■節子への挽歌2462:世界が狭くなってきている気がします
節子
相変わらず気分がすっきりせずに、思いだけが広がっています。
時評編で、オメラスとヘイルシャムのことを書いているうちに、いろいろと思いが飛び出し、むかし読んだ本を思い出して、何冊かを読んでしまいました。
もちろんきちんと読んだのではなく、思い切りの飛ばし読みです。
若い頃読んだSF小説の「都市と星」まで読んでしまいました。
節子と会ったころ、私はSFの世界にかなりはまっていました。
学生時代はどちらかといえば、ミステリーでしたが、スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』を読んで、すっかりSFのとりこになってしまいました。
『ソラリスの陽のもとに』には2回映画化されており、このブログでも、あるいは挽歌でもとりあげていると思いますが、映画も好きでした。
特に2作目の『ソラリス』は、今も時々、観ます。
考えさせられることが多いからです。
リアリストの節子は、SFは好みではありませんでした。
ですから節子と一緒に暮らすようになってからは、私もSFの世界からは次第に離れてしまいました。
しかし節子との会話においては、SF的な話が相変わらず多かったような気がします。
というのも、私は時間旅行やパラレルワールドや超能力や超物理学などをすべて信じているからです。
一緒に暮らしていると、いつのまにか世界は共有されていきます。
私がリアリストになったように、節子はいつの間にか、超常現象への違和感を画していたように思います。
そして私は、リアリズムと超常現象は深くつながっていることにも気づきました。
いや同じと言っていいかもしれません。
科学の知は、つまり常識の知は、現実観察を縮減する知恵でしかないから、現実を見えなくしがちなのです。
いずれにしろ、私の世界の半分は、節子と一緒に作り上げてきたものです。
その世界が、節子がいなくなったあと、どんどん変質しているのかもしれません。
私の世界が退化している、どうもそんな気がしてなりません。
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コメント
佐藤様 こんにちは
この哲学のような記事を、佐藤さんは滑らかに誰にも理解可能な優しい文章に置き換えておられ
私のような無学者にも伝わってまいります。
現実と理想、現実と空想、現実と超常現象の対比がよく分かります
一般的には、女性はリアリスト的な方が多いように思われ、男性はロマンチストが多いのでしょうか
この記事から、佐藤さんと奥様の楽しい暮らしぶりが表現され、徐々に奥様へ感化されていく佐藤さんの
心が見えてくるようです。
もちろん良い意味での感化ですね
佐藤さんのように、夫が妻に染まっていくのは夫婦の絆としては理想ではないでしょうか
私たち夫婦は少し違っていたように思えてしまいます。
当然として妻はリアリスト的な人でしたが、私は現実の中の狭い範囲の現実の中で七転八倒していたようです。
ロマンなどとは程遠く、その時を生き抜くのが精いっぱいの余裕など微塵もありませんでした。
妻が嫁いでくれた時は、まるでお手伝いさんが一人来てくれたような、そのような申し訳ない状況が現実でしたから
私が夫婦としての本質を考えだしたのは、妻が亡くなってからのことです。
この佐藤さんの記事をバイブルに、妻との過去を思い出しながらブログに綴っていければ少しは楽になれそうです。
佐藤さんの記事によって、教えられることが多いのは、やはり私は人間として失格だったと思い知らされております。
ありがとうございました。
投稿: 鳥取太郎 | 2014/06/13 17:42