったものです。

手足はまあいいのですが、手が届かない背中の痒さは大変です。
節子がいたら、「ちょっと背中を掻いてよ」といえますが、娘にはなかなか言えません。
実に困ったものです。

痒いところを掻いてもらう。
手の届かないところへの気配りをしてもらう。
節子がいなくなってから、こうしたことができなくなりました。
もちろん娘たちがある程度はしてくれます。
昨日も突然のお客様があったのですが、私が気づかないことを知らぬ間に娘がやってくれたのに気づきました。
お客様はそんなことには気づかないでしょうし、以前の私ならたぶん気づかなかったのですが、お客様に合わせたちょっとした心遣いは大切なことでしょう。

そういう節子や娘たちのあたたかな心遣いのなかで、私は快適に暮らしてきたわけです。
節子がいなくなってから、ようやくそのありがたさを実感するようになりました。
気づかないところで、節子にはたくさんお世話になってきたのでしょう。
痒い背中が掻けないことで、そのありがたみへの感謝の思いが強まります。
それにしても痒いです。。

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■戦争の記憶

私の日曜日は、朝6時からの「こころの時代」と「時事放談」から始まります。
といっても、いずれもテーマや顔ぶれを見て、パスすることも多いのですが、今日は、久しぶりに2つとも見ました。
時事放談は野中さんと古賀さんだったので、見るのを止めようと思ったのですが、見てしまいました。
主要テーマは、集団的自衛権でした。
私はお2人への信頼感をどうも持てないでいるのですが、今日のお2人の発言はすんなり心に入ってきました。
野中さんはもっと過去の戦争のことを学んでほしいと言い、古賀さんはいじめと同じで、被害を受けたほうはなかなか忘れないと言っていました。

上垣外憲一さんの『「鎖国」の比較文明論』(講談社選書メチエ)を思い出しました。
この本は20年前に出版された本ですが、最近たまたま目にすることがあり、先月読んだところなのです。
そこに秀吉の朝鮮出兵が、どれほど酷いものだったか、そして朝鮮にどれほどの被害を与えたが書かれていました。
文禄・慶長の役から100年後に書かれた「朝鮮太平記」を引用して、100年を経ってなお、戦争の惨禍の記憶は生々しかったと上垣外さんは書いています。
文禄・慶長の役は、韓国では「和乱」とよばれているそうで、20年ほど前に韓国のテレビの大河ドラマにもなったようです。
そのドラマのもとになった「和乱」も当時、読みましたが、私の理解していた文禄・慶長の役とはかなり違ったものでした。
私たちの歴史認識は、自虐的であろうとなかろうと、一つの見方でしかありません。
相手には相手の見方がある。
しかし、見方はともかく『事実』は一つです。

数日前の朝日新聞でハーバード大学名誉教授の入江昭さんが、こう話していました。

「本当に日本に誇りを持つなら、当然、過去の事実を認めることができるはずです」
「様々な角度から深掘りして見ることは大切だが、いつ何があったという事実そのものは変えてはならない。例えば日本人でもトルコ人でもブラジル人でも、世界のどの国の人が見ても歴史は一つしかない。共有できない歴史は、歴史とは言えないのです」
都議会での野次や石原大臣の金目発言も、すべて自らの「自信のなさ」からのものだと思いますが、安倍首相ももっと自信を持ってほしい気がします。
ヒトラーもそうでしたが、劣等生が自信のなさからとんでもない事態を引き起こすことは、なかなかおさえきれないおそれがあります。
野中さんが今朝語っていたように、「人を殺す」ことを強要されることになることへの理解が広がっていないのが残念です。

私には戦争体験はないのですが、改めてもう少し本を読んでみようと思います。

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2014/06/21

■節子への挽歌2474:死がなぜこわいのか

節子
死がこわいという人がいます。
おそらく節子には、そういう感覚はなかったと思いますし、私にもありませんが、多くの人が死をこわがるのはどうしてでしょうか。
それがよくわかりません。

節子もそうでしたが、死は悲しく寂しいものです。
しかし、それは「こわい」というのとはかなり違います。
正確に言えば、死が悲しいのではなく、死によって、会えなくなる人がいることでしょう。
あるいはやり残したことがあるからでしょう。
そうした、悲しく寂しい状況を引き起こす死を避けたいということであって、死そのものがかなしいとかさびしいとか言うことでもないのかもしれません、
いずれにしろ、死はいつか必ず誰にも起こることですから、こわがることもありません。
ところが、なぜか生死に関する書籍などを読んでいると、ほとんどの人が「こわい」ということを問題にしています。
これは、私にはよくわからない心境です。

なぜ、死がこわいのか。
死の先に何があるかわからないからでしょうか。
しかし、先に何があるかわからないことが「こわい」のであれば、人生は常に「こわい」はずです。
「地獄」に陥るのがこわいのでしょうか。
だとしたら天国にいけるように生きればいいだけの話です。
「死がこわい」ということの意味がよくわかりません。

この挽歌にコメントを投稿したり、私にメールをくださる方で、伴侶を失った方の何人かは、むしろ死を楽しみにしています。
というか、死の先で、また伴侶に会えることを楽しみにしています。
会えるかどうかは確実ではないでしょうが、会える可能性はゼロでもないでしょう。
だから、楽しみにすることは合理的です。
会えるかどうか、考えただけでもわくわくします。

「死はこわいものなのか」
前からずっと気になっていたことなので、ちょっと書いてみました。
必ず死はやってきます。
人生の最後が、そんな「こわいこと」であるはずがありません。
なぜそんな考えが広まってしまっているのでしょうか。

みなさんは、死がこわいのでしょうか。

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■「集団的自衛権」と「集団的殺傷権」

集団的自衛権の報道を見ていて、いつも感ずるのは、「自衛権」という言葉への違和感です。
多くの人は、この「自衛権」という文字に影響されているだろうなと思います。
いうまでもなく、すべての戦争は「自衛」のために行われます。
一見、単に侵略ではないかと思われるものも、侵略を始めた人の意識には「自衛」の要素があるように思います。
それがいかに自分勝手な論理であろうとも、です。

「集団的自衛権」を「集団的殺傷権」と呼び変えたらどうでしょうか。
ほとんどの人は、それには反対だというでしょう。
しかし、「集団的自衛権」と「集団的殺傷権」とどこが違うのか、私には同じように思います。

いま、パリで陸上兵器の国際展示会ユーロサトリが開催されています。
安倍政権が武器輸出3原則を緩めたために、日本の軍需産業も今回初めて出展しているそうです。
報道ステーションでも一昨日、報道されていて、さすがに古舘さんもコメンテーターも、批判的なコメントをしていましたが、今日のNHKのニュースは好意的に報道していました。
ユーロサトリには、日本の防衛産業を担う13社が参加しているそうです。
ニュースに出た人は、海外でのビジネスチャンスは大きいと喜んでいましたが、この人たちはどういう思いで、武器を売っているのでしょうか。
「防衛産業」という表現を「殺傷機器産業」と呼び変えたら、もう少し悩むでしょうか。
「武器」というのも「殺傷器」と呼びかえたらどうでしょうか。

言葉は、真実を暴くとともに、真実を隠します。
注意しなければいけません。

集団的自衛権は、武器の市場を拡大するために必要なのでしょう。
この2つの動きは、決して無関係ではないのでしょうが、あまりにすべてが急展開しているのがおそろしいです。

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■節子への挽歌2473:なかなか花壇ができません

節子
畑の道沿いの傾斜地は篠笹などの根が張っていて、一筋縄ではいきません。
マリーゴールドが何とか頑張っていましたが、ちょっと行かないと草で覆われてしまいます。
家でタネから育てていたひまわりが大きくなったので、その斜面をていねいに根扱ぎをし、槌をかき混ぜたのですが、アリの巣がたくさんあって、気づいたら小さなアリが手を覆っていました。
大きなアリだとわかるのですが、小さなアリだったので、咬まれるまで気づきませんでした。
気づいた時には、アリがほぼ全身に入り込んでいて、大変でした。

そういえば、数日前には、ダニにもやれました。
幸いにいま話題のマダニではなく、性格の良いダニだったので、少し腫れてかゆくなっただけでしたが、畑仕事をしていると、さまざまな生命体に出会います。

先週は雨だったこともあり、しばらく畑には行けなかったのですが、その間に畑はまた草に覆われだしました。
前にも書きましたが、草の成長力はものすごく、人の努力などあっという間に消し去ってしまいます。
しかも刈っても刈っても、負けずに芽をのばしてきます。
根をかなり切っているのですが、根の張り巡らせ方もたぶんインターネットのようにリゾーミックなので、少々、切り裂いても効果はないのです。
時々、娘が手伝ってくれますが、そんなわけで、孤独な戦いをしているわけです。
なかなか花壇といえるほどにはなりません。

畑に植えたナスやミニトマト、きゅうりは少しずつなりだしました。
ミニトマトの成長力もものすごいです。
あまりに伸びたので、枝をはらうことがありますが、その枝を土にさしておくと、そこからまたどんどん成長します。
植物から元気をもらいたいものです。

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2014/06/20

■節子への挽歌2472:私自身の老いを生きる

節子
前回の記事で、「老い」と言う言葉を使ったので、「老い」について書きます。
というのも、今朝、読み上げた「高齢者が働くということ」という本の中で、著者のケイトリン・リンチは「アメリカ人は老いを一種の病気と見なしている」と書いていたのを思い出したからです。
アメリカ人に限らず、最近の日本人もどうもそう考え出しているような気がしますが、まさに「健康産業」創出のためには、そういう発想が必要なのでしょう。
老いを病気などと考えていたら、豊かな老いは体験できないでしょう。

その本でも語られていますが、「老いとは文化的に構築された概念」です。
そもそも65歳からは支援される存在としての高齢者などと概念化する発想が間違っています、
人は、歳相応に振る舞うべきだという「常識」がありますが、そんな社会的圧力は撥ね返さなければいけません。
先日、ある集まりで、参加者の一人が「佐藤さんのようなご隠居さんのような人」と言われた時には、いささか不快でしたが、私には隠居は向きません。
死ぬまで仕事はしつづけるでしょう。
娘は。歳をとったら少しは身奇麗にしないとお説教しますが、そんなつもりもありません。

しかし、実際には歳相応の生き方になっていくものです。
もちろん、「健康のために何かやっていますか」などという愚問には胸を張って、何もやっていませんと言う自信はあります。
何もやっていないからです。
アンチ・エイジングなどという、自然の摂理に反することもやっていません。
ただただ素直に生き、自然に老化していくことが、私にとっての「健康」なのです。
節子という伴侶もいないので、迷惑をかけることもなくなりました。

ますますわがままに、私自身の老いを生きたいと思います。

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■節子への挽歌2471:フォワードな生き方

節子
昨夜、ワールドカップの報道を見ていて、ふと「私も最近はフォワードしてないな」と思いました。
ここで言う「フォワード」は、前を向いて考えるということなのですが。

昔、挽歌にも「フォワード」ということを書いたような気がして、調べてみました。
一昨年、「フォワードに生きる」という挽歌を書いていました。

私が、この言葉を自分の活動につなげて使い出したのは、自殺のない社会づくりネットワークを立ち上げた時です。
自殺を思いとどまり、再出発しようとしている人たちを「フォワード」と呼ぼうと思ったのです。
さらにその意味を広げて、「ちょっとつまづいてしまったけれど、それを乗り越えて、前に向かって進みたいと思っている人」と捉え、毎月、湯島でフォワードカフェも始めました。
私もまた、「フォワードな生き方」に変えていこうという思いも重ねていました。
そのあたりのことを、一昨年の挽歌で書いているのを、改めて読み直しました。
その挽歌の最後には、
「節子がいなくなっても、私は素直に生きられるようになっているような気がします」
と書いてありました。

いまはどうでしょうか。
素直な生き方をしている点では、そうなのですが、最近はあんまり「フォワード」ではないような気がします。
正確に言えば、どちらが前かわからなくなってきている。
そんな気がするのです。
いろんなことに取り組んではいるのですが、どこかに「冷めてしまった自分」を感じるようになってきています。
もしかしたら、これが「老いる」ということかもしれません。
それは、しかし、私の生き方ではありません。
フォワードな生き方を思い出さねばいけません。

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■カスミ人生論はなかなか通じません

昨日、湯島のオフィスでカスミの記事を書いて、さて帰ろうと思ったら、最近会社を辞めた友人から、近くにいるので寄っていいかと電話がありました。
会社を辞めた後、どうしているかも聞きたかったので、来てもらいました。
非常に行動力のある人で、これまでもさまざまなプロジェクトに関わっていた人です。
しかし、組織での活動と組織を離れての活動は全く違ってきます。
多分そういうことを実感しだした頃だろうなと思っていました。

お話を聞くと、やはりいろんなプロジェクトに取り組んでいるようです。
そうした話をしてくれた上で、でもお金にはならないのですよ、と言うのです。
そこで、まさに「カスミ」の話をさせてもらいました。
実は、その友人も、私の生き方に関して「カスミではなくもっと金銭を得るように考えたほうがいい」といつもアドバイスしてくれていた人です。
ですから、彼にはあんまり新鮮でない話になったようで、「佐藤さんだからできるんですよ」と笑いながらいなされてしまいました。
私としては、お金はいざとなったら無力で、人生を支えてはくれないが、カスミは支えてくれる。それに、カスミもいつかお金になると言いたかったのですが、だめでした。

