■節子への挽歌2483:摂理
節子
明け方に節子の夢を見ました。
一緒に福引を引いたら大当たりで、とても高価なもの(それが何かは思い出せません)が当たったのですが、その価値は意味のない価値なのではないかと2人とも気づいたような気づかないようなところで目が覚めました。
久しぶりに節子が出てきたのに、おかしな夢でした。
色即是空、空即是色のような話でした。
あんまり関係のない話なのですが、一条真也さんから教えてもらった矢作直樹さんの「人は死なない」という本に「摂理」という言葉が出てきます。
なぜかその言葉を思い出しました。
その本は、副題に「ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索」とあるように、医学者である著者が、医学や科学の限界の認識の上に、スピリチュアリズムについて言及している本です。
著者の生きる姿勢は、本の最後の文章にしっかりと書かれています。
人はみな理性と直観のバランスをとり、自分が生かされていることを謙虚に自覚し、良心に耳を傾け、足るを知り、心身を労り、利他行をし、今を一所懸命に生きられたらと私は思っています。そして、「死」を冷静に見つめ穏やかな気持ちでそれを迎え、「生」を全うしたいものです。著者はまた、これまでの人生体験を踏まえて、私たちを取り巻く森羅万象、そして私自身の人生は、科学的論理や善悪の倫理を遥かに超えた、まさしく摂理の業としか思えない、と書いています。
寿命が来れば肉体は朽ちる、という意味で「人は死ぬ」が、霊魂は生き続ける、という意味で「人は死なない」。私は、そのように考えています。
すべては、摂理に従って動いている。
そして、その摂理は私たちの霊魂とともにあるというのです。
福引の夢で、なぜこの話を思い出したかわからないのですが、摂理に従って生きていると考えると、少しホッとするところがあります。
節子との別れも、摂理に従ったものだったと思えるからです。
それに、節子の霊魂は生きているわけです。
最近ちょっと宝くじに当たらないと困ると思っていました。
節子には当たるように頼まなかったのは、当たるだろうと確信していたからです。
しかし、宝くじに当たるか当たらないかも摂理なのです。
欲を出してはいけません。
夢は私への忠告かもしれません。
最近、迷いが多いです。
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