« ■オメラスとヘイルシャムの話その9 | トップページ | ■節子への挽歌2463:そうだ、アナグマを捕獲しよう »

2014/06/15

■「「助けて」と言える社会と言わなくてもいい社会

昨日、「迷惑と遠慮」をテーマにしたサロンを開催しました。
このサロンを開くきっかけは、あるメーリングリストで、「助けてといえる社会」に関連した、ある人の投稿です。

その人は、「支え合いの街づくり」をテーマにしたイベントを企画していたのですが、その取り組みを通して、「迷惑と遠慮」を考え出したといいます、そして、こう投稿してきました。

『迷惑をかけたくないので遠慮します』という日本人特有の「美徳的感覚」が、
福祉の大きな障害になっているような気がしてきました。
特に、高齢者になればなる程、その傾向は強いと思います。
そこで、『迷惑をかけたくないので遠慮しません』という感覚を広めることにより、
「助けて!」と言いやすい環境が整い、何が必要とされているのかを具体的に把握することができ、
強いては、それぞれのニーズに対応した、ハートフルなソサエティができるのではないかと思いました。
『迷惑がかかるので遠慮しないで下さい』という働きかけではなく、
自主的に堂々と言える、『迷惑をかけたくないので遠慮しません』という感覚を
広めたいと思っているのですが、佐藤さんはどう思われますでしょうか?
『迷惑をかけたくないので遠慮します』ではなく、『迷惑をかけたくないので遠慮しません』という感覚は、あまりに真実に近いので、私にはかなり抵抗があります。
それで、このサロンを開催したのです。

肝心のこの方は九州在住ですので、参加できませんでしたが、13人が集まりました。
とても刺激的な話になり、予定の時間を1時間も過ぎても終わりそうにない状況でした。

困った時に「助けて」と言えるかどうか、私の世代はもとより、今回参加していた30代の若い女性も「言わない」「言えない」そうです。
周りの若い人たちも、言わないだろうといっていました。
それどころか、そうした私的な悩みなどを普段から話し合う関係性が希薄になっているとも発言されました。
また「助けて」という状況を感じて、声をかけても、なかなか素直には受けてもらえないというような話もありました。
そのくせ、自分のことをわかってもらいたいという思いは強く、誰もわかってくれないという孤立感から自殺まで考えてしまうという話も出ました。
日本では「他人に迷惑をかけてはいけない」という教育やしつけ文化があり、それが「助けて」と言えなくしているのではないかいう話もでました。

話を聞いていて、私は、「助けてと言える社会」というのは、要するに普段からお互いに分かり合える状況が育っている社会だろうと思いました。
言葉としての「助けて」にこだわると、逆に問題が見えなくなってしまうかもしれません。
「つながり」とか「関係性」という言葉も盛んに出ましたが、大切なのは、もしかしたら日常的に「迷惑をかけあう関係性」の回復かもしれません。

「助けて」と言い合おうと最初に出だしたのは、私の記憶では住民流福祉研究所の木原さんです。
もう20年ほど前のことですが、当時、私が馴染める「福祉」概念を語っていたのは木原さんだけでした。
木原さんは、私が取り組んだコムケア活動にも共感し、立ち上げ当初はいろいろと支援してくれました。

「迷惑」に関しては、こんな議論が出ました。
自殺に関して、「自殺する権利」が話題になりました。
自殺は自分だけの問題ではなく、それによって多くの人たちや社会に迷惑をかけるから、そうした権利には反対だという人が少なくなかったのですが、ある人が、「自殺は迷惑をかけるからだめなんですか」と発言しました。
この発言に、迷惑と遠慮を考える大きなヒントがあるように思いましたが、その発言が出た時にはもう予定の時間をかなり超えていたため、話し合いを深められなかったのが残念でした。

ほかにもいろんな議論がありました。
参加者からのお話で、次のサロンのテーマもいくつか見えてきました。
「支え合いー迷惑と遠慮」を根底に置いて、具体的な問題を考えるサロンをしばらく継続したいと思います。
もし問題提起したいと言う方がいたら、ご連絡ください。
サロンの場を用意します。

|

« ■オメラスとヘイルシャムの話その9 | トップページ | ■節子への挽歌2463:そうだ、アナグマを捕獲しよう »

生き方の話」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/59819112

この記事へのトラックバック一覧です: ■「「助けて」と言える社会と言わなくてもいい社会:

« ■オメラスとヘイルシャムの話その9 | トップページ | ■節子への挽歌2463:そうだ、アナグマを捕獲しよう »