多くの人がやはり、金銭的に生きることを骨の髄まで滲み込まされていることに改めて気づきました。
ちなみに、その友人は実に柔軟で行動的で、さまざまな世界にも関わっている人です。
困ったものです。

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2014/06/19

■節子への挽歌2470:霞(カスミ)の話のつづき〔挽歌編〕

この記事の前半は時評編の同名の記事の前半とほとんど一緒です。

節子
先日、「霞(カスミ)を食べて生きる」話を書いたら、2人の人からメールをもらいました。
お一人は、挽歌編にコメントを寄せてくださいましたが、その方も「カスミ」族のようでした。
もう一人は、その話の大元である小倉さんからでした。
この記事が彼女の眼にとまってしまったわけです。
いやいやお恥ずかしい。
でも、とがめるのではなく、彼女らしいやさしいコメントでした。

久々に佐藤さんのブログを拝見したら、修験者の「カスミ」について、
とても素敵な読み解きをされていて、思わず大きく頷きました。
こんな風に、拙書からご自身の発想を豊かに立ち上げて下さるものなのか…と知り、気持ちが大きく膨らむように思いました。
小倉さんは農家の出身で、子どものころは、庭で飼っていた鶏の卵を集めるのが自分の仕事だったと話してくれたことがあります。
節子と一緒で、家を出てしまいましたが、結局、会社を辞め、自らの生き方を始め、今はご自分の映像プロダクションを主宰されています。
小倉さんは、さらにうれしいことを書いてくれていました。
会社組織から離れ、ささやかな自分の場を持ってみると、
佐藤さんが地道に人を繋ぐ場を続けておられることの意味の大きさがわかりかけてきました。
私が25年間、続けている湯島のサロンが初めてきちんと評価してもらえたようで、とてもうれしく思いました。
湯島を閉じようと思った時に、いろんな人が継続してほしいと言ってくれましたが、ほんとは継続をさほど望んでいなかったことはその後の関わり方で私にも伝わってきました。
私が落ち込まないように気遣ってくれたのでしょうから、それはそれなりにうれしいのですが、こんなに苦労して湯島を維持することもないかなと、時々思うこともあります。
でもこうして小倉さんからメールをもらうともう少し続けようと思えます。

サロンを始めたのは、節子がいたからでした。
節子がいなくなったので、サロンをやめようと思い、実際に一時はやめていました。
湯島のオフィスも閉鎖しようと思ったことも一度ならずあります。
しかし、小倉さんのような方もいますし、経済的にも支援してくれる人も数名います。
声をかけるといろんな人が集まってくれますが、もしかしたら迷惑をかけているのかもしれません。
実際、佐藤さんから声をかけられたら来ないわけにはいかないと言われたこともあります。
そうなると、それはもう「老害」でしかありません。
そうならないように、注意しながら、もう少しサロンを続けることにします。
私の理想は、湯島のオフィスをいつも鍵がかかっていない、みんなのたまり場にすることですが、それはかなり難しいことだと分かってきました
でも、湯島のオフィスには、気のせいか、いつもカスミがかかっているような温かさもありますし、もしかしたら「みんなのコモンズ空間」が実現するかもしれません。

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■霞(カスミ)の話のつづき

先日、「霞(カスミ)を食べて生きる」話を書いたら、2人の方からメールをもらいました。
お一人は、挽歌編にコメントを寄せてくださいましたが、その方も「カスミ」族のようでした。
もう一人は、その話の大元である小倉さんからでした。
この記事が彼女の眼にとまってしまったわけです。
いやいやお恥ずかしい。
でも、とがめるのではなく、彼女らしいやさしいコメントでした。

久々に佐藤さんのブログを拝見したら、修験者の「カスミ」について、
とても素敵な読み解きをされていて、思わず大きく頷きました。
こんな風に、拙書からご自身の発想を豊かに立ち上げて下さるものなのか…と知り、気持ちが大きく膨らむように思いました。
「オオカミの護符」を読んでいただくとわかりますが、彼女もある時から、会社勤めを離れて、自らの生き方を始め、今はご自分の映像プロダクションを主宰されています。
小倉さんは、さらにうれしいことを書いてくれていました。
会社組織から離れ、ささやかな自分の場を持ってみると、
佐藤さんが地道に人を繋ぐ場を続けておられることの意味の大きさがわかりかけてきました。
私が25年間、続けている湯島のサロンが初めてきちんと評価してもらえたようで、とてもうれしく思いました。
湯島を閉じようと思った時に、いろんな人が継続してほしいと言ってくれましたが、ほんとは継続をさほど望んでいなかったことはその後の関わり方で私にも伝わってきました。
私が落ち込まないように気遣ってくれたのでしょうから、それはそれなりにうれしいのですが、こんなに苦労して湯島を維持することもないかなと、時々思うこともあります。
でもこうして小倉さんからメールをもらうともう少し続けようと思えます。

ところで、今朝、湯島に来る電車の中で、「高齢者が働くということ(原題RETIREMENT ON THE LINE)」(ダイヤモンド社)を読みだしました。
アメリカにあるヴァイタニードル社を紹介した本です。
ヴァイタニードル社は社名通り、針のメーカーのようですが、従業員の半分は74歳以上です。
「年金生活者株式会社(Pensioners Inc.)」という映画やテレビドキュメンタリーなどで世界中に報道されている会社です。
ぜひ多くの人に読んでほしい本ですが、それを読みながら、カスミの中で生きていたら、人は最後まで働くことができ、幸せであり続けられるということに気づきました。
つまり、カスミを食べて生きることこそ、本来の生き方だったのに、それがいつの間に、カネを食べて生きるようになってしまったのです。
説明不足で伝わらないでしょうが、その本を読み終わったら、少し時評編で紹介させてもらいます。

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2014/06/18

■節子への挽歌2469:ドリームジャンボの幸せ

節子
ドリームジャンボ宝くじが当たりました。
実にめでたい話です。
当たったら借金をすべて返済し、ついでに友人の借金も返済して、先行きに備えて人並みの貯金をし、これまで迷惑をかけてきた娘たちにお裾分けし、残ったお金で仕事をしようと思っていたのですが、残念ながら当たった金額は3000円でした。
3000円では、いかんともしようがありません。
次回のドリームジャンボを購入することで、再挑戦です。

とまあ、人はまことに勝手なもので、お金から解放された生き方などと言いながら、いざとなると3000円ではどうしようもないなと思ったりしてしまうわけです。
今回、宝くじを買ったのは、いささかお金に窮していたからですが、こんな時には絶対に当たるはずだと確信していました。
天は、困った人を見捨てるはずがないからです。
そして、その確信は現実になったのですが、3000円とは思ってもいませんでした。
これは、天に感謝すべきかどうか、いささか迷うところです。

まあ信ずればきちんと実現することは証明されました。
次回は、きっと5億円が当たるでしょう。
買い忘れないようにしなければいけません。
当たったら、昔のようにまた、仕事を広げられます。
もう一度だけ行きたいと思っているエジプトにも行けるかもしれません。

しかし、信じても実現しないこともあります。
節子の病気治癒がそうでした。
私は絶対に治ると確信していました。
そう思うしかなかったのですが、その確信は裏切られました。
でも、こうも考えられます。
節子が絶対に回復し元気になると思っていた4年半は、とても幸せだったのです。

ドリームジャンボが絶対に当たると思っていることも、幸せなのです。
だから「当たると思うこと」で満足すべきなのでしょう。
それに、実際に5億円も当たってしまったら、不幸になるかもしれません。
だから「当たらないこと」も幸せなのです。

要するに、いつも幸せなわけです。
そういう発想が、私の発想だったはずです。
最近少し、心が歪んでいました。
困ったものです。反省しなければいけません。

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■節子への挽歌2468:生命と物質の緊張関係の弛緩

節子
今日は少し理屈っぽい話です。

生命現象と物質現象に関して、物質は解体方向に向かうのに、生命は統合方向に向かうといわれます。
解体という意味は、秩序が壊れていってバラバラになっていくという意味です。
逆に統合とは、バラバラのものが関係付けられ秩序化していくという意味です。
難しい言葉を使えば、物質界ではエントロピー増大の法則が支配するのに対し、生命はそれに抗って、エントロピーを減少させていくということです。
かなり不正確な表現ですが、統合に向けての流れが止まった時に、生命は死に向かいだすわけです。

最近の私ですが、身体は間違いなく解体に向かっています。
どこもかしこも、ボロボロになりつつあります。
先日は胸部を強く打ったら暫くの間、咳をしても痛いほどでした。
足腰はかなり弱ってきていますし、皮膚の老化は一見しただけでよくわかります。
以前、脳のMRIやCTを撮ったら、歳相応に壊れてきていると言われました。
いろいろと新品に替えたい器官もあるのでしょうが、替えるわけにもいきません。

一方、生命的な面では、相変わらず世界を広げながらも、自分の世界はますます進化しているような、気がします。
まだ死に向かっての反転はしていないのではないかと思っています。
しかし、最近、いささか危うい動きを感じます。
というのも、統合に向けてのモチベーションや好奇心へのフットワークが大きく後退しているのを感ずることがあるのです。
「そんなことを学んだところで、何になるのか」
「それを見に行ったところで、何になるのか」
そんな思いがどこかに浮かんでくるのです。
昨日も実は、東京国立博物館のある展示を見に行くつもりでしたが、少し疲れていたこともあって、まあいまさら見てもなんの意味があるのだろうと小賢しい思いに襲われて、やめてしまいました。
困ったものです。

生物は、生命と物質から構成されています。
その生命と物質の緊張関係の中で、生物は生きているのだろうと思いますが、どうやらその緊張関係が、私の場合、少し緩んできてしまっているようです。
軌道修正すべきかどうか、それが問題です。
ちなみに、自己修復できるのも生命の特徴です。
どうしようか、迷いだしています。

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■STAP細胞と小保方さんのがんばり

STAP細胞をめぐっての「小保方さん事件」は、いまなおマスコミをにぎわせています。
今もって、小保方さんはSTAP細胞があるという姿勢で、発言しています。
さまざまな検証にもかかわらず、あるいはさまざまな疑惑が次々に出てくるにもかかわらず。STAP細胞がないとは言い切れないような「新しい事象」があったことは間違いなさそうです。
それにしても、「権威」や「階層」でしか動かない「科学業界」(それは最近の原発事故への対応の状況から考えても明らかです)での、孤立無援に近い小保方さんの言動を見ていると、小保方さんの言動を信じたくなります。
STAP細胞がどんなものか、私には理解できていませんが、これまでの常識とは違ったなにかの現象に、小保方さんが直面したと考えないと、小保方さんの頑張りは理解できません。
なぜ小保方さんと一緒に、真剣に再現実験をやらないのか、真実を求める科学者であればやりたくなるのが普通だと思うのですが。
それにしても、これほどの逆風にもかかわらず、挫けずに発言し続けている小保方さんには感心します。
見習わなければいけません。

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2014/06/17

■霞を食べて生きましょう

挽歌編に「霞を食って生きる」ということを書いたのですが、これはちょっといい話ではないかという気がしてきたので、時評編にも書くことにしました。
一部重なっていてすみません。

私の生き方を見て、周りの人が、佐藤さんは霞を食べて生きているわけではないだろうが、どうやって生計費を稼いでいるのかとよく質問します。
霞を食って生きるとは、言うまでもなく、一般的には「浮世離れして、収入もなしに暮らすこと」のたとえです。
会社を辞めた時に、金銭収入と仕事とは切り離して考えることにした関係で、無償で引き受ける仕事が多かったのかもしれません。
たしかに収入は少なかったですが、お金に困ったことはあまりありません。
食事も、質素とはいえ、それなりのものを食べてきました。
決して、中国の仙人のように、霞を食べて生きているわけではありません。

最近、小倉美惠子さんの書いた「オオカミの護符」を読み直したのですが、そこに、「霞」には「修験道での信頼関係の縄張り」という意味があると書いてありました。
小倉さんはこう書いています。

「カスミ(霞)」とは、修験道で「縄張り」を意味するといい、山伏が開拓した檀家・講中(講社)を指す。この「カスミ」は、奉納や布施を受ける経済基盤でもある。
自然とともに生きる修験者たちは、まさに霞を食って生きていたわけです。
信頼関係に支えられて生きていたと言ってもいいかもしれません。
だとしたら、私も、霞を食って生きていたといっても、大きな間違いではありません。

これからは誰かに「佐藤さんは霞を食べて生きているんですか」と言われたら、胸を張って「そうです」と答えることにします。
そして、その人にも、霞を食べて生きることを勧めようと思います。
みなさんもぜひ「霞の味」をお楽しみください。

続きの記事もあります。

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■節子への挽歌2467:私たちは霞に支えられていました

節子
2465で「節子との思い出が、何やら霞にかかったようになっている」と書きましたが、「霞」という言葉で思い出したことがあります。
少し元気が出るかもしれないので、それについて書きます。

会社を辞めた後、わが家は定期収入がなくなりました。
2年ほどして対価をもらう仕事もはじめましたが、基本的には収入が保証された仕事はなく、対価なしの仕事が中心になりました。
そのうち、周りの人たちから、佐藤さんは霞を食べて生きているわけではないだろうが、どうやって生計費を稼いでいるのかとよく質問されました。
仙人とか宇宙人とか言う人まで現れました。

