■霞を食べて生きましょう
挽歌編に「霞を食って生きる」ということを書いたのですが、これはちょっといい話ではないかという気がしてきたので、時評編にも書くことにしました。
一部重なっていてすみません。
私の生き方を見て、周りの人が、佐藤さんは霞を食べて生きているわけではないだろうが、どうやって生計費を稼いでいるのかとよく質問します。
霞を食って生きるとは、言うまでもなく、一般的には「浮世離れして、収入もなしに暮らすこと」のたとえです。
会社を辞めた時に、金銭収入と仕事とは切り離して考えることにした関係で、無償で引き受ける仕事が多かったのかもしれません。
たしかに収入は少なかったですが、お金に困ったことはあまりありません。
食事も、質素とはいえ、それなりのものを食べてきました。
決して、中国の仙人のように、霞を食べて生きているわけではありません。
最近、小倉美惠子さんの書いた「オオカミの護符」を読み直したのですが、そこに、「霞」には「修験道での信頼関係の縄張り」という意味があると書いてありました。
小倉さんはこう書いています。
「カスミ(霞)」とは、修験道で「縄張り」を意味するといい、山伏が開拓した檀家・講中(講社)を指す。この「カスミ」は、奉納や布施を受ける経済基盤でもある。自然とともに生きる修験者たちは、まさに霞を食って生きていたわけです。
信頼関係に支えられて生きていたと言ってもいいかもしれません。
だとしたら、私も、霞を食って生きていたといっても、大きな間違いではありません。
これからは誰かに「佐藤さんは霞を食べて生きているんですか」と言われたら、胸を張って「そうです」と答えることにします。
そして、その人にも、霞を食べて生きることを勧めようと思います。
みなさんもぜひ「霞の味」をお楽しみください。
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