■節子への挽歌2480:山形のサクランボ
節子
山形の一大さんがまたサクランボを送ってきてくれました。
もう10年ほども会っていないのに、律儀な人です。
早速、節子にお供えしました。
山形は、節子と一緒に行きたかったところです。
一大さんからは、山菜取りを誘われたこともありますが、もう少し先になったらと言っているうちに節子が倒れてしまいました。
少しよくなった後、一度、一緒に蔵王には行きましたが、それが唯一の山形の思い出です。
節子が元気だった頃に庭に植えた、佐藤錦のサクランボは、1本が枯れてしまいました。
たしか2本ないと実がつかないといわれて、2本植えたのですが、育ったのは1本でした。
節子がいなくなってからは庭の樹木への関心もなくなってしまい、いろいろと枯らしてしまいました。
幸いにまだ1本あるので、これからは大事にしようと思います。
そういう思いが出てきたのが、昨年の秋からでした。
いささか気づくのが遅れました。
一大さんは、以前、湯島のサロンにも来てくれたことがあります。
節子も会っています。
ちょうどその時は、いつものような賑やかなサロンではなかったのでせっかくきてくれたのに残念だったねと節子とはしたのを覚えています。
でも一大さんは喜んでくれました。
最近はなかなか山形に行く機会がありません。
と思っていたら、小宮山さんから電話があり、来週山形に行くのだが時間があくので、誰か紹介してほしいと連絡がありました。
山形には友人知人が少なくありません。
さて、小宮山さんと波長が会うのは誰でしょうか。
できることなら私も行きたいところで、少し迷うところです。
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