私自身は、お金の問題はすべて節子に任せていましたし、収入もなかったわけではありません。
ただ無償で引き受ける仕事が多かったのかもしれません。
会社を辞めた時に、金銭収入と仕事とは切り離して考えると言うことにしたからです。
引き受けたくない仕事の場合は、高い金額を提示し、断られるようにしました。
相手が断らずに発注してくれたこともありますから、わが家の収入が多かった年もないわけではありません。
しかし、私も節子も、お金の感覚はあまりしっかりしていなかったので、どうしてお金で苦労しないのかと不思議がったことも少なくありません。
私がお金に困って、娘たちの定期預金から融通してもらった事は2回しかありません。
もちろんすぐに返済しました。

ところで、最近、小倉美惠子さんの書いた「オオカミの護符」で、「霞」には「修験道での信頼関係の縄張り」という意味があることを知りました。
霞を食って生きるとは、一般的には「浮世離れして、収入もなしに暮らすこと」のたとえですが、修験道の世界ではまったく違った意味になります。
その本で、小倉さんはこう書いています。

「カスミ(霞)」とは、修験道で「縄張り」を意味するといい、山伏が開拓した檀家・講中(講社)を指す。この「カスミ」は、奉納や布施を受ける経済基盤でもある。
自然とともに生きる修験者たちは、まさに霞を食って生きていたわけです。
信頼関係に支えられて生きていたと言ってもいいかもしれません。
だとしたら、私たちもまさに、霞を食って生きていたといっても、大きな間違いではありません。
それで私たちはお金には困らなかったのです。
節子がいたら、このことを話して、だから困らなかったのだと説明してやれるのですが。

今はちょっと困っていますが、それは節子が霞を彼岸に持っていってしまったからかもしれません。
困ったものです。

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■節子への挽歌2466:相談事の多さと「豊かさ」「貧しさ」

節子
挽歌でも、たまには元気が出るようなことを書きたいと思うのですが、最近はなかなかそういう気になりません。
なぜかこの頃、無性に節子に会いたくなっています。
いまの私には、山のように節子に相談したいことがあるからです。
それに、伴侶にしか相談できないこともあります。
そうした相談事の重さに、最近はつぶされそうです。
困ったものです。

相談事が多いということは、それだけ豊かな人生を過ごしているということのはずです。
それが私の考えでした。
しかし、心身のパワーが衰えてきたせいか、あんまり豊かだとも思えなくなってきました。
時に、朝、節子の位牌に向かって、節子、どうにかしてくれよ、とつぶやくことがあります。
相談事が多いことは、ある年齢を超すと、「豊かさ」ではなく「貧しさ」の表れになるのかもしれません。

自分では変わっていないと思いたいですが、体力も精神力も大きく変わっていています。
自分の生活範囲を少し狭めていったほうがいいのかもしれません。
豊かな老後には、相談事は邪魔なものかもしれません。
しかしまあ、私の場合、豊かな老後は期待できませんので、相談事に悩みながら、人生を終えるのも悪くないかもしれません。

やはり今日も元気が出る挽歌にはなりませんでした。
困ったものです。

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■戦争を想定すれば戦争が、平和を想定すれば平和が実現する

私が生きている間には、日本は戦争に巻き込まれないだろうと思っていましたが、最近の動きを見ているとどうもそう安心してもいられないような気がしてきました。
安倍首相の言動は、まさに戦争に向かってまっしぐらで、しかも国民の半分はそれを支持しているのですから、私には信じられない状況です。

集団的自衛権は、いうまでもなく「戦争」を想定しての発想です。
なにかを「想定」して動けば、ほぼ例外なく、その「想定」は現実化する、と私は思っています。
戦争を想定すれば戦争が、平和を想定すれば平和が実現する。
甘いと思われるかもしれませんが、私はそう確信しています。

1週間前の朝日新聞の投書欄に東大名誉教授の石田雄さんが投稿されていました。
タイトルは「人殺しを命じられる身を考えて」でした。
20代の時に石田さんの「平和の政治学」を読んだことが、多分私が「平和」への関心を強く持ったきっかけになりました。
石田さんはもう91歳なのだと、その記事で知りました。
投書は次の文章で終わっていました。

殺人を命じられる人の身になって、もう一度、憲法9条の意味を考えてみて下さい。
おそらく「命ずる人たち」には届かない言葉だろうなと思っていました。
今日の朝日新聞の夕刊に、石田さんの取材記事が出ていました。
何かとても救われた気がしました。
最近の朝日新聞もまた戦争への大きな流れに同調しているように感じていたからです。
「政府は、最も大きな犠牲を払わされる人の身になって、政策を考えるべきだ。声を上げてそれを促すのが、主権者である国民の責任だ」と石田さんは語っています。
なぜか声をあげる元気が出てきません。
体調が戻ったら、集会に出て、元気をもらおうと思います。
しかし間に合わないかもしれません。
みんなどうして、そんなに死に向かって走るのでしょうか。
とても理解できません。

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2014/06/16

■破滅への一歩は反転への一歩でもある

世論調査によれば、集団的自衛権を指示する人たちが増えてきているそうです。
こうも毎日、「集団的自衛権」と言う言葉を聞いていると、みんな無意識の中で、それを受容する方向に動くことになりやすいですから、報道が集団的自衛権支持者を増やしているともいえるでしょう。
昨今の報道の恐ろしさが、そこにあります。

イタリアの思想家アントニオ・グラムシは、支配にとっては政治的経済的強制力よりも知的文化的指導が効果的だと喝破していました。
覇権を確保するためには、政治的活動だけでなく、国民の合意形成を促進する知的文化的活動が不可欠だと考えたのです。
政治的覇権は知的文化的活動によって覆すことが可能だと言うことですが、同時に、いわゆる市民社会における知的文化的活動を掌握することによって、覇権(支配権力)を確固たるものにもできるわけです。
そこで、いわゆる知識人の言動が重要になってきます。
おそらく必然的に、知識人は「御用学者」と同じように、現体制を守る側に回るでしょう。
なぜなら、そもそも「知識」のほとんどは現体制のもとで形成されているからです。
知識を発展させていくためにも、現体制に依拠していることが効果的です。
いわゆる「原子力ムラ」の知識人たちが、それを明確に証明しています。

グラムシは、注目すべきは「(新聞や雑誌などの出版全般」であり、「図書館、学校、様々なタイプのサークルやクラブ」であると言っていますが、ここに間違いなくNPOも入ります。
こうした「知を創造する」メディアや組織を誰が抑えるかで、社会の命運は決まってきます。
どうやら日本では、グラムシの期待する組織や人たちは、体制のためのものになってしまっているようです。
多くのNPOもまた、いまやサブシステムになってしまっています。
そうした状況をどうすれば、反転できるのか。

間もなく流れは反転するだろうと確信している私にとっては、実に興味深い問題です。
まあたぶん私が生きている間には、その反転は見られないでしょうが、その予兆を感ずることはできるだろうと思っています。

集団的自衛権は、破滅への一歩に間違いありません。
しかし破滅への一歩は、必ずその反作用を引き起こしますから、反転にも通ずる道なのです。
歴史の皮肉さを思わないわけにはいきません。

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■節子への挽歌2465:節子が持っていってしまった思い出

節子
気温の変化が激しいせいか、それとも気が萎えているせいか、なかなか体調が戻りません。
畑が草に覆われだしているのに、出かける気が起きません。
昨日決意した、アナグマ生け捕り活動も今日はできませんでした。
困ったものです。

テレビで大覚寺の紹介番組を見ました。
節子と大津で一緒に暮らし始めた頃は、週末は毎週のように京都か奈良に出かけていました。
当時は今よりもお寺も開放的でしたから、ゆっくりと散策することもできました。
私たちにとっては、一番楽しかった時かもしれません。
しかし、残念ながらその期間は、そう長くはありませんでした。
結婚してから1年半程して、東京に転勤になったからです。

節子と一緒にいった京都のお寺では、清滝川沿いの栂尾、槇尾. 高雄の、いわゆる三尾をゆっくりと下ってくるコースが好きでした。
節子ガ発病する直前に、2人で久しぶりに京都に行った時にも三尾を歩いたような気がしますが、不思議なことに、いまは節子との旅行はほとんどが霞がかかったように不確かな記憶しかないのです。
しかし、たしか高雄あたりの川沿いで魚料理を食べたような気がしますので、間違いなく2人で歩いたはずです。
そういえば、神護寺の紅葉が少し早いねと話し合った気もします。
節子の残した日記や写真を見れば、真偽の程がわかるのですが、わかったところで何の意味があるでしょう。

大覚寺も節子と一緒に大沢池の周りを歩いた記憶がありますが、池のススキは思い出すのに、そこに節子が見えてきません。

最近私は物忘れが多く、娘たちはまじめに心配しだしていますが、節子との記憶があまりはっきりしないのは、歳のせいでも認知症のせいでもないと思っています。
その思い出を、節子が持っていってしまったのです。
そうでなければ、これほど思い出せないはずがありません。

そういえば、節子は病気になった後、「今日もまた修との思い出がひとつできた」と喜んでいました。
その思い出は、私に残していくものではなく、彼岸に持って行くものだったのかもしれません。
そう考えると、節子との思い出が、何やら霞にかかったようになっていることが納得できます。

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2014/06/15

■節子への挽歌2464:迷惑と遠慮

節子
時評編では少し書きましたが、昨日、湯島で「遠慮と迷惑」をテーマにしたサロンを開催しました。
13人も参加してくれました。
いつものように、多彩なメンバーです。

最初に問題提起してくれた方が、いささか刺激的なお話をされました。
彼女の夫が自死しているのですが、それを最後に語りだしたのです。
それもとても素直に語りだしました。
DVを受けた話までも、
そして彼女がしみじみと言いました。
あまりにも自分は、相手の言動をそのままに受け止めてしまい、そこに込められた意味や示唆を汲み取れなかった、と。
夫婦といえども、相手のことがすべてわかるわけではありませんし、むしろその関係性において、甘えや期待が影響して、見えなくなってしまうおそれがあります。
だから彼女に限らず、言動の真意を汲み取るのは難しいのがふつうでしょう。

人はみんなに迷惑を受けながら生きているとよく言われます。
昨日のサロンでもそういう話が出ましたが、私はそうではなくて、人が生きるとは迷惑や恩恵をかけあうことなのだろうと思います。
これに関しては、また時評編に書こうと思いますが、私と節子の関係がとても気持ちよくいったのは、最初からそれをお互いに意識しあっていたからです。

私の勝手な結婚申し込みや結婚の仕方は、節子の両親には大いなる迷惑でした。
それによって節子の両親と家族は、大変な苦労をしたと思います。
今から思えば、本当に悪いことをしてしまいました。
しかし、結婚して時間が経ってからは、節子の両親も、娘は良い伴侶を選んだと思ってくれたと思います。
それがせめてもの私の恩返しです。

私はどうか、
実のところ、節子と結婚して迷惑を受けたことはありませんでしたが、なんと最後にどんでん返しで、節子が先に逝ってしまうという、とんでもない迷惑を受けました。
しかし、それを上回る大きな恩恵も受けました。

考えてみると、夫婦も迷惑をかけあう関係なのです。
そして私たちが、お互いに悔いのない夫婦でいられたのは、お互いに「遠慮」がなかったからです。
それが、私と節子が一緒に暮らし始める時に、約束したことでした。

遠慮をまったくしなくていい伴侶がいなくなったのは、本当に辛いことです。

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■節子への挽歌2463:そうだ、アナグマを捕獲しよう

節子
昨日は朝から夕方まで、いろいろとありました。
最近、あまり夜眠れないため、疲労がかなり積み重なっているようです。
昨夜は何もする気がなく、お風呂にも入らずに就寝、めずらしく明け方まで目を覚まさずにいました。
しかし、何やらいろんな夢を見た気がします。
目が覚めても何か頭が回っているようで、起き上がるまで少し時間がかかりました。

きちんと寝たはずなのに、食欲がなく、私としては記憶がないのですが。朝のコーヒーを飲む気がしませんでした。
今朝の朝食はブルーベリージャム入りのヨーグルトと庭先から摘んだサニーレタスの葉に包んだハムだけです。
ジャムは先日、キューピーの社長だった鈴木さんから勧められたまるごと果物シリーズのジャムですが、たしかに美味しいです。

午前中は気力なく、それでもがんばってホームページ(CWSコモンズ)を更新。
今日はワールドカップでの日本の試合日ですが、私は全く興味がありません。
午後は娘のジュンがスイカを買ってきたので娘たちと食べて、久しぶりにみんなで話をし手いたら少し元気が戻ってきたので、ようやくコーヒーを飲みました。

梅雨に入ったのに今日もまたさわやかな良い天気です。
ボーっとテレビを見ていたら、アナグマの映像が出ました。
娘が言うには、この辺りにもアナグマがいて、見かけたことがあるそうです。
テレビで見たアナグマは実に魅力的でした。
明日は、アナグマ生け捕りのための罠を作ろうと思いつきました。
娘たちは相手にしませんが、節子だったら手伝ってくれたでしょう。
節子は、まったく意味がないことを知りながら、私のそういう思い付きにも協力的でした。

さて、明日はアナグマ生け捕り装置作りです。
さて捕まるといいのですが。

ちょっと元気が出てきました。

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■「「助けて」と言える社会と言わなくてもいい社会

昨日、「迷惑と遠慮」をテーマにしたサロンを開催しました。
このサロンを開くきっかけは、あるメーリングリストで、「助けてといえる社会」に関連した、ある人の投稿です。

