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2014/06/04

■節子への挽歌2451:よたよた人生

節子
気になっていた問題が2つほど解決しました。
完全な解決ではありませんが、少しホッとしました。
悪い事があれば、良い事もある。
それが生きているということでしょう。

心を許しあえた伴侶がいれば、悪い事も良い事も、すべては良いことに転化できます。
いずれの場合も、生きる力になっていくわけです。
しかし、一人になってしまうと、良い事も悪い事も、ただそれだけの話です。
悪い事の良い面や、良い事の悪い面も見えにくくなります。
だから生きることが、ふくらんでこないで、退屈になりやすいように思います。
最近は、とても退屈です。

しかし、なぜか退屈があるところまでいくと、誰かが問題を持ってきます。
悪い話もあれば、良い話もあります。
悪いか良いかは、一概には言えません。
私が関わる必要がないものも多いのですが、なぜか関わってしまうのです。
何で関わってしまったのだろうと、後で我ながら不思議に思うことも少なくありません。
その習癖は、節子がいない今も変わっていません。
節子はお人好しと言い、娘は馬鹿だと言いますが、それが私の生き方ですから仕方ありません。

悩ましい問題が解決すると、新しい問題がやってきます。
私はどうも「問題」を引き寄せるタイプのようです。
ですからいつまでたっても、穏やかに暮らせません。
良い事も悪い事もあるなかで、自分が出来ることをわきまえて、相手や問題と適切な距離をとっていかなければいけないのでしょうが、ついついコミットしすぎてしまうのです。
近寄ってくる問題には無関心ではいられないのです。
そのくせ、問題が解けるわけでもない。
重荷を背負ってへとへとになったり、相手の重荷を軽くするどころか重くしたり、相変わらずよたよたと生きています。

私の人生には、どうも平安はなさそうです。
困ったものです。
最近の疲れの原因は暑さだけではないようです。

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