■節子への挽歌2484:実盛坂を上れなかった人
節子
湯島駅からオフィスまで歩いて5分ほどです。
この道を私はもう25年間、通い続けています。
少しは変化していますが、ほとんど変わっていません。
湯島駅の場所に比べるとオフィスのあるところは高台です。
そのため、途中で実盛坂という急な階段を上らないといけません。
58段あります、
私のホームページに地図があるのですが、そこにこんな説明を入れています。
途中で急な階段に出会いますが、途中で帰らないようにしてください。
人生には苦難はつきものですから。
実はこれまでの25年間に一度だけ階段の下で諦めて帰った人がいます。
オープンサロンに初めて参加すると言ってきた女性です。
私は面識がなく、あるメーリングリストでお名前を知っていただけです。
サロンの途中で電話があり、階段の下まで来たが、急なのでここで引き返すことにしましたというのです。
サロンで私自身が話していた時だったこともあり、それは残念です。とだけ答えてしまいました。
あれしきの階段で諦めるとは、といささかがっかりしたこともあります。
そしてその人は結局、湯島のオフィスに来ることはありませんでした。
節子が発病した後、回復するかに思えたころ、湯島通いも復活しました。
いつも私と2人一緒でした。
しかし、この急な階段はやはりつらいと言って、ゆるやかな坂に遠回りしたこともあります。
その時に気づいたのですが、階段を実際に上れない人もいるのです。
そして、もしかしたら、あの時に来るのを断念した人は車椅子だったのかもしれないと思い至りました。
実際にはどうだったのかは、今となってはわかりません。
当時は、私の知らない人も含めて、オープンサロンには毎回15人ほどの人が集まりました。
2割くらいは、いつも私も初対面の人でした。
ですから、その人の名前もおぼえていないのです。
とても悔いています。
実盛坂を上るのが、私もそろそろ負担になってきました。
節子には、いつも無理をさせていたかもしれないと、この頃思うことが少なくありません。
節子の優しさを思うと、涙が出ます。
今日は、節子のいないオープンサロンです。
誰か来てくれるといいのですが。
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