その人は、「支え合いの街づくり」をテーマにしたイベントを企画していたのですが、その取り組みを通して、「迷惑と遠慮」を考え出したといいます、そして、こう投稿してきました。

『迷惑をかけたくないので遠慮します』という日本人特有の「美徳的感覚」が、
福祉の大きな障害になっているような気がしてきました。
特に、高齢者になればなる程、その傾向は強いと思います。
そこで、『迷惑をかけたくないので遠慮しません』という感覚を広めることにより、
「助けて!」と言いやすい環境が整い、何が必要とされているのかを具体的に把握することができ、
強いては、それぞれのニーズに対応した、ハートフルなソサエティができるのではないかと思いました。
『迷惑がかかるので遠慮しないで下さい』という働きかけではなく、
自主的に堂々と言える、『迷惑をかけたくないので遠慮しません』という感覚を
広めたいと思っているのですが、佐藤さんはどう思われますでしょうか?
『迷惑をかけたくないので遠慮します』ではなく、『迷惑をかけたくないので遠慮しません』という感覚は、あまりに真実に近いので、私にはかなり抵抗があります。
それで、このサロンを開催したのです。

肝心のこの方は九州在住ですので、参加できませんでしたが、13人が集まりました。
とても刺激的な話になり、予定の時間を1時間も過ぎても終わりそうにない状況でした。

困った時に「助けて」と言えるかどうか、私の世代はもとより、今回参加していた30代の若い女性も「言わない」「言えない」そうです。
周りの若い人たちも、言わないだろうといっていました。
それどころか、そうした私的な悩みなどを普段から話し合う関係性が希薄になっているとも発言されました。
また「助けて」という状況を感じて、声をかけても、なかなか素直には受けてもらえないというような話もありました。
そのくせ、自分のことをわかってもらいたいという思いは強く、誰もわかってくれないという孤立感から自殺まで考えてしまうという話も出ました。
日本では「他人に迷惑をかけてはいけない」という教育やしつけ文化があり、それが「助けて」と言えなくしているのではないかいう話もでました。

話を聞いていて、私は、「助けてと言える社会」というのは、要するに普段からお互いに分かり合える状況が育っている社会だろうと思いました。
言葉としての「助けて」にこだわると、逆に問題が見えなくなってしまうかもしれません。
「つながり」とか「関係性」という言葉も盛んに出ましたが、大切なのは、もしかしたら日常的に「迷惑をかけあう関係性」の回復かもしれません。

「助けて」と言い合おうと最初に出だしたのは、私の記憶では住民流福祉研究所の木原さんです。
もう20年ほど前のことですが、当時、私が馴染める「福祉」概念を語っていたのは木原さんだけでした。
木原さんは、私が取り組んだコムケア活動にも共感し、立ち上げ当初はいろいろと支援してくれました。

「迷惑」に関しては、こんな議論が出ました。
自殺に関して、「自殺する権利」が話題になりました。
自殺は自分だけの問題ではなく、それによって多くの人たちや社会に迷惑をかけるから、そうした権利には反対だという人が少なくなかったのですが、ある人が、「自殺は迷惑をかけるからだめなんですか」と発言しました。
この発言に、迷惑と遠慮を考える大きなヒントがあるように思いましたが、その発言が出た時にはもう予定の時間をかなり超えていたため、話し合いを深められなかったのが残念でした。

ほかにもいろんな議論がありました。
参加者からのお話で、次のサロンのテーマもいくつか見えてきました。
「支え合いー迷惑と遠慮」を根底に置いて、具体的な問題を考えるサロンをしばらく継続したいと思います。
もし問題提起したいと言う方がいたら、ご連絡ください。
サロンの場を用意します。

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2014/06/13

■オメラスとヘイルシャムの話その9

オメラスの話もヘイルシャムの話も、いうまでもなく、幸せとは他者の不幸の上に成り立つものであることを示唆しています。
その意味では、「幸せ」という概念を持った途端に、「不幸」への不安が発生するというわけです。
概念を持つということは、そういうことですから、仕方がありません。
しかし、そのことに大きな「落し穴」があるような気もします。

私は何か集まりをやる時に、いつも関係者にいうことがあります。
それはどんな結果になっても、結果がベストなのだということです。
それでは「進歩」がないではないかと言われそうですが、体験を重ねることが進歩なのだろうと思います。
もしかしたら、「生きる」ということもそうなのかもしれません。
「生きること」が、そのまま「幸せ」である時代もあったはずですが、いまの私も、残念ながらそうは思えなくなってしまっています。
しかし、「不幸な人生」など、本来、あるはずがありません。

オメラスとヘイルシャムが問いかけてくることは、際限なく、深まります。
またいつか考えたいと思います。
今日は、それどころではない大きな事件がまた起きてしまいました。
こうやって、オメラスとヘイルシャムも忘れられていくのでしょう。
どこかで流れが変わるとは思いますが。

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■節子への挽歌2462:世界が狭くなってきている気がします

節子
相変わらず気分がすっきりせずに、思いだけが広がっています。
時評編で、オメラスとヘイルシャムのことを書いているうちに、いろいろと思いが飛び出し、むかし読んだ本を思い出して、何冊かを読んでしまいました。
もちろんきちんと読んだのではなく、思い切りの飛ばし読みです。
若い頃読んだSF小説の「都市と星」まで読んでしまいました。

節子と会ったころ、私はSFの世界にかなりはまっていました。
学生時代はどちらかといえば、ミステリーでしたが、スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』を読んで、すっかりSFのとりこになってしまいました。
『ソラリスの陽のもとに』には2回映画化されており、このブログでも、あるいは挽歌でもとりあげていると思いますが、映画も好きでした。
特に2作目の『ソラリス』は、今も時々、観ます。
考えさせられることが多いからです。

リアリストの節子は、SFは好みではありませんでした。
ですから節子と一緒に暮らすようになってからは、私もSFの世界からは次第に離れてしまいました。
しかし節子との会話においては、SF的な話が相変わらず多かったような気がします。
というのも、私は時間旅行やパラレルワールドや超能力や超物理学などをすべて信じているからです。
一緒に暮らしていると、いつのまにか世界は共有されていきます。
私がリアリストになったように、節子はいつの間にか、超常現象への違和感を画していたように思います。
そして私は、リアリズムと超常現象は深くつながっていることにも気づきました。
いや同じと言っていいかもしれません。
科学の知は、つまり常識の知は、現実観察を縮減する知恵でしかないから、現実を見えなくしがちなのです。

いずれにしろ、私の世界の半分は、節子と一緒に作り上げてきたものです。
その世界が、節子がいなくなったあと、どんどん変質しているのかもしれません。
私の世界が退化している、どうもそんな気がしてなりません。

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■オメラスとヘイルシャムの話その8

STAP細胞論文事件はまだごたごたと尾をひいています。
報道によれば、小保方さん側に不正があったとされていますが、虚実はまさに藪の中です。
そもそも遺伝子工学は、私にはおぞましい世界です。
生命を物質と同じように対象化する発想にはどうも馴染めないのです。

生命は「考える存在」です。
考えているのは脳だけではありません。
細胞一つひとつが考えている。
クローンによって生み出されるものも例外ではないでしょう。
もし移植臓器が不整合を起こすことがあるとしたら、それは機械的なパーツではないからです。
つまり、ヘイルシャムで実験するまでもなく、細胞も臓器も「感情」や「意思」を持っているのです。

その「感情」や「意思」は、しかし時間によって進化します。
人間は科学を発展させたが、自らの精神はあまり変わっていないとよくいわれますが、そんなことはないと思います。
人の感情や精神は、大きく変わっているように思います。
人間に「意識」が芽生えたのは3500年ほど前という説に私はとても納得できますし、この100年の日本の歴史を見ても、「感情」や「意思」は明らかに「進化」しています。
人間観や生命観は大きく変わっています。

たとえば、500年ほど前には、南北アメリカ大陸のネイティブたちは、ヨーロッパ人たちにとっては同じ人間とは思われていませんでした。
だからこそ、バッファローと同じような殺戮が行われたわけです。
そしてそれから300年以上にわたって、アフリカ大陸から1000万人のアフリカ黒人が貿易の対象にされ、商品として輸入されたのです。
キリスト教徒の国であるにもかかわらず、です。

さらに、100年ほど前にコンゴで行われたおぞましい事件も思い出します。
ジョセフ・コンラッドが『闇の奥』で描いていますが、黒人は人間の形をしているが、自分たちとは違う存在だという考えが、燻製にした手首の山ができるほどの凄惨な現実を生み出したのです。
そして、そのことが。コンゴ自由国の所有者であったベルギー国王を富ませたのです。

しかし、いまや「人間の形をした別の人間」という概念は否定されました。
であれば、どうするか。
これ以上考える勇気は、いまの私にはありませんが、見えてくる未来には戦慄を感じます。

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2014/06/12

■オメラスとヘイルシャムの話その7

カズオ・イシグロは、「わたしを離さないで」に最初に取り組みだしてから、いろいろと題材を変えて書き直したそうです。
最初は『原発』をテーマにしたそうです。
考えてみると、原発社会はまさにオメラスそのものです。

今朝の朝日新聞に、福島原発事故時に内閣官房審議官(広報担当)だった元TBSアナウンサーの下村健一さんの当時の記録ノートの内容が紹介されています。
相変わらず真相は藪の中ですが、こうして少しずつ見えてくる事実もあります。
見えてくるたびに、私はいつも「なぜ少しずつなのだろうか」と思います。
そして、みんな本気で事実を見たくないのだろうな、と思ってしまいます。
人は見たくないものは、できるだけ見ないようにしてしまうものです。

私が「反原発」になったのは、35年ほど前に東海村の原発を見せてもらってからです。
そこで「季節労働者」の作業員が被曝しながら作業をしている話を聞きました。
それを知って以来、原発反対ですが、にもかかわらず原発でつくられた電気に依存する生活はつづけています。
もちろん節電はしていますが、東電の電力にわが家の暮らしは依存しています。
結局は、オメラスの人たちと同じわけです。

エミリー先生は、キャシーやトミーに向かってこう言います。

癌は治るものと知ってしまった人に、どうやって忘れろと言えます? 不治の病だった時代に戻ってくださいと言えます? そう、逆戻りはありえないのです。
あなた方の存在を知って少しは気がとがめても、それより自分の子供が、配偶者が、親が、友人が、癌や運動ニューロン病や心臓病で死なないことのほうが大事なのです。それで、長い間、あなた方は日陰での生存を余儀なくされました。
一度、知ってしまった利便性は捨てられなくなります。
皮肉なことに、他者の利便性をもたらすために自らは一層惨めになろうとも、いつかその利便性が自分のものにもなるという勘違いも横行します。
なぜか多くの人は、幸せのトリックルダウンを考えてしまうのです。
幸せを得ている人とのつながりは、実際にはありえないのですが、あると思う一方で、地下室の子どもとのつながりは、実際にはつながっているのに、それが見えなくなります。
エミリー先生もこう言っています。
世間はなんとかあなた方のことを考えまいとしました。
どうしても考えざるをえないときは、自分たちとは違うのだと思い込もうとしました。
完全な人間ではない、だから問題にしなくていい。
想像とは、往々にして、ご都合主義的なのです。

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■オメラスとヘイルシャムの話その6

オメラスの話に戻ります。
「オメラスから歩み去る人々」の題名にある人たちはどういう人でしょうか。

その短編の最後はこうです。

彼らはオメラスを後にし、暗闇の中へと歩みつづけ、そして2度と帰ってこない。彼らがおもむく土地は、私たちの大半にとって、幸福の都よりもなお想像にかたい土地だ。私にはそれを描写することさえできない。それが存在しないことさえありうる。しかし、彼らはみずからの行先を心得ているらしいのだ。彼ら……オメラスから歩み去る人びとは。
先が見えなくとも、進まなければいけない時がある。

若い頃読んだアーサー・C・クラークの「都市と星」を思い出しました。
アーサー・C・クラークは、話題になった映画『2001年宇宙の旅』の原作者です。
『都市と星』はなんと10億年後の地球の話ですが、そこに建設された都市ダイアスパーは完璧な都市と言われるほどの理想郷で、住民たちはオメラスのように、何不自由なく幸せに包まれて暮らしていました。
しかし、ひとりの若者がその理想郷から外部への旅に出かけるという話です。
実は、「外部に出たい」と思うと言うことは、「幸せではない」ということなのですが、ほとんどの人は先が見えない道に歩みだすことよりも、現状にとどまることを望みます。
その結果、現状を幸せだと思い込むことになるわけです。
確かに外部はこれまでの安住の世界とは違います。
踏み出すことによって失うことも多い。
得るものも多いでしょうが、それは確信が持てません。
そうやって、みんな現状に甘んじてしまう。

これは現在の原発依存社会そのものです。
しかし、先が見えなくとも、進まなければいけない時がある。

オメラスの幸せもダイアスパーの幸せも、実は「小さな幸せ」でしかありません。
「幸せ」とは比較概念ですから、「大きな幸せ」から見れば、「小さな幸せ」は「不幸」だともいえます。
念のために言えば、どちらがいいかは人それぞれです。
餌にこと欠かない動物園で暮らすのも幸せならば、餓死の危険のある野生の生き方も幸せです。

