■節子への挽歌2457:「嬉しいお便り!」
節子
先日、湯島に来た人と話していて、私の知っている人のことが話題になりました。
そういえば、その人にもしばらく会っていないので、そのことをメールしました。
その人はちょうど、東北に出かけていたところでした。
こんなメールが届きました。
釜石線に乗り、遠野に向かう車中で嬉しいメールを拝見しました。タイトルに、「嬉しいお便り!」とありました。
○○○さんは、よくお世話になります。
佐藤さんのこと、亡くなられた奥様のことを時々思うことがあります
いずれまたお目にかかりたいです。
遠野から陸前高田に向かう予定です。
青空に山の緑が美しく映え、谷の水も澄みわたっています。
穏やかな日に、佳き便り、ありがとうございました。
私にも、とてもうれしい便りでした。
どこがうれしいかといえば、「亡くなられた奥様のことを時々思うことがあります」というところです。
彼女に最後に会ったのは、確か3年ほど前。彼女の制作した映画の上映会でした。
その時には、彼女は上映会の主役の一人でしたので、ゆっくり話す時間はありませんでした。
それ以来、会う機会がありませんでした。
彼女もまた、時代の流れに抗うように生きている人です。
遠野から陸前高田への旅は、たぶん新しい作品の関係なのでしょう。
彼女と節子は、おそらくちゃんと話したことはないはずです。
ある会でたぶんすれ違い的に会っているだけです。
なぜ彼女が、私と節子のことを思いだしてしてくれるのでしょうか。
その理由が何となくわかるような気がして、それがとてもうれしいのです。
思い出されてもうれしくない人もいれば、とてもうれしい人もいます。
彼女の場合は、後者です。
今年中には会う機会が来るでしょう。
思い出して、彼女が書いた本をまた読み直してみようと思います。
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