■節子への挽歌2467:私たちは霞に支えられていました
節子
2465で「節子との思い出が、何やら霞にかかったようになっている」と書きましたが、「霞」という言葉で思い出したことがあります。
少し元気が出るかもしれないので、それについて書きます。
会社を辞めた後、わが家は定期収入がなくなりました。
2年ほどして対価をもらう仕事もはじめましたが、基本的には収入が保証された仕事はなく、対価なしの仕事が中心になりました。
そのうち、周りの人たちから、佐藤さんは霞を食べて生きているわけではないだろうが、どうやって生計費を稼いでいるのかとよく質問されました。
仙人とか宇宙人とか言う人まで現れました。
私自身は、お金の問題はすべて節子に任せていましたし、収入もなかったわけではありません。
ただ無償で引き受ける仕事が多かったのかもしれません。
会社を辞めた時に、金銭収入と仕事とは切り離して考えると言うことにしたからです。
引き受けたくない仕事の場合は、高い金額を提示し、断られるようにしました。
相手が断らずに発注してくれたこともありますから、わが家の収入が多かった年もないわけではありません。
しかし、私も節子も、お金の感覚はあまりしっかりしていなかったので、どうしてお金で苦労しないのかと不思議がったことも少なくありません。
私がお金に困って、娘たちの定期預金から融通してもらった事は2回しかありません。
もちろんすぐに返済しました。
ところで、最近、小倉美惠子さんの書いた「オオカミの護符」で、「霞」には「修験道での信頼関係の縄張り」という意味があることを知りました。
霞を食って生きるとは、一般的には「浮世離れして、収入もなしに暮らすこと」のたとえですが、修験道の世界ではまったく違った意味になります。
その本で、小倉さんはこう書いています。
「カスミ(霞)」とは、修験道で「縄張り」を意味するといい、山伏が開拓した檀家・講中(講社)を指す。この「カスミ」は、奉納や布施を受ける経済基盤でもある。自然とともに生きる修験者たちは、まさに霞を食って生きていたわけです。
信頼関係に支えられて生きていたと言ってもいいかもしれません。
だとしたら、私たちもまさに、霞を食って生きていたといっても、大きな間違いではありません。
それで私たちはお金には困らなかったのです。
節子がいたら、このことを話して、だから困らなかったのだと説明してやれるのですが。
今はちょっと困っていますが、それは節子が霞を彼岸に持っていってしまったからかもしれません。
困ったものです。
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コメント
佐藤様 おはようございます
これから出かけようと準備中でしたが、パソコンから図面を印刷しようとPCを開き
昨夜は覗けてなかった挽歌をのぞいてみましたところ
またまた、不思議な貴重な・・・問答が書き込まれていました。
この「霞を食べて生きる」という記事が、長く悩んでいたことを解決に導いてくれました。
「修験道での信頼の縄張り、奉納や布施を受ける基盤」この二つの文言に触れた瞬間
先程まで充満していた重苦しい心が、スーと晴れていきました。
私の重苦しさとは、この三年半の暮らしを遡って考えてみますと、「自分は何かに生かされている」という思いと共に、
「このような無粋な自分が、生きていていいのだろうか?」
相反する葛藤の日々が続いてきました。
そろそろ経済的に窮する日が来るはずなのに、まだ来ないのはなぜ?なのだろうか
同年代の知人が病に倒れ、時には逝ってしまわれる人も多くなり、そろそろ私もかな・・・と思うときも多々あるのですが
自分は元気に仕事をこなせるのはどうしてなんだろう、不思議な思いに悶々としていたのですが
私は「霞」を食べて生きているのでしょうね、それならもう少し生かして頂こうかな・・・
佐藤さん、明解をありがとうございました。
投稿: 鳥取太郎 | 2014/06/18 12:11
太郎さん
いつもありがとうございます。
なにやらどこかで太郎さんとは交差しながら生きているようですね。
お互い、霞に支えられている喜びに感謝しなければいけませんね。
しかし、太郎さんもあまりご無理をされませんように。
投稿: 佐藤修 | 2014/06/18 20:48