私は25年前に会社を辞めました。
それで幸せになったかどうか。
数年前までは幸せだったと確信していましたが、最近は迷いがあります。
しかし、「迷い」こそが、幸せの本質なのかもしれません。
ちょうど、知れば知るほど知らないことを知るのと同じように。

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2014/06/11

■節子への挽歌2461:今日もまた節子の話をする機会がありました

節子
今日また、節子のことを話す機会がありました。
今週2回目です。

その人も伴侶をなくされたのですが、私が妻を見送ったことを知りませんでした。
それはそうでしょう。
付き合いをはじめてまだ半年くらいですから。
しかし、なぜか気が合ったというか、その方は毎月のように湯島に来てくれます。
今日はコーヒーを淹れている時の雑談の中で、ふと胃がんで妻を亡くされた方の話が出たのです。
その方はお医者さんだったそうですが、お医者さんであれば、なおのこと辛かったことでしょう。
そこから私の話になり、雑談が雑談でなくなってしまいました。
さらにいろんな話に広がってしまったのです。
人は見えないけれど、みんないろんなことを背負っています。
まさか今日はそんな話になるとは思ってもいませんでした。

一昨日もそうですが、話していて、やはりまぶたが重くなるのを感じました。
もうちょっとで、涙が出るところでした。
しかし、不思議なことに、気分的にはなにか心洗われるような気がしました。
やはり時々話さなければいけないのかもしれません。
同じ立場の人たちが話し合う効用はあるようです。
書くよりも話すほうが、どうも鎮魂効果は大きいようです。
気分が少し軽くなっている気がします。

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■オメラスとヘイルシャムの話その5

宮沢賢治とは違う意味で、ことの本質を感じていたのは、トミーです。
トミーは、ヘイルシャムで育てられた「できのわるい」子どものひとりです。
癇癪を起こしては問題ばかり起こしていました。
主人公のキャシーと、エミリー先生の話を訊きに行くのですが、エミリー先生がいなくなった後、2人はこんな会話をします。

「ヘールシャムで、あなたがああいうふうに癇癪を起こしたでしょ? 当時は、なんで、と思ってた。どうしてあんなふうになるのかわからなくて。でもね、いまふと思ったの。ほんの思いつきだけど…。あの頃、あなたがあんなに猛り狂ったのは、ひょっとして、心の奥底でもう知ってたんじゃないかと思って…」
  トミ-はしばらく考えていて、首を横に振りました。「違うぜ、キャス。違うな。おれがばかだってだけの話だ。昔からそうさ」でも、しばらくしてちょっと笑い、「だが、面白い考えだ」と言いました。「もしかしたら、そうかも。そうか、心のどこかで、おれはもう知ってたんだ。君らの誰も知らなかったことをな」
小説の登場人物のことを詮索するのもおかしな話ですが、キャシーの考えはとても納得できます。
トミーは知っていた、いや、感じていたのです。

最近、子どもたちの世界がおかしくなっているような気がしますが、もしかしたらそれは子どもたちが地下室の子どもの存在を感じているからではないかという気がずっとしています。
あるいは、ヘイルシャムの外の世界を感じているといってもいいかもしれません。
そう考えると、ここでも「問題の立て方」がまったく違ってくるはずです。

人の心は、時空間を超えてつながっています。
言語や文字や知識を通して、人はつながっているわけではありません。
地下室の子どもの声は、聞えているのです。
しかし、聞きたくないために聞こえないのかもしれません。
新しい知識を学ぶことは、ある意味では現有する知識を捨てることでもあります。
知ることは、実は知らないことを知ることなのですが、いまの教育観や学校制度はそうなっていないように思います。
疑うための知識ではなく、疑うことをやめることの知識が横行しています。
学校で学ばなかったことはすべて切り捨てられます。
疑うことのない人間を創りあげていくのが、もし教育であるとすれば、教育ではなく(隷従への)飼育というべきでしょう。
知識は力にもなりますが、力を削ぐこともできるのです。

トミーの癇癪に話を戻します。
大きな変動の前には予兆があります。
昨今の子どもたちの世界に、何かの予兆が含まれているのではないか。
そんな気がしてなりません。

いささかテーマから逸脱しすぎたかもしれませんが、子どもたちの世界は、時空間を超えているような気がします。
私自身がそうだったような気がしますので。

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■オメラスとヘイルシャムの話その4

オメラスの人たちが幸せでなかったことを知っていたのは、宮沢賢治でした。
賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と、「農民芸術概論綱要」に書いています。
地下室の子どもの犠牲の上に、自らの幸せはないとわかっていたのです。
そして彼はそれに基づいて生きました。

ヘイルシャイムのエミリー先生もまた、それに気づきました。
しかし、彼女は子どもたちを自分の仲間とは考えませんでした。
そのために構想は挫折し、彼女もまた自らの世界に引きこもりました。
子どもたちは同情の対象でしかなくなってしまったのです。
つまりは自分とは違う、地下室の世界をつくりあげたのです。

しかし、誰かの犠牲の上に、幸せな国は創れるでしょうか。
これは、おそらく「問題の立て方」が間違っています。
「問題の立て方」によって、世界はまったくちがったものになることは、このブログでも何回か書いてきました。
どんな難問も、問題の立て方ひとつで解けることもありますし、ことの本質を隠蔽することもできます。
ヘイルシャムをつくれば、問題が解決するわけではありません。

宮沢賢治の考えによれば、誰もが犠牲にならないことが「幸せになること」なのです。
コラテラルダメッジなどあってはなりません。
生贄を求める宗教と苦楽を共にする宗教との違いでもあります。
ここでも日本古来の宗教観と現代世界の宗教観が異質であることがわかります。

日本人は無宗教という言葉ほど、私の嫌いな言葉はありません。
熊野が世界遺産になった頃に出版された「熊野 神と仏」(原書房)に、熊野本宮神社の九鬼家隆さんと金峯山寺の田中利典さんと宗教人類学者の植島啓司さんの鼎談が載っていますが、そこで熊野の意味、宗教の意味がわかりやすく話されています。
田中さんは、「私は無宗教です」というのは「私は倫理観をもっていない恐ろしい人間です」というのと同じことになるとまで言っています。
前にも書きましたが、私もそう思っています。

話がそれてしまいました、地下室の子どもを仲間だと思えるかどうか。
それが大切なことです。
それがないといま裁判になっている韓国のセウォル号の船長と、結局は同じになってしまいます。

話が次から次へと拡散しますが、そこにこそ問題の本質があります。
オメラスもヘイルシャムも、まさに現在の社会と私たちの生き方を象徴している話なのです。
大切なことは、それに気づくかどうかだろうと思います。

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2014/06/10

■オメラスとヘイルシャムの話その3

ヘイルシャムは、オメラスの町の地下室といってもいいでしょう。
ヘイルシャムの子どもたちは、オメラスの場合と違って、一見、大切に育てられていますが、それこそが最大の悪事かもしれません。
ことの本質を見えなくしてしまうからです。
小説では、ヘイルシャムの秘密が最後に、その活動の推進者だったエミリー先生によって明らかになるのですが、その時のエミリー先生の態度はきわめて他人事なのです。
読んでもらうとわかるのですが、彼らの活動はクローンの人生への共感からではなく、自らの気休めのためとしか思えません。
著者は、それをあまりにも赤裸々に示唆しています。
著者の、同時代人への怒りを感じます。

私はこの数年、いわゆるケアの世界にささやかですが、関わっています。
そこで一番やりきれないのは、支援側にいる人たちの人間観です。
もちろんすべてがそうだとはいえませんが、どこかに「支援してやっている」という雰囲気を感じてしまうのです。
それが悪いとは言えないでしょうが、私にはやりきれません。

この小説の中で、ヘイルシャムを構想し、実践したエミリー先生は、真実を知りたいと訪ねてきた子どもたちにこう語るのです。

わたしたちがしてあげられたことも考えてください。振り返ってごらんなさい。あなた方はいい人生を送ってきました。教育も受けました。もちろん、もっとしてあげられなかったことに心残りはありますけれど、これだけは忘れないで。

私が最も嫌いな発想です。
大切なのは、みんな同じ仲間なのだと思うことです。
自らの出来ないことをこそ、悩むべきです。
それがなくて、相手を支援しようなどと思っては、どうしても観察者的になる。
それでは、一番大切なことが抜けてしまいます。
関わる問題が、自殺であろうと認知症であろうと障碍問題であろうと、それが自らの人生の問題であると思えるかどうか、です。
それがなければ、オメラスの地下の子どもに同情し、彼に衣服やパンを贈ろうとするのと同じです。
つまりは、オメラスの幸せを享受しつづけようというわけです。
自らの生き方につながらない社会活動はありえないのです。

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■オメラスとヘイルシャムの話その2

オメラスの話は前回紹介しましたので、ヘイルシャムの紹介をします。
カズオ・イシグロはイギリスで活動している作家ですが、両親は日本人です。
10年近く前に出版された『わたしを離さないで』は、移植用臓器を供給するために育てられたクローンたちが、自らの運命の枠内で定められた短い生をまっとうしてゆくという物語です。
西谷さんが引用しているように、彼らはまさに「隷従」の生を生きています。
挽歌編では一度、引用していますが、西谷さんのクールな文章をもう一度引用させてもらいます。

彼らは成長するとまず「介護人」にそしてやがては「提供者」となり、何回かの「提供」を経てそれぞれの生を「まっとう」してゆく。そこにはこの理不尽な運命に対する抗議や抵抗はほとんどなく、それが自分たちの自明の生の形であるとでもいうかのように、彼らは従容として枠づけられた階梯をたどり、成長しそして短い生を終えてゆく。彼らは、自分たちの生がいわば他者たちの道具の地位に限定されており、その枠内でしか生きられないという条件をそのまま受け入れ、その限界のこちら側に留まって生を終える。その気があれば越えられるとも思われるこの不条理で理不尽な限界が、魔法の結界ででもあるかのように、彼らはそれを越え出ようとはしない。
恐ろしいほど、哀しい話であることがわかってもらえるでしょう。

このクローンが子ども時代を過ごす場所がヘイルシャムです。
ヘイルシャムには、さまざまな意味が含意されているようです。
「カズオ・イシグロ」の著者である平井杏子さんによれば、ヘイルシャムとは、〈健康であれ〉という意味のヘイルと〈まがい物〉〈見せかけ〉という意味のシャムとをつなげた言葉です。
さらに平井さんは、英国における原子力ステーション、ヒーシャムを連想させるとも書いています。

クローン人間を作り出す話は、手塚治虫の「火の鳥」を初め、たくさんあります。
映画もたくさんあって、最近では映画「オブリビオン」があります。
いずれも哀しい話が多いです。
そもそも遺伝子操作やクローンは、哀しい話なのです。

もしクローンが、移植用臓器用につくられるのであれば、それはあくまでも「物体」であって、魂をもったら、臓器を取り出すことができなくなりかねません。
SF映画では、溶液の中に培養した生体物として描かれることも多いですが、『わたしを離さないで』では、効率性を考えて、臓器を別々に培養するのではなく、「ヒト」として育て、必要に応じて、臓器を摘出するのです。
そうして生まれた「ヒト」は魂、知性、感性をもつものかどうか。
クローン人間は魂を持つか、それが『わたしを離さないで』のテーマです。

そうして生み出されるクローン人間は、いったい何なのか。
気が遠くなるような話です。
私が遺伝子工学に不気味さを感ずる事の、まさに本質がここにあります。
原子力科学と遺伝子科学は、私には全く受容できない科学です。

それはともかく、「劣悪な環境のもとに飼育されている移植臓器生産用クローン」への流れに反発を持った人たちが、クローンの情操がどこまで育ちうるかということで、子どもたちの創造力の育成に取り組むためにつくったのが、ヘイルシャムです。
そこで育てられた子どもたちの「人生」が、本書で描かれています。
彼らは、魂の核と言ってもいい「愛」にたどりつきます。
それが愛かどうかは、私にはよくわかりませんが、少なくともこの作品に登場する、クローンではない人たちよりは純粋な愛のような気もします。

まだ考えが整理できていませんが、現代の私たちの生活は、やはりどこかで何か間違っているような気がしてなりません。
なぜそこまでして生きなければいけないのか。
もっと自然に生きることに素直でありたいと思います。

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■オメラスとヘイルシャムの話その1

いま放映されている「MOZU」というテレビドラマのなかで、「オメラス」の話が登場しています。
それが、そのドラマの一つのモチーフになっているようです。
「オメラス」は、数年前に、マイケル・サンデルの白熱教室でも話題になったことがあります。
こんな話です。

オメラスは幸福と祝祭の美しい町です。
しかし、オメラスにある地下室に一人の子供が閉じ込められています。
その子は知能が低く、栄養失調で、世話をする者もおらず、惨めな生活を送っています。
オメラスの住民たちは、みんなそのことを知っています。
そして、もしその子を不潔な地下から救い出したら、その瞬間にオメラスの町の繁栄、美しさ、喜びはすべて色あせ、消えてなくなる、ということも知っています。

この話を紹介して、サンデルは、あなたならどうするかと問います。
あなたならどうするでしょうか。
その子を救い出すでしょうか。
これは、決して私たちの生活に無縁の話ではなく、むしろ私たちの生活そのものを象徴している話です。
「コラテラル・ダメッジ」の問題にもつながる、政治の話でもあります。
ちなみに、この話は、『ゲド戦記』の原作者 アーシュラ・ル=グウィンが1975年に出版した短編小説集『風の十二方位』の中にある『オメラスから歩み去る人々』に出てきます。
私自身、オメラスから去ることができるかどうか自信はもてません。
だから思い出したくない話です。
しかも、その子どもは、時々こう訴えかけるというのです。
「おとなしくするから、出してちょうだい。おとなしくするから!」。
耳をふさぎたくなります。

