■オメラスとヘイルシャムの話その3
ヘイルシャムは、オメラスの町の地下室といってもいいでしょう。
ヘイルシャムの子どもたちは、オメラスの場合と違って、一見、大切に育てられていますが、それこそが最大の悪事かもしれません。
ことの本質を見えなくしてしまうからです。
小説では、ヘイルシャムの秘密が最後に、その活動の推進者だったエミリー先生によって明らかになるのですが、その時のエミリー先生の態度はきわめて他人事なのです。
読んでもらうとわかるのですが、彼らの活動はクローンの人生への共感からではなく、自らの気休めのためとしか思えません。
著者は、それをあまりにも赤裸々に示唆しています。
著者の、同時代人への怒りを感じます。
私はこの数年、いわゆるケアの世界にささやかですが、関わっています。
そこで一番やりきれないのは、支援側にいる人たちの人間観です。
もちろんすべてがそうだとはいえませんが、どこかに「支援してやっている」という雰囲気を感じてしまうのです。
それが悪いとは言えないでしょうが、私にはやりきれません。
この小説の中で、ヘイルシャムを構想し、実践したエミリー先生は、真実を知りたいと訪ねてきた子どもたちにこう語るのです。
わたしたちがしてあげられたことも考えてください。振り返ってごらんなさい。あなた方はいい人生を送ってきました。教育も受けました。もちろん、もっとしてあげられなかったことに心残りはありますけれど、これだけは忘れないで。
私が最も嫌いな発想です。
大切なのは、みんな同じ仲間なのだと思うことです。
自らの出来ないことをこそ、悩むべきです。
それがなくて、相手を支援しようなどと思っては、どうしても観察者的になる。
それでは、一番大切なことが抜けてしまいます。
関わる問題が、自殺であろうと認知症であろうと障碍問題であろうと、それが自らの人生の問題であると思えるかどうか、です。
それがなければ、オメラスの地下の子どもに同情し、彼に衣服やパンを贈ろうとするのと同じです。
つまりは、オメラスの幸せを享受しつづけようというわけです。
自らの生き方につながらない社会活動はありえないのです。
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