■節子への挽歌2465:節子が持っていってしまった思い出
節子
気温の変化が激しいせいか、それとも気が萎えているせいか、なかなか体調が戻りません。
畑が草に覆われだしているのに、出かける気が起きません。
昨日決意した、アナグマ生け捕り活動も今日はできませんでした。
困ったものです。
テレビで大覚寺の紹介番組を見ました。
節子と大津で一緒に暮らし始めた頃は、週末は毎週のように京都か奈良に出かけていました。
当時は今よりもお寺も開放的でしたから、ゆっくりと散策することもできました。
私たちにとっては、一番楽しかった時かもしれません。
しかし、残念ながらその期間は、そう長くはありませんでした。
結婚してから1年半程して、東京に転勤になったからです。
節子と一緒にいった京都のお寺では、清滝川沿いの栂尾、槇尾. 高雄の、いわゆる三尾をゆっくりと下ってくるコースが好きでした。
節子ガ発病する直前に、2人で久しぶりに京都に行った時にも三尾を歩いたような気がしますが、不思議なことに、いまは節子との旅行はほとんどが霞がかかったように不確かな記憶しかないのです。
しかし、たしか高雄あたりの川沿いで魚料理を食べたような気がしますので、間違いなく2人で歩いたはずです。
そういえば、神護寺の紅葉が少し早いねと話し合った気もします。
節子の残した日記や写真を見れば、真偽の程がわかるのですが、わかったところで何の意味があるでしょう。
大覚寺も節子と一緒に大沢池の周りを歩いた記憶がありますが、池のススキは思い出すのに、そこに節子が見えてきません。
最近私は物忘れが多く、娘たちはまじめに心配しだしていますが、節子との記憶があまりはっきりしないのは、歳のせいでも認知症のせいでもないと思っています。
その思い出を、節子が持っていってしまったのです。
そうでなければ、これほど思い出せないはずがありません。
そういえば、節子は病気になった後、「今日もまた修との思い出がひとつできた」と喜んでいました。
その思い出は、私に残していくものではなく、彼岸に持って行くものだったのかもしれません。
そう考えると、節子との思い出が、何やら霞にかかったようになっていることが納得できます。
| 固定リンク
「妻への挽歌13」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2600:恩送りと迷惑送り(2014.10.14)
- ■節子への挽歌2599:老いることや死んでいくことの意味(2014.10.13)
- ■節子への挽歌2598:「苦悩のない状態とは死んだ状態」(2014.10.12)
- ■節子への挽歌2597:不老不死(2014.10.11)
コメント