先日、「自発的隷従論」を読みました。
西谷修さんの解説が掲載されていますが、そこにカズオ・イシグロの小説『わたしを離さないで』が言及されています。
これに関しては、先日、挽歌編で書きました。
あまりに哀しすぎて、とても読むことができないだろうと思っていました。
ところが「MOZU」で「オメラス」まで出てきてしまったので、気になりだしました。
それに今まさに私が住んでいるこの社会は「オメラス」そのものだという感じが日増しに強くなってきています。
それで思い切って、昨日、『わたしを離さないで』を読んでしまったのです。
やはり読まなければよかったと思いました。
これほど哀しい小説を読んだのははじめてです。
筋を知ってしまっているために、最初から胸が苦しく、辛かったのですが、ナイーブなオプティミストと言われるだけあって、カズオ・イシグロの文章は、深い哀しさの中にも、どこか人間味のあるあたたかさを感じさせ、終わりまで一気に読み終えることができました。
しかし、読後の疲労感は、半端ではありませんでした。
気を紛らわせようと思って、テレビをつけたら、子どもを放置して死なせた父親のニュースが報道されていました。
なんと父親が子どもを遺棄した時に、聞いた言葉が「パパ」。
「オメラス」そのものではないか!
昨夜は眠れない夜を過ごしました。

あまり自信はないのですが、オメラスとヘイルシャムの話を少し書こうと思います。
ヘイルシャムは、『わたしを離さないで』の第1部の舞台です。

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■節子への挽歌2460:心身が震えるような夜でした

節子
昨夜はとても寝苦しい夜でした。
暑さのためではなく、2つの理由がありました。
ひとつは、「パパ」という言葉です。
厚木男児遺棄事件の父親が、最後に聞いた子どもからの呼びかけです。
なんという哀しい話なのか。
父親を非難する前に、あまりの哀しさに眠れませんでした。
その哀しさを増幅したのは、昨日、読みたくないと思い続けながらも、読んでしまった小説「わたしを離さないで」です。
なぜかその2つが重なってしまい、昨夜はあまり眠れませんでした。
これほど哀しい朝は、節子を見送ってからの数日以来です。
今日は予定をすべてキャンセルさせてもらいました。
心身が震えるほどに、気が萎えているのがわかります。
話には聞いていましたが、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」が、これほど哀しい話だとは思っていませんでした。

しかし、私には絶対に読めない本だと思っていたのに、なぜ読む気になったのか。
あまりにも読もうかと思う理由が重なったからです。
これも理由があるのだろうと思い、昨日読み出したら、止まらなくなりました。
あまりに哀しすぎる。
読むのをやめようと思いながらも、義務感のようなものがあって、読み終わり、テレビをみたら「パパ」です。

何を書いているのか、わからないかと思いますが、今日は気分がおさまったら、時評編に「わたしを離さないで」とオメラスの話を少し書こうと思います。
その後で、つまり少し心身があったまった後で、挽歌にも書ければと思います。
「わたしを離さないで」は、人の死を救うために創られたクローンの子どもたちの話です。

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2014/06/09

■節子への挽歌2459:「がんでよかったね、交通事故で突然に死ぬことだってあるんだから」

節子
最近知り合った友人と話していたら、その人も妻を胃がんで亡くされたことを知りました。
話していくと、亡くなったのが2007年でした。
病気は進行性胃がん、発見から旅立ちまで4年ちょっとだったそうです。
時期も病気も、節子とほぼ同じです。

しかし違う点が一つありました。
その人の場合は、手術をしなかったそうです。
彼は、奥さんを死なせはしないと決めて全力を尽くしたようです。
私は「治る」と信じましたが、彼はそうではなく、「死なせまい」と決意したのです。
私の間違いは、「治る」とか「治す」とかいうところから抜けられなかったことです。
今にして思えば、それが大きな悔いですが、彼には悔いはないでしょう。
私には、彼ほどの決断はできませんでした。
そして奥さんは彼の腕の中で息を引き取ったそうです。

話していて、共通するところがとてもたくさんあることに気づきました。
本題も忘れて、お互いに心を開き合いました。
お互いに、伴侶から学んだことはたくさんありました。

彼らを救ったのは、ある人との出会いでした。
「がんでよかったね、交通事故で突然に死ぬことだってあるんだから」。
そう言われたのだそうです。
私なら素直に聞けたかどうか自信はありません。
しかし友人たちはその言葉の真意を素直に受け入れたようです。
そして奥さんは残された人生を、とても意義あるものにしたようです。
死を実感することが幸せなのかどうかはわかりませんが、少なくとも残されるものにとっては、突然でないほうがいいことは言うまでもないでしょう。
私も彼も、4年ほどの妻との生活をもらえたのですから。
その4年の生活を、無駄にしては、それこそ、申し訳がたちません。

4年間で学んだことはたくさんあります。
そのことに、改めて感謝しました。

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2014/06/08

■節子への挽歌2458:警蹕(けいひつ)

節子
相変わらず気忙しい毎日を過ごしています。
なかなか気分的なゆとりが生まれません。
生活のリズムが一度狂ってしまうと、なかなか元に戻らないのです。
困ったものです。
なんとか気分を戻そうと、昨日、挽歌に書いた本を読むことにしました。
小倉美惠子さんの「オオカミの護符」です。
一昨年読んだのですが、改めて良い本だと思いました。

それはそれとして、前回はあまり意識していませんでしたが、警蹕(けいひつ)の話が出てきます。
警蹕とは、神が通る道を清め、邪気を祓うための雄叫びですが、ある神事でそれを体験した小倉さんは、「まるでオオカミの遠吠えのようにも聞こえた」と書いています。
私も、そう思います。

オオカミはなぜ遠吠えをするのか。
それは群から離れた仲間を呼び戻すためだと聞いたことがありますが、とてもそうは思えません。
私には、仲間を喪ったオオカミが、哀しさをこらえきれずに発する魂の発露のような気がします。
あるいは、神への訴えかもしれません。
そんな気がしてなりません。

それにしても、オオカミは不思議な生き物です。
小倉さんもその本で書いていますが、人間を襲うこともありながら、人間からは神とされることが多いのです。
そもそも名前からして、「大神」ですし。

警蹕に関しては、以前、この挽歌でも書いたことがあります。
挽歌688の「神と一緒に過ごす豊かな時間」です。
そこでは警蹕は「言葉が生まれる前の発声」だという説明を書きました。

今日、NHKの大河ドラマ「黒田官兵衛」で、妻をはじめとした一族が信長によって処刑されたことを知った村重が言葉にはならない叫びを上げます。
まさに言葉にならない雄叫びです。
心の真情は言葉にはならないのでしょう。
もちろん警蹕とはまったく別のものですが、私はこういう場面を見ると、いつも数年前に見た、このテレビの警蹕を思い出します。
そして、村重のように、叫び声をあげられる人をとても羨ましく感じます。
同時に、神事で警蹕を行う人の心情を思います。

私が節子を見送った時には、声さえ出ませんでした。
いや悲しみさえ実感できませんでした。
そこに家族だけではなく、医師も看護師がいたことは、たぶん、理由ではありません。
受け容れられずに、理解できなかったのです。
理解できないと声が出ない。
いまならたぶん声は出るでしょう。
しかし、神事でもなければ声も出せません。
思いのすべてを発声する機会を失ってしまったのが残念です。

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2014/06/07

■節子への挽歌2457:「嬉しいお便り!」

節子
先日、湯島に来た人と話していて、私の知っている人のことが話題になりました。
そういえば、その人にもしばらく会っていないので、そのことをメールしました。
その人はちょうど、東北に出かけていたところでした。
こんなメールが届きました。

釜石線に乗り、遠野に向かう車中で嬉しいメールを拝見しました。
○○○さんは、よくお世話になります。
佐藤さんのこと、亡くなられた奥様のことを時々思うことがあります
いずれまたお目にかかりたいです。
遠野から陸前高田に向かう予定です。
青空に山の緑が美しく映え、谷の水も澄みわたっています。
穏やかな日に、佳き便り、ありがとうございました。
タイトルに、「嬉しいお便り!」とありました。
私にも、とてもうれしい便りでした。
どこがうれしいかといえば、「亡くなられた奥様のことを時々思うことがあります」というところです。

彼女に最後に会ったのは、確か3年ほど前。彼女の制作した映画の上映会でした。
その時には、彼女は上映会の主役の一人でしたので、ゆっくり話す時間はありませんでした。
それ以来、会う機会がありませんでした。
彼女もまた、時代の流れに抗うように生きている人です。
遠野から陸前高田への旅は、たぶん新しい作品の関係なのでしょう。

彼女と節子は、おそらくちゃんと話したことはないはずです。
ある会でたぶんすれ違い的に会っているだけです。
なぜ彼女が、私と節子のことを思いだしてしてくれるのでしょうか。
その理由が何となくわかるような気がして、それがとてもうれしいのです。
思い出されてもうれしくない人もいれば、とてもうれしい人もいます。
彼女の場合は、後者です。

今年中には会う機会が来るでしょう。
思い出して、彼女が書いた本をまた読み直してみようと思います。

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2014/06/06

■節子への挽歌2456:ルクレティウスの疑問

「なぜ、たっぷり食べた客のように、人生から立ち去らないのか」
ある本で知った、ティトゥス・ルクレティウスの言葉です。
この言葉に出会ったのは2か月ほど前です。
以来、頭から離れません。

ルクレティウスは古代ローマの哲学者です。
15世紀になって、その著書が発見されて話題になった人ですが、私の記憶にあるのは次の言葉です。
「感覚にとって真なりと思われたものは、すなわち真実である」
この言葉は、私の信条のひとつにもなっています。

そのルクレティウスが、「なぜ、たっぷり食べた客のように、人生から立ち去らないのか」と言ったということは知りませんでした。
レストランを出る時のように、人生から立ち去るのがよいというわけです。
残っていても、もう食べられないのですから。
でも、ほんとうにそうでしょうか。
この第2のルクレティウスの言葉は、私の感覚にはどうしても合いません。

たっぷり食べたかどうかは、その人でなければわからないでしょう。
だからルクレティウスは、謙虚にこう思うべきでした。
「人生から立ち去らないのは、まだ食べたりないからだ」。
そして、食べたりないのに人生から立ち去らなければいけなかった人への思いも持ってほしかったです。

節子は、まだたっぷり食べてはいませんでした。
食べ残したことがたくさんあったことは間違いありません。
しかし、たっぷりではないけれど、良い料理を楽しむこともできます。

少し早かったですが、節子も私も、それなりに「いい人生」でした。
節子が出て行ったのは、「たっぷり」食べたからではありません。
私がまだ出て行かないのも、「食べたりない」からではありません。
ルクレティウスの質問にはこう答えたいです。
「それは人生が、あまりにすばらしいからだ」と。

その素晴らしい人生から、節子は出ていかされ、私は残されてしまいました。
ルクレティウスがもし、私のような立場に置かれたら、何というでしょうか。
人生とレストランを一緒にしてほしくはありません。

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■常識と良識

私は、かなり「常識」が欠落している人間です。
そのことに気づいたのは、この数年ですが、あまりにも「常識」が欠落しているので、逆にまわりには気づかれないようです。
付き合いの深い娘たちは、かなり前から、私の常識のなさを口にしていましたが、やはり娘たちが正しかったようです。

今日、ビジネス絡みの話をしていて、相手の人に「私は常識が欠落しているから」と発言したら、相手の人がそうは思えないと応えました。
以前、その人とビジネス上のトラブルを起こした人が、私が仲介してくれるのであれば話し合うと言ってきたことがあります。
私は双方を知っていたので、仲介はしないが話し合いの場に同席はすると言って、話し合いが実現し、問題も解決しました。
その時に、相手の人が、「佐藤さんはしっかりした常識ある人だからそれぞれの言い分を聞いてほしい」というようなことを言ったのだそうです。
そういえば、そんなことを言われた気もします。
そのことを言いだして、「私の常識のなさ」を彼は否定したのです。

しかし、繰り返しますが、私は常識がありません。
そしてそれは決して、謙遜しているわけではありません。
ただ事実なのです。
それに、常識があればいいというわけでもありません。
むしろ私にとっては、「常識」という言葉は、あんまりいい意味を持っていないのです。
そもそもこのことからして、私は「常識」がないのです。

アントニオ・グラムシは、国民みんなが持つ共通した感覚や判断基準を「常識(コモンセンス)」と言いました。
それは、「地域的ないし国民的な伝統にしばしば深く根ざした文化的社会化の長期的な慣行の中から形成される」ものです。
そうした常識に対して批判的に対峙し、形成される感覚や判断基準を「良識(グッドセンス)」としました。
例えば、原発再稼働や尖閣は日本の固有領土は常識であり、反原発や国家固有の領土などないは良識です。
常識と良識は違うのです。
私が大切にしているのは、良識です。
最近の記事につなげて言えば、隷従者は常識の民です。

