■節子への挽歌2449:だからどうした
節子
湯島で時間ができたので、もうひとつ書こうと思います。
実は節子がいなくなってからの日数と挽歌の番号が20ほどずれてしまっています。
つまり20日ほど書くのをさぼったということになります。
自分ではそんな意識はないのですが、どうもそのようです。
今日は実はまだ思考力が回復しません。
その証拠に、本を読んでも、内容が頭に入ってきません。
本と自分とが一体化しないと、いくら頁が先に進んでも、何も頭に入ってこないのです。
ただただ文字を読んでいるだけですから、無意味です。
本と一体化できると、飛ばし読みしても、なんとなく内容が伝わってきます。
ちなみに、本は読まずに机の上に置いておき、時々、目次をぱらぱらとみるだけでも、内容を感ずることができることがあります。
なかには本当にそれができる子供たちがいるようですが、私の場合は、感ずるだけで理解はできません。
ところが、急に読みたくなったり、かなり時間が経ってから、その本を思い出して読んでしまうことがあるのです。
会うべき人には必ず会えるように、読むべき本は必ず読む機会があるのかもしれません。
なにやらおかしなことを書きましたが、今日は本を読む気にもなれません。
暑さのせいかもしれません。
今は湯島のオフィスですが、クーラーはつけていません。
Tシャツ1枚ですが、暑くて仕方がありません。
これも多分、疲れのせいでしょう。
心身が弱っていると、気候への抵抗力も落ちてしまいます。
「悪い汗」をかくわけです。
何やら挽歌とは無縁なことを書いて、番号稼ぎをしているような気もしますが、そうでもないのです。
私が挽歌を書いている時には、必ず節子に話しかけているのです。
だからどうした、と言われそうですね。・
挽歌を書く時に、何かを書こうともって書き出すこともありますが、ほとんどは何も思わずに、まず「節子」と打ち込みます。
そこから何かが浮かぶこともあれば、浮かばないこともある。
しかし、まあ思いついたことを書きだすのが、この挽歌です。
だからまったく内容のない記事も少なくありません。
しかし、私には書いている時が、意味ある時間なのです。
だから、私には「だからどうした」という問いは当てはまりません。
そもそも、どうしもしないのです。
窓から夕日が見えていましたが、いまビルの陰に隠れました。
だからどうした。
そうなのです。
意味のないことがとても大事な意味を持ってくる。
それがたぶん「愛」がもたらす贈り物なのです。
とりわけ美人でもなく、ましてや賢くもなく、性格がいいわけでもなく、趣味が同じでもない節子が、いつの間にか私にとって、「特別の人」になったのは、お互いに愛し合うことになったためでしょう。
でも、その「愛」とは何か。
これも多分説明しだしたら、「だからどうした」と言われるようなことになるでしょう。
どんな退屈なことも、どんなありふれたことも、素晴らしく輝いてい見える。
愛は、そんな世界を生み出してくれます。
なんでもない、この夕日を、節子と見ていたことを思い出します。
そろそろ友人たちがやってきそうです。
コーヒーでも淹れておきましょう。
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コメント
佐藤様 おはようございます
今の季節、朝は涼しく昼は真夏日、高齢にとってき温暖の差が大きくて厳しい季節ですね
佐藤さんが問いかけておられる“愛とは何か”
節子への挽歌を読ませて頂いて、愛とは次のように感じております。
「純粋な愛とは、綺麗な湖に流れ込む清流のごとく、自然に交わっていく“生まれ故郷の違う、ふたつの水”」
そこに深い意味などは必要とせず、成るべくして交わってしまう水と水のように、他人同士の心と心の交わりが
気が付けば一つの心となるのではと思うようになりました。
佐藤さんの言葉の端々からは、奥様への純真な恋心が永遠の愛となり、今も継続している様が伝わってきます。
そして、そのことが私の心を平穏にしてくれるのかもしれません
まったく違った人生を歩んできた私と佐藤さんなのですが
望むべくもなく伴侶を亡くした者同士、亡き妻を思う心はどこか共通点があるように思っております。
もちろん全てが共通することはないのですが、亡き妻と生きた証を大切にする気持ちは、同じなのではと感じております。
素晴らしい景色を見れば妻を思い出し、不安に駆られれば妻に助けを乞い、食事の時間には妻の手料理を思い出す・・・
素晴らしい「縁の人」に出会い長年に亘り共に暮らせたことは、ほんとうに幸せでした。
しかし、本音を言えば別れが早すぎました。もう少し共に暮らしたかった。
率直に書いてしまいましたが、失礼な事柄がございましたら、お許しください。
投稿: 鳥取太郎 | 2014/06/03 05:58