■祈ることの意味
私の一日は、数年前に先立たれた妻への祈りから始まります。
最近その祈りの内容が変わってきました。
以前は妻への感謝の気持ちとともに、ちょっと辛い立場に置かれている身近な友人知人の平安を祈っていましたが、最近は社会の平安への祈りが中心になってきました。
妻に祈ったところであまり意味がないのですが、妻を祀っている仏壇には大日如来が鎮座しているのです。
娘が手づくりし、家族3人で開眼し、お世話になっているお寺で魂を入れてもらった大日如来です。
大日如来の向こうに、私は神がいると信じています。
日本の寺社では毎日、膨大な祈りがささげられています。
伊勢神宮でも春日大社でも、あるいは出雲大社でも、それぞれ毎年1000を超す神事や仏事が行われていると聞きますが、その多くはおそらく社会の平安、人々の平安を祈るものだろうと思います。
私が特に不思議に感ずるのは、神社の神事です。
神社関係の親しい友人がいないので性格には知らないのですが、神社では氏子でさえ見ることのできない神事があると聞きます。
以前、テレビで見た春日大社では、誰も見ることのない神事が、1000年以上にわたって、毎日行われているそうです。
まさに私たちに代わって、神(といっても一神教の神ではなく、自然とかお天道様とかいう意味でしょうが)への祈りをしてくれているわけです。
それによって、私たちの生活の平安が守られていると、私は思っています。
祈りは、私にもできることです。
祈りだけではなにも変わらないといわれそうですが、私の体験では、祈りは確実に自分を変えてくれます。
まずは自分から。
それが私の生き方のです。
まだまだ祈りが足りません。
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