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2014/06/29

■一人称自動詞で考える

私が大切にしている事のひとつに「一人称自動詞で考える」ということがあります。
これに関しては、これまでもホームページやブログで何回も書いてきていますが、何か判断に迷う時には「一人称自動詞」で考えると決断しやすいのです。

たとえば、私が死刑に反対なのは、自分が死刑を執行する立場になりたくないからです。
もちろん自らが死刑になるのもいやですが、それはかなりの程度、自分の努力で避けることができます。
しかし、裁判員制度ではないですが、もし仮に死刑執行者になるようなことを命じられても、私には死刑執行はできません。
あんまり論理的ではないといわれそうですが、これが私の判断の仕方です。
同じ意味で、私は裁判員制度にも反対です。
いまの司法制度の枠組みで、人を裁くことをしたくないからです。

集団的自衛権の議論に反対なのも、人を殺したくないからです。
集団的自衛権に賛成する人は、それを覚悟しなければいけません。
安倍首相も石破幹事長も、一人称自動詞ではなく、三人称他動詞で考えているように思います。
集団的自衛権に賛成する人は、ぜひ一人称自動詞で考えてほしいです。

「正義論」で有名なロールズは「無知のヴェイル」という枠組みで、一人称自動詞で考えることを基本にして「正義」を論じています。
自分自身の位置や立場について全く知らずに(それを「無知のベール」と呼びます)判断を下すことで、自分だけの利益に基づいて判断することを避けることができ、それによって社会全体の利益に向けた正義が実現できるようになる、というのがロールズの正義論です。
いいかえれば、すべての問題を自分の問題として、つまりは一人称自動詞で考えるということです。

この発想を基準にすると、自らの世界が広がるという効用があります。
しかし、その一方で、生きづらくなるということもあります。
たとえば、裁判員制度ですが、嫌いだからと言って、拒否するのは、これまた辛い話です。
ソクラテスは、法に従い自ら毒杯を飲んで死を選びましたが、できればそうしたくありません。
私なら毒杯を飲まずに、逃げただろうと思いますが、逃げた後の人生は毒杯を飲むよりも辛いかもしれません。
一人称自動詞でいきていると、どこかで社会との不整合を強め、破綻しかねません。
そうならないように、現代の学校では、一人称自動詞ではなく、三人称他動詞で考える生き方を勧めているのかもしれません。
そしてそれが「社会人」になることなのかもしれません。

しかし、私はやはり「一人称自動詞で言動していきたいと思っています。

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