しかし、グラムシの定義では、常識のない良識はありません。
常識があればこそ、良識が育つのです。
常識のない良識は、いささか危うさがあります。
独りよがりの「良識」は、「常識」よりも悪性かもしれません。
だから、私ももう少し「常識」を持たねばいけません。
妻がいた時には、妻がその常識をある程度、教えてくれましたが、最近は誰も教えてくれないので、ますます常識がないと娘から叱られています。
このブログを読んでくださっている方は、私の独りよがりの良識に辟易することもあるでしょう。
そうならないように、常識を身につけなければいけません。
しかし、その方法がなかなかわからない。
実に困ったものです。

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■節子への挽歌2455:裏切りへの感謝

節子
関東も梅雨に入りました。
今日は早朝より湯島に来ています。
いささか悩ましい問題に関するミーティングです。
人はどこまで人を信ずることができるのか、まあそんな気づきを得るトラブルにこの数年付き合っています。
一時は、私自身がおかしくなりそうでしたので、少し距離を置くようにしていましたが、そのままというわけにもいきません。
それで今朝、ミーティングを持ちました。
幸いに、いい方向に向いて動き出しそうです。
信頼すれば良い方向に動き出すという信念を維持するのは、けっこう大変です。

裏切るよりも、裏切られたほうがいい、ということを知ったのは、テレビドラマ金八先生の主題歌だった「贈る言葉」からです。
これまでの人生の中で、それは実証されてきました。
裏切られたことは多く、つい最近も同じ人から3回目の裏切りを受けました。
裏切られることが多いと慣れてくるものです。
しかし、裏切らざるを得ない人への同情よりも、まだ腹立たしさが勝ってしまうのは、我ながら情けないものです。

私にとって、一番の裏切りは、節子でした。
私よりも先に逝ってしまったからです。
時々、朝、お線香をあげながら、節子に恨み言を呟くことがありません。
先に逝ってしまうとは許せない、と。
しかし、視点を変えれば、節子にとっての最大の裏切りは私でしょう。
後に残ってしまったのですから。
まだ現世で何をしているの、そろそろこっちに来たらと、節子は反論しているかもしれません。
裏切ることと裏切られることは、コインの裏表かもしれません。

裏切りへの腹立ちは、相手を信頼しているから起こることです。
ですから「裏切りは信頼の証」かもしれません。
裏切った相手をまた信頼するのは論理的にはおかしいのですが、現実はよくあることです。
裏切られてもなお信頼する、というのが、信頼するということかもしれません。

雨がひどくなってきました。
そのせいから約束の人がなかなかやってきません。
人生は思うようにはいかないものです。
だから人は人を裏切ってしまうのかもしれません。

もう少し待ってみましょう。
もしかしたら、その人は私に挽歌を書く時間を与えるために遅れているのかもしれません。
裏切りも、そういうように考えれば、感謝しなければいけないことかもしれません。

いささか気分的に疲れていて、また意味不明なことを書いてしまったかもしれません。
それにしても遅いですね。
腹立ちの内容に、コーヒーでも淹れましょう。

追記(2014年6月6日午後2時半)

実は約束の時間を間違えていたのは私でした。
1時間勘違いしていました。
来客は正確にやってきて、正確に帰りました。
すみません。まあ人間はこうやって、勘違いして、約束を破られたと思うことも少なくないのでしょう。
実に勝手な言い訳ですが。はい。

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2014/06/05

■兵士は戦場で何を体験してくるのか

集団的自衛権に関する報道を見聞きしていると、論点がどんどん肯定的な方向に進んでいるような気がします。
これはTPP論議も、最初は是非論だったのに、いまでは内容論に変質しています。
集団的自衛権も、いまや憲法9条はどこかにとんでいるような気さえします。

一昨日の朝日新聞のコラム「終わりと始まり」に池澤夏樹さんが「死地への派遣 国家に権原があるのか」と題して、政府の動きに異議申し立てをしています。
その最後に、驚くべき数字が出ていました。
引用させてもらいます。

イラクに派遣された自衛隊は1人も死なず、(たぶん)一人も殺さずに戻った。憲法第9条が彼らを守った。それでも帰還隊員のうちの25名が自殺したという報道がある。一般公務員の1.5倍と普段から自殺率の高い職場ではあるが、イラク後はそれが一桁上がった、戦場の緊張の後遺症が疑われる。
帰還隊員に、そんなに自殺者があったとは知りませんでした。
もしこの報道が事実であれば、私たちはそこから学ぶことがあるはずです。
自殺は氷山の目に見える一角だけかもしれません。
その背後にあるものも見なければいけません。

イラク派遣の第一陣の隊長だった佐藤正久国会議員は、一体、何を見てきたのでしょうか。
彼の発言を聞きながら、いつも思うのはそのことです。
私はもう徴兵はされない歳ですが、仮に若くても、国家政府に命じられて、人を殺したくはありません。
それに戦争は常に「自衛」のためのものです。

問題は、同盟でも自衛でもなく、人を殺す戦争です。
問題の本質を見誤っては、答えは出てきません。
500年前の若者の感性を取り戻したいものです。

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■節子への挽歌2454:私たちは死という「主人」に隷属している、のか?

つづいて、自由の極致は隷従、隷従の極致は自由という話です。
本来、この話題は時評編に相応しいのですが、まあ引用した手前、挽歌編でも書いてしまいます。
と言っても、今回は引用だけです。
私の意見は、引用文の向こう側に感じてもらえればと思います。
いつか書こうとは思いますが、あまりに衝撃的だったので、いまはまだ整理できずにいます。

この論文の解説をフランス哲学の研究者の西谷修さんが書いています。
そこにイギリス人作家のカズオ・イシグロさんの小説「わたしを離さないで」が紹介されています。
この作品は映画にもなっているそうですが、私は知りませんでした。
西谷さんの紹介によれば、

「この作品は、移植用臓器を供給するために育てられたクローンたちが、自らの運命の枠内で定められた短い生をまっとうしてゆくという物語だ。彼らは成長するとまず「介護人」にそしてやがては「提供者」となり、何回かの「提供」を経てそれぞれの生を「まっとう」してゆく。そこにはこの理不尽な運命に対する抗議や抵抗はほとんどなく、それが自分たちの自明の生の形であるとでもいうかのように、彼らは従容として枠づけられた階梯をたどり、成長しそして短い生を終えてゆく。彼らは、自分たちの生がいわば他者たちの道具の地位に限定されており、その枠内でしか生きられないという条件をそのまま受け入れ、その限界のこちら側に留まって生を終える。その気があれば越えられるとも思われるこの不条理で理不尽な限界が、魔法の結界ででもあるかのように、彼らはそれを越え出ようとはしない」
という話です。
西谷さんは続けます。
人は限られた期間の生を生きる。
そして誰も死を免れることはできない。
まさにその意味ではクローンもまったく「人間と同じ」なのだ。
言い換えれば、我々は逃れられない死という「主人」に隷属しており、死の課す結界を受け入れるかぎりで、それぞれに充実した生をまっとうしてゆくことができるというわけだ。
みなさんはどう思われますか?
トム・クルーズ主演の映画「オブリビオン」をもう一度、観たくなりました。

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■節子への挽歌2453:出会った人はみんな友

節子
まずは友だちの話からつづけます。
節子と出会ったのが自然の定めだったとしたら、節子に限らず、すべての人との出会いが自然の定めです。
小賢しい自分の好みや打算で、人との交流を選択することは、そうした定めに反します。
それに、付き合いは、どちらか一方の決めることではありません。
当事者の思いを超えたところで成り立っているような気がします。
ですから付き合っているようで、付き合っていない関係も少なくありません。
逆に、付き合っていないようで、付き合っている場合もあるでしょう。
人のつながりは、個人で完結する話ではありません。

この話を進めていくと、以前流行語になった「無縁社会」や「絆」の話につながっていきます。
人はどんなにあがいても、他者とのつながりは切れませんし、どんなに孤立しているように見えても、その気になれば、他者とのつながりは見えてくるでしょう。
そのつながりの糸を手繰り寄せれば、孤立ではないことがわかるでしょう。
人はだれもが、人との縁によって生きているのです。
孤立は感違いでしかありません。

前項に引用した「自発的隷従論」にこんな文章があります。
「もう隷従はしないと決意せよ。するとあなたがたは自由の身だ」
この文章をもじって、こうも言えるでしょう。
「もう孤立はしないと決意せよ。するとあなたがたは孤立していない」
隷従も孤立も、自分で決めているだけの話なのです。

しかし、友と付き合うのは、それなりに労力が必要であり、煩わしいのも事実です。
だからこそ、人は歳をとるにつれて、交友の範囲を狭めていく。
その上、高齢になるにつれて、同世代の友人知人の訃報も増えてくる。
かといって、若い世代の友人知人がそう簡単に増えるわけでもありません。
ですから、人は自然に友人知人が減っていくのは、これまた自然の摂理です。
そうであれば、あえて自分から友人知人を絞ることもないでしょう。
それに、煩わしくない付き合い方もあるのです。

15年ほど前に、私に「付き合う友をもっと選べ」と助言してくれた友人は、全く別の意味で言ってくれたのですが、私にはやはり小賢しく聞こえてしまいました。
ですから、むしろその人との付き合いが弱くなってしまい、いまは交流がありません。
しかし、付き合いが途絶えたとは思っていません。
また連絡があるかもしれませんし、どこかで会えるかもしれません。
今もなお彼は私の敬愛する友人の1人です。

私の友人知人の何人かは、すでに鬼籍に入っています。
節子もそうですが、彼岸にいる友人知人が増えてきています。
自分も間もなく、彼岸に行く歳になったせいか、彼岸にいようが現世にいようが、あんまり違いがないような気もしています。
もし節子が今も現世にいたら、そうは思わないかもしれませんが、私には現世と彼岸はつながっているのです。
そういう立場からすると、友は多いほどいい。
たとえ、絶交されても、友は友です。

また何か違う話になってしまったような気もしますが。

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■節子への挽歌2452:自由の極致は隷従、隷従の極致は自由

節子
しばらく音信が途絶えていた友人から電話やメールがありました。
最近、久しぶりの電話やメールは、ほとんどがあんまり嬉しい話ではありませんが、昨日のものはいずれもそうした類の話ではありませんでした。
それに久しぶりの友人の、元気そうな声を聞く事は、それだけでもうれしいものです。

もう10年以上も前になりますが、ある友人が、これからは付き合う人を少しずつ絞り込んでいくと書いてきたことがあります。
そのさらに数年前には、私が誰とでも付き合うことを注意されたことがあります。
いずれの場合も、私には理解できない話でした。
他者との付き合いは、私の意思だけで、どうにかなるわけではないというのが私の理解だったからです。
来る人はこばまず、去る人は追わない、というのが私のルールです。
しかし、人は付き合う人によって、世界が大きく変わるだろうとも思います。
もし私が節子に会っていなかったら、私の人生は全く違ったものになっていたでしょう。
同じように、友人知人を意図的に選んでいたら、これまた世界は変わっていたはずです。
しかし、一度の人生であれば、どれが良かったかどうかなど比較しても意味がありません。たった一つの人生を、最良だったと思うほかありません。

自然の成り行くままに生きることは、自然への隷従なのか。
時評に少し書きましたが、昨日、500年前の若者が書いた「自発的隷従論」という本を読みました。
時評編で考えると、これは革命の書でもありますが、挽歌編で考えると、これは自由の書かもしれません。
私は現世的には自由に生きており、多くの人たちの今の生き方にはまったく馴染めませんが、もしかしたら私自身もまた、自発的な隷従生活を送っているのかもしれません。
自由の極致は隷従、隷従の極致は自由、かもしれません。

書こうと思っていた事が、途中で全く変わってしまいました。
友だちの話を書くつもりだったのですが、昨日読んだ本が強烈過ぎました。

2つの話の続きは稿を改めて。

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2014/06/04

■節子への挽歌2451:よたよた人生

節子
気になっていた問題が2つほど解決しました。
完全な解決ではありませんが、少しホッとしました。
悪い事があれば、良い事もある。
それが生きているということでしょう。

心を許しあえた伴侶がいれば、悪い事も良い事も、すべては良いことに転化できます。
いずれの場合も、生きる力になっていくわけです。
しかし、一人になってしまうと、良い事も悪い事も、ただそれだけの話です。
悪い事の良い面や、良い事の悪い面も見えにくくなります。
だから生きることが、ふくらんでこないで、退屈になりやすいように思います。
最近は、とても退屈です。

しかし、なぜか退屈があるところまでいくと、誰かが問題を持ってきます。
悪い話もあれば、良い話もあります。
悪いか良いかは、一概には言えません。
私が関わる必要がないものも多いのですが、なぜか関わってしまうのです。
何で関わってしまったのだろうと、後で我ながら不思議に思うことも少なくありません。
その習癖は、節子がいない今も変わっていません。
節子はお人好しと言い、娘は馬鹿だと言いますが、それが私の生き方ですから仕方ありません。

悩ましい問題が解決すると、新しい問題がやってきます。
私はどうも「問題」を引き寄せるタイプのようです。
ですからいつまでたっても、穏やかに暮らせません。
良い事も悪い事もあるなかで、自分が出来ることをわきまえて、相手や問題と適切な距離をとっていかなければいけないのでしょうが、ついついコミットしすぎてしまうのです。
近寄ってくる問題には無関心ではいられないのです。
そのくせ、問題が解けるわけでもない。
重荷を背負ってへとへとになったり、相手の重荷を軽くするどころか重くしたり、相変わらずよたよたと生きています。

