■戦争を想定すれば戦争が、平和を想定すれば平和が実現する
私が生きている間には、日本は戦争に巻き込まれないだろうと思っていましたが、最近の動きを見ているとどうもそう安心してもいられないような気がしてきました。
安倍首相の言動は、まさに戦争に向かってまっしぐらで、しかも国民の半分はそれを支持しているのですから、私には信じられない状況です。
集団的自衛権は、いうまでもなく「戦争」を想定しての発想です。
なにかを「想定」して動けば、ほぼ例外なく、その「想定」は現実化する、と私は思っています。
戦争を想定すれば戦争が、平和を想定すれば平和が実現する。
甘いと思われるかもしれませんが、私はそう確信しています。
1週間前の朝日新聞の投書欄に東大名誉教授の石田雄さんが投稿されていました。
タイトルは「人殺しを命じられる身を考えて」でした。
20代の時に石田さんの「平和の政治学」を読んだことが、多分私が「平和」への関心を強く持ったきっかけになりました。
石田さんはもう91歳なのだと、その記事で知りました。
投書は次の文章で終わっていました。
殺人を命じられる人の身になって、もう一度、憲法9条の意味を考えてみて下さい。おそらく「命ずる人たち」には届かない言葉だろうなと思っていました。
今日の朝日新聞の夕刊に、石田さんの取材記事が出ていました。
何かとても救われた気がしました。
最近の朝日新聞もまた戦争への大きな流れに同調しているように感じていたからです。
「政府は、最も大きな犠牲を払わされる人の身になって、政策を考えるべきだ。声を上げてそれを促すのが、主権者である国民の責任だ」と石田さんは語っています。なぜか声をあげる元気が出てきません。
体調が戻ったら、集会に出て、元気をもらおうと思います。
しかし間に合わないかもしれません。
みんなどうして、そんなに死に向かって走るのでしょうか。
とても理解できません。
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