■オメラスとヘイルシャムの話その7
カズオ・イシグロは、「わたしを離さないで」に最初に取り組みだしてから、いろいろと題材を変えて書き直したそうです。
最初は『原発』をテーマにしたそうです。
考えてみると、原発社会はまさにオメラスそのものです。
今朝の朝日新聞に、福島原発事故時に内閣官房審議官(広報担当)だった元TBSアナウンサーの下村健一さんの当時の記録ノートの内容が紹介されています。
相変わらず真相は藪の中ですが、こうして少しずつ見えてくる事実もあります。
見えてくるたびに、私はいつも「なぜ少しずつなのだろうか」と思います。
そして、みんな本気で事実を見たくないのだろうな、と思ってしまいます。
人は見たくないものは、できるだけ見ないようにしてしまうものです。
私が「反原発」になったのは、35年ほど前に東海村の原発を見せてもらってからです。
そこで「季節労働者」の作業員が被曝しながら作業をしている話を聞きました。
それを知って以来、原発反対ですが、にもかかわらず原発でつくられた電気に依存する生活はつづけています。
もちろん節電はしていますが、東電の電力にわが家の暮らしは依存しています。
結局は、オメラスの人たちと同じわけです。
エミリー先生は、キャシーやトミーに向かってこう言います。
癌は治るものと知ってしまった人に、どうやって忘れろと言えます? 不治の病だった時代に戻ってくださいと言えます? そう、逆戻りはありえないのです。一度、知ってしまった利便性は捨てられなくなります。
あなた方の存在を知って少しは気がとがめても、それより自分の子供が、配偶者が、親が、友人が、癌や運動ニューロン病や心臓病で死なないことのほうが大事なのです。それで、長い間、あなた方は日陰での生存を余儀なくされました。
皮肉なことに、他者の利便性をもたらすために自らは一層惨めになろうとも、いつかその利便性が自分のものにもなるという勘違いも横行します。
なぜか多くの人は、幸せのトリックルダウンを考えてしまうのです。
幸せを得ている人とのつながりは、実際にはありえないのですが、あると思う一方で、地下室の子どもとのつながりは、実際にはつながっているのに、それが見えなくなります。
エミリー先生もこう言っています。
世間はなんとかあなた方のことを考えまいとしました。想像とは、往々にして、ご都合主義的なのです。
どうしても考えざるをえないときは、自分たちとは違うのだと思い込もうとしました。
完全な人間ではない、だから問題にしなくていい。
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