■節子への挽歌2470:霞(カスミ)の話のつづき〔挽歌編〕
この記事の前半は時評編の同名の記事の前半とほとんど一緒です。
節子
先日、「霞(カスミ)を食べて生きる」話を書いたら、2人の人からメールをもらいました。
お一人は、挽歌編にコメントを寄せてくださいましたが、その方も「カスミ」族のようでした。
もう一人は、その話の大元である小倉さんからでした。
この記事が彼女の眼にとまってしまったわけです。
いやいやお恥ずかしい。
でも、とがめるのではなく、彼女らしいやさしいコメントでした。
久々に佐藤さんのブログを拝見したら、修験者の「カスミ」について、小倉さんは農家の出身で、子どものころは、庭で飼っていた鶏の卵を集めるのが自分の仕事だったと話してくれたことがあります。
とても素敵な読み解きをされていて、思わず大きく頷きました。
こんな風に、拙書からご自身の発想を豊かに立ち上げて下さるものなのか…と知り、気持ちが大きく膨らむように思いました。
節子と一緒で、家を出てしまいましたが、結局、会社を辞め、自らの生き方を始め、今はご自分の映像プロダクションを主宰されています。
小倉さんは、さらにうれしいことを書いてくれていました。
会社組織から離れ、ささやかな自分の場を持ってみると、私が25年間、続けている湯島のサロンが初めてきちんと評価してもらえたようで、とてもうれしく思いました。
佐藤さんが地道に人を繋ぐ場を続けておられることの意味の大きさがわかりかけてきました。
湯島を閉じようと思った時に、いろんな人が継続してほしいと言ってくれましたが、ほんとは継続をさほど望んでいなかったことはその後の関わり方で私にも伝わってきました。
私が落ち込まないように気遣ってくれたのでしょうから、それはそれなりにうれしいのですが、こんなに苦労して湯島を維持することもないかなと、時々思うこともあります。
でもこうして小倉さんからメールをもらうともう少し続けようと思えます。
サロンを始めたのは、節子がいたからでした。
節子がいなくなったので、サロンをやめようと思い、実際に一時はやめていました。
湯島のオフィスも閉鎖しようと思ったことも一度ならずあります。
しかし、小倉さんのような方もいますし、経済的にも支援してくれる人も数名います。
声をかけるといろんな人が集まってくれますが、もしかしたら迷惑をかけているのかもしれません。
実際、佐藤さんから声をかけられたら来ないわけにはいかないと言われたこともあります。
そうなると、それはもう「老害」でしかありません。
そうならないように、注意しながら、もう少しサロンを続けることにします。
私の理想は、湯島のオフィスをいつも鍵がかかっていない、みんなのたまり場にすることですが、それはかなり難しいことだと分かってきました
でも、湯島のオフィスには、気のせいか、いつもカスミがかかっているような温かさもありますし、もしかしたら「みんなのコモンズ空間」が実現するかもしれません。
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