■節子への挽歌2478:「おせったい」な生き方
節子
四国遍路を一緒にまわることはできませんでした。
ともかく忙しさに埋もれて、体調を少し崩していた私の生活を見直そうと、恒例のサロンまでも1年間休止して、さて少し休もうと思った、まさにその時に、節子の胃がんが発見されました。
私の予想では、私のほうに可能性があったのですが、なぜか節子が引き受けてしまったのです。
サロンを休んで、自分たちの生活を中心にしようと考えていたのですが、海外旅行もあれば、四国のお遍路さんもある1年間のはずでした。
しかし、そうはなりませんでした。
義姉夫婦は2回も四国を回っています。
私たちは一度も、しかもどこも行っていませんでした。
この頃、なぜか無性に残念に思います。
先ほと、テレビのクローズアップ現代で四国遍路を取り上げていました。
大日寺のご住職が「おせったい」の話をされていました。
四国遍路の「おせったい」は、まさに「恩返し」、ペイフォワードの仕組みなのです。
そんな当たり前のことに、なぜ今まで気づかなかったのだろうと思いました。
節子はよくわかっていてくれましたが、私の生き方は、ペイフォワードです。
もっとも、ペイフォワードどころか、時々、レストランで食事をしても、うっかり支払うのを忘れてお店を出ようとすることが時々あります。
なにやら、私自身、いつもお天道様に「おせったい」されているような気がしているところがあります。
その反面、私自身もそれなりに「おせったい」もしています。
会社を辞めた時に、あまり明確には認識していませんでしたが、今から考えると「おせったい」な生き方を目指したように思います。
その「おせったい」の場が、湯島のサロンでした。
節子はそのことをよくわかってくれていました。
節子がいたから、「おせったい」もそれなりにできたのかもしれません。
節子がいなくなってから、私の「おせったい」な気分はかなり消えてしまいました。
逆に「おせったい」されたいという甘えが強まったような気もします。
それでも、ささやかにまだ「おせったい」活動もしているかもしれません。
幸いに今もなお、湯島のオフィスは「駆け込み寺」になっています。
テレビを見ていて、節子はいなくなったけれど、節子と一緒に四国を歩こうかと一瞬思いました。
しかし、ご住職の話をお聞きして、思いを変えました。
もしかしたら、私たちは、四国遍路ではない遍路を、一緒に歩いていたのかもしれないと思ったのです。
実に勝手な思いなのですが、そう思ったら、心がとてもさわやかになりました。
四国遍路ではない遍路。
明日は湯島に行こうと思います。
だれか「おせったい」を受けに来てくれるといいのですが。
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