■オメラスとヘイルシャムの話その8
STAP細胞論文事件はまだごたごたと尾をひいています。
報道によれば、小保方さん側に不正があったとされていますが、虚実はまさに藪の中です。
そもそも遺伝子工学は、私にはおぞましい世界です。
生命を物質と同じように対象化する発想にはどうも馴染めないのです。
生命は「考える存在」です。
考えているのは脳だけではありません。
細胞一つひとつが考えている。
クローンによって生み出されるものも例外ではないでしょう。
もし移植臓器が不整合を起こすことがあるとしたら、それは機械的なパーツではないからです。
つまり、ヘイルシャムで実験するまでもなく、細胞も臓器も「感情」や「意思」を持っているのです。
その「感情」や「意思」は、しかし時間によって進化します。
人間は科学を発展させたが、自らの精神はあまり変わっていないとよくいわれますが、そんなことはないと思います。
人の感情や精神は、大きく変わっているように思います。
人間に「意識」が芽生えたのは3500年ほど前という説に私はとても納得できますし、この100年の日本の歴史を見ても、「感情」や「意思」は明らかに「進化」しています。
人間観や生命観は大きく変わっています。
たとえば、500年ほど前には、南北アメリカ大陸のネイティブたちは、ヨーロッパ人たちにとっては同じ人間とは思われていませんでした。
だからこそ、バッファローと同じような殺戮が行われたわけです。
そしてそれから300年以上にわたって、アフリカ大陸から1000万人のアフリカ黒人が貿易の対象にされ、商品として輸入されたのです。
キリスト教徒の国であるにもかかわらず、です。
さらに、100年ほど前にコンゴで行われたおぞましい事件も思い出します。
ジョセフ・コンラッドが『闇の奥』で描いていますが、黒人は人間の形をしているが、自分たちとは違う存在だという考えが、燻製にした手首の山ができるほどの凄惨な現実を生み出したのです。
そして、そのことが。コンゴ自由国の所有者であったベルギー国王を富ませたのです。
しかし、いまや「人間の形をした別の人間」という概念は否定されました。
であれば、どうするか。
これ以上考える勇気は、いまの私にはありませんが、見えてくる未来には戦慄を感じます。
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