■節子への挽歌2458:警蹕(けいひつ)
節子
相変わらず気忙しい毎日を過ごしています。
なかなか気分的なゆとりが生まれません。
生活のリズムが一度狂ってしまうと、なかなか元に戻らないのです。
困ったものです。
なんとか気分を戻そうと、昨日、挽歌に書いた本を読むことにしました。
小倉美惠子さんの「オオカミの護符」です。
一昨年読んだのですが、改めて良い本だと思いました。
それはそれとして、前回はあまり意識していませんでしたが、警蹕(けいひつ)の話が出てきます。
警蹕とは、神が通る道を清め、邪気を祓うための雄叫びですが、ある神事でそれを体験した小倉さんは、「まるでオオカミの遠吠えのようにも聞こえた」と書いています。
私も、そう思います。
オオカミはなぜ遠吠えをするのか。
それは群から離れた仲間を呼び戻すためだと聞いたことがありますが、とてもそうは思えません。
私には、仲間を喪ったオオカミが、哀しさをこらえきれずに発する魂の発露のような気がします。
あるいは、神への訴えかもしれません。
そんな気がしてなりません。
それにしても、オオカミは不思議な生き物です。
小倉さんもその本で書いていますが、人間を襲うこともありながら、人間からは神とされることが多いのです。
そもそも名前からして、「大神」ですし。
警蹕に関しては、以前、この挽歌でも書いたことがあります。
挽歌688の「神と一緒に過ごす豊かな時間」です。
そこでは警蹕は「言葉が生まれる前の発声」だという説明を書きました。
今日、NHKの大河ドラマ「黒田官兵衛」で、妻をはじめとした一族が信長によって処刑されたことを知った村重が言葉にはならない叫びを上げます。
まさに言葉にならない雄叫びです。
心の真情は言葉にはならないのでしょう。
もちろん警蹕とはまったく別のものですが、私はこういう場面を見ると、いつも数年前に見た、このテレビの警蹕を思い出します。
そして、村重のように、叫び声をあげられる人をとても羨ましく感じます。
同時に、神事で警蹕を行う人の心情を思います。
私が節子を見送った時には、声さえ出ませんでした。
いや悲しみさえ実感できませんでした。
そこに家族だけではなく、医師も看護師がいたことは、たぶん、理由ではありません。
受け容れられずに、理解できなかったのです。
理解できないと声が出ない。
いまならたぶん声は出るでしょう。
しかし、神事でもなければ声も出せません。
思いのすべてを発声する機会を失ってしまったのが残念です。
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