■節子への挽歌2479:ウグイスと蛇
節子
今朝はウグイスの声で目が覚めました。
最近、明け方、鳥の声をよく聞きます。
とても賑やかですが、今朝のウグイスはなにやらはしゃいでいる感じでした。
節子は、生前、また花や鳥になって時々帰ってくるからと言っていましたが、今朝のウグイスは節子だったかもしれません。
わが家の庭は狭いのですが、高台のためによく鳥が来ます。
節子がつくった餌台がありますが、最近は餌を入れたことはなく、もっぱら水場になっています。
そのせいでもないでしょうが、庭の果実ものはすべて鳥にたいらげられます。
ジュンベリーやユスラウメなどは色がつきだすとすぐなくなってしまいますし、ほかのものも私たちの口にはいったためしがありません。
しかしまあ、節子も混じっているかと思えば、それもいいことでしょう。
わが家の庭は狭い割には荒れ放題です。
と言うか、ある部分は私の好みで、あまり手入れをしないことにしているのです。
それで時々思わぬこともあるのですが、多分そこから這い出してきた蛇が、昨日は庭の片隅で死んでいました。
蛇が死ぬとはあまり縁起が良くないのですが、なぜ死んでしまったのか理由がわかりません。
もしかしたら、アナグマにやられたのかもしれません。
狭い隙間に入り込んで、息絶えていました。
気づいた時にはすでにアリが群がっていました。
最近私も畑作業中にアリにやられっぱなしなのですが、アリから見たら、私に大事な棲家を台無しにされている恨みがつのっているはずです。
それで、わが家の庭のアリに頼んで、大事な蛇をやっつけたのかもしれません。
私は蛇年生まれなのです。
蛇は庭に埋葬しましたが、すぐに自然に帰ることでしょう。
まあこうやってみんな自然に戻っていくわけです。
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