私の人生には、どうも平安はなさそうです。
困ったものです。
最近の疲れの原因は暑さだけではないようです。

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■「自発的隷従論」

今から500年近く前の16世紀半ばに、20歳にも届かない青年が書いた小論を読みました。
エティエンヌ・ド・ラ・ボエシの「自発的隷従論」です。
昨年、ちくま学芸文庫から出版されました。
その書名が気になって購入したまま、忘れていました。
薄い文庫本なので、書棚に埋もれてしまっていたのです。
今朝、ある本を探していて、見つけました。
ページを開いたら、こういう書き出しで始まっていました。

「主君が複数いても、なにもよいことはない。頭(かしら)でも王でも、たったひとりが望ましい」と、ホメロスの作中のオデュッセウスは言い放った。
彼が、「主君が複数いても、なにもよいことはない」としか言わなかったとすれば、至言となったことだろう。
その言葉に魅了されて、一気に読んでしまいました。
なぜオデュッセウスの言葉は至言になりそこなったのか。
それに興味を感じたからですが、読み終わって、とても納得できました。
そして、なんでもっと早く読まなかったのだろうと思いました。
この本を読んでいれば、最近の私の厭世観も少しは緩和されていたかもしれません。

本書で、ラ・ボエシは、隷従こそは人間の「第二の本性」と指摘しています。
そして、隷従状況、つまり奴隷や家畜の状況から逃れたいのであれば、それは簡単なことだ、「もう隷従はしないと決意せよ。するとあなたがたは自由の身だ」と言うのです。
つまり、圧政者を支えているのは、圧政を受け容れている被支配者たちだというのです。
権力は、それを認める人がいればこそ成り立っているというわけです。
まさに昨今の政治状況そのものです。

人は生まれながらに自由ですが、その自由の故に、奴隷や家畜になって、実に惨めな人生を送ることになるわけですが、ラ・ボエシは、圧政者(権力者)やそこに群がる人たちを哀れみます。
彼らの人生を評して、「生きていると呼べるだろうか。こんなふうに生きるよりも悲惨な状態があるだろうか」と言うのです。
そして、その生き方は、同時にまた、隷従者たちの人生でもあるといいます。
圧政者と隷従者は、共犯者なのです。

中途半端な紹介ですが、「自発的隷従論」は、家畜的な生き方をしたくない人には、必読書のような気がします。
薄い文庫本なのに1200円ですが、1200円どころではない大きな価値のある本です。
まあ隷従を好む人には、価値のない本ですので、あんまり売れないでしょうが。

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2014/06/03

■「支え合いー迷惑と遠慮」をテーマにしたサロンのお誘い

6月14日に、「支え合いー迷惑と遠慮」をテーマにしたサロンを湯島で開催します。

先月、福井の東尋坊で自殺防止活動をしているNPO法人心に響く文集・編集局の10周年記念シンポジウムに参加しました。
その時のパネルディスカッションで、見回り活動をしている川越さんが、人命救助を通して、自分自らが救われているのを感ずるとお話になっていました。
助けることと助けられることは、コインの裏表かもしれません。
しかし、「助けて」と言える国へ、と言う本も出ていますが、
今の社会は、なかなか「助けて」とはいえないのかもしれません。
なぜそうなのか。
困った時に、助けてと言えればもっと生きやすくなるはずです。
助けてと言わせる前に、ちょっと手をさしのべるだけで、もっともっと生きやすくなるかもしれません。
そんな話ができればと思っています。

できるだけさまざまな立場の人たちに参加していただければと思っています。
ちなみに、テーマは大きいですが、気楽なカフェサロンですので、コーヒーを飲みながら話を聴くだけでも結構です。たぶん、話したくなるでしょうが。
語関心のある方はどなたでも歓迎です。
どうぞ気楽にご参加ください。
参加できそうな方はご連絡いただけるとうれしいです。

○日時:2014年6月14日(土曜日)午後1~3時(予定)
○場所:湯島コムケアセンター
○テーマ:迷惑と遠慮について考える(「支え合い」とは何なのか)
○問題提起者:笹和紀さん
○会費:500円
○参加申し込み先:comcare@nifty.com

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■節子への挽歌2450:生きた証

節子
この挽歌が縁で、交流が始まった人がいます。
私と同じく、伴侶を亡くした男性です。
しかも、私との共通点がいくつかある人です。
面識はありませんし、遠くにお住まいなので、縁ができてからも会う機会は来ていません。
その方も、伴侶のことをブログに書きつづっています。
自分たち夫婦の「生きた証」を残しておきたいという思いで、書きだしたようですが、公開することにしたとメールが来ました。
それで読ませてもらいました。

これまで少しだけお聞きしていた、おふたりのことがよくわかりました。
実に感動的で、実に共感できる生き方です。
よかったら読んでみてください。
私の挽歌など、吹っ飛んでしまうような、心ふるえる内容です。
おまえと・・輪廻の旅路

「数年後には、子供たちに私たち夫婦の真実の姿を知ってもらいたいと考えております」とメールに書いてありましたが、しっかりと伝わるでしょう。
そして、おふたりの「生きた証」は間違いなく、社会にも刻印されたと思います。

その方は、こう書いてきました。

共に生きているときは、当たり前のように思っていた妻の優しさが
死に別れた後にも強い優しさを感じられるとは、魂の悪戯なのでしょうか
魂の悪戯。
そうかもしれません。

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2014/06/02

■節子への挽歌2449:だからどうした

節子
湯島で時間ができたので、もうひとつ書こうと思います。
実は節子がいなくなってからの日数と挽歌の番号が20ほどずれてしまっています。
つまり20日ほど書くのをさぼったということになります。
自分ではそんな意識はないのですが、どうもそのようです。

今日は実はまだ思考力が回復しません。
その証拠に、本を読んでも、内容が頭に入ってきません。
本と自分とが一体化しないと、いくら頁が先に進んでも、何も頭に入ってこないのです。
ただただ文字を読んでいるだけですから、無意味です。
本と一体化できると、飛ばし読みしても、なんとなく内容が伝わってきます。

ちなみに、本は読まずに机の上に置いておき、時々、目次をぱらぱらとみるだけでも、内容を感ずることができることがあります。
なかには本当にそれができる子供たちがいるようですが、私の場合は、感ずるだけで理解はできません。
ところが、急に読みたくなったり、かなり時間が経ってから、その本を思い出して読んでしまうことがあるのです。
会うべき人には必ず会えるように、読むべき本は必ず読む機会があるのかもしれません。

なにやらおかしなことを書きましたが、今日は本を読む気にもなれません。
暑さのせいかもしれません。
今は湯島のオフィスですが、クーラーはつけていません。
Tシャツ1枚ですが、暑くて仕方がありません。
これも多分、疲れのせいでしょう。
心身が弱っていると、気候への抵抗力も落ちてしまいます。
「悪い汗」をかくわけです。

何やら挽歌とは無縁なことを書いて、番号稼ぎをしているような気もしますが、そうでもないのです。
私が挽歌を書いている時には、必ず節子に話しかけているのです。
だからどうした、と言われそうですね。・

挽歌を書く時に、何かを書こうともって書き出すこともありますが、ほとんどは何も思わずに、まず「節子」と打ち込みます。
そこから何かが浮かぶこともあれば、浮かばないこともある。
しかし、まあ思いついたことを書きだすのが、この挽歌です。
だからまったく内容のない記事も少なくありません。
しかし、私には書いている時が、意味ある時間なのです。
だから、私には「だからどうした」という問いは当てはまりません。
そもそも、どうしもしないのです。

窓から夕日が見えていましたが、いまビルの陰に隠れました。
だからどうした。

そうなのです。
意味のないことがとても大事な意味を持ってくる。
それがたぶん「愛」がもたらす贈り物なのです。
とりわけ美人でもなく、ましてや賢くもなく、性格がいいわけでもなく、趣味が同じでもない節子が、いつの間にか私にとって、「特別の人」になったのは、お互いに愛し合うことになったためでしょう。
でも、その「愛」とは何か。
これも多分説明しだしたら、「だからどうした」と言われるようなことになるでしょう。

どんな退屈なことも、どんなありふれたことも、素晴らしく輝いてい見える。
愛は、そんな世界を生み出してくれます。
なんでもない、この夕日を、節子と見ていたことを思い出します。

そろそろ友人たちがやってきそうです。
コーヒーでも淹れておきましょう。

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■節子への挽歌2448:奪われてしまった「老い」

節子
昨日はちょっとダウンしてしまいました。
最近は本当に無理ができなくなりました。
それでも夕方は、気を取り直して、久しぶりに畑に行ってきました。
数日行けずにいたのですが、見事に野草の反撃で、花畑も野菜畑も草で埋もれそうになっていました。
4~5日、行かないだけでこのあり様です。
野草の成長は、そばでじっくり見ていたら、わかるかもしれなません。
5日で5~10センチは伸びているような気がします。

人間も若い頃は、このくらい元気なのでしょう。
しかし、最近の私は、ちょっと水をやらないとクタッとしてしまう野菜のようです。
いや少々水をもらっても、シャキッとできません。
困ったものです。

節子がいなくなってから、私は自分の年齢を客観的に実感できなくなっています。
自分は自分では見えないので、老化している自分になかなか気づかないものです。
伴侶の節子がいれば、節子の老いを自分に重ねて実感できますが、それがないとなかなか実感できません。
伴侶を失った人が、若さを維持できるのは、そのせいかもしれません。

不思議なもので、鏡に映る自分の「老い」はなかなか見えないものです。
写真を見ると、否応なく伝わってきますが、最近、私は写真を見る機会は少ないのです。
フェイスブックに使っている写真は、節子が撮ってくれたものですから、10年ほど前のものでしょう。
私自身の脳で自覚している自分と10年前の写真は、実はそう違わないのですが、外から見た私は、私の脳内自覚とは全く違っていることでしょう。
そんなことはわかってはいるのですが、自分の老化は、なかなか実感できません。
だからみんな「無理をしている」のに気づかずに、ある日、突然倒れるのかもしれません。
周りの人は迷惑でしょうが、本人は理想的かもしれません。

しかし、夫婦仲良く、自然に老いていくのが理想でした。
いたわり合いながら老いていき、いたわり合いながら旅立っていく。
そんな老後が奪われてしまったのが、残念です。

老体にムチ打って、今日も湯島に出てきました。
最近、手入れ不足のオフィスの植物やメダカは元気です。
老いているのは、私だけ。
ちょっとさびしいですが、この現実は変えられません。

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■同じものに触れても、人は違ったものを見ています

先週末、企業の経営幹部の人たちとこれからの企業経営について話し合いの合宿をしていました。
もう20年ほど、毎年4回、こうした合宿を続けています。
そのおかげで、企業の実相の変化を感じさせてもらっています。
正直に言えば、企業の劣化を痛感しています。

その前の2週間の週末は、NPOの集まりに参加させてもらっていました。
いずれも現場重視の誠実なNPOで、双方とも設立10周年を記念した公開の集まりでした。
NPOの世界も、もう20年以上、関わらせてもらっています。
そこでも大きな変化を感じています。
これも正直に言えば、大きな危うさを感じています。

その2つの世界は、大きく違います。
しかし、いずれにおいても、大きなベクトルは感じます。
それは「お金の役割」が大きくなってきていることです。
25年前に会社を辞めた時に、私が念じていた方向とは大きく違います。

どういう社会がいいのかは個人の価値観に寄りますから、私がとやかくいうことではありませんが、私の好みではありません。
そうした私の価値観のせいか、経済的には格段に恵まれているであろう企業の人たちよりも、NPOの人たちの方が幸せそうに感じます。
少なくともどちらの人たちの集まりのほうが居心地がいいかと言えば、後者です。
それも、あんまりしっかりしていないNPOのほうが、私は落ち着きます。

先週、若いビジネスマンと話していて、今はいいけれど将来が不安だと言う発言に驚いたことがあります。
さらに驚いたのは、将来が不安だから貯金をしていると言うのです。
驚く私の方がおかしいと思われるかもしれません。
しかし、お金では幸せも安心も買えないのです。
先週末の企業の人たちの話し合いでも、年収が200万円にも満たなければ生活はみじめになってしまうと言われました。
むしろ私は収入が高くなると生活はみじめになりやすいだろうなと心配していますが、人によって見えている風景は全く違っているようです。

企業の皆さんとの合宿では「里山資本主義」の話題を少しだけしました。
14人の人がいましたが、ほとんどの人が知りませんでした。
その本を読んだけれど、極論だと思って読み流していたと、後でメールをくれた人もいました。
言葉は流行っているが、「極端な特殊事例」だと考えるのが、「知識人」の特徴です。
同じものに触れても、人は違ったものを見ているのです。
さらに言えば、その情報を裏づけてくれるメディアの影響も大きいです。
昨夜、NHKで里山資本主義の番組をやっていたので、共感者が増えたことでしょう。
もし企業の人たちとの話し合いが1週間先であったら、反応は違っていたかもしれません。
私たちの考える判断基準は、そんなものなのです。

何を見るかを方向付けるのが、学校教育や企業の人材育成の役割です。
マスコミの影響が、それに輪をかけて大きいでしょう。
そういうことを、最近ますます強く感じています。
社会は壊れてきているのではなく、誰かによって壊されてきているのです。
社会が壊れれば、そこで生きている人もまた、壊れます。
壊れないまま、人生を全うしたいと、最近思